翁長・沖縄県知事「でも、いま一番やりたいのは子どもの貧困対策」

厳しい表情の写真が多いが、お会いしてみればよく笑う明るい方(本文中の写真は筆者)

「3人に1人の子どもが貧困」

「6人に1人の子どもが貧困」と枕詞のように使われるようになった日本で、唯一、異なる数字を使うのが沖縄県だ。

 厳しさを際立たせようというのではない。

 「本土」にあてつけているわけでもない。

 47都道府県の中で、自県の子どもの貧困率を算定したのが、唯一、沖縄県だけなのだ。

 沖縄県ができたのだから、他県もやろうと思えばできるはずなのだが、やっていない。

子どもの貧困率を調べた自治体は沖縄県だけだったことを伝える東京新聞の記事(2016年5月17日)。東京新聞提供。赤線は筆者
子どもの貧困率を調べた自治体は沖縄県だけだったことを伝える東京新聞の記事(2016年5月17日)。東京新聞提供。赤線は筆者

 算定結果は、沖縄県に衝撃を与えた。

 全国(16.3%)の約2倍の29.9%

 「やっぱり沖縄は厳しい」という思いと「それにしてもこんなに高いのか」という思いと。

 そして、その危機感をバネに、明るい未来を展望すべく、対策に乗り出した。

 先頭に立つのは、翁長雄志・沖縄県知事だ。

 基地問題対応に忙殺されつつも、子どもの貧困対策については「指示が多い」と県庁職員が言うほど強い関心を示す

 その翁長知事に、子どもの貧困対策に賭ける思いを聞いた。

――沖縄県の29.9%という子どもの貧困率、どう受け止めていますか?

 とても深刻な数字と受け止めています。

 沖縄県は、ご存知のように失業率も全国平均より高く、最低賃金は日本でもっとも低い。

 厳しい地域です。

 ただ、この厳しさをそのまま次世代に残すわけにはいかない。

 貧困の連鎖を断ち切らなければなりません。

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――子どもの貧困は、沖縄県にとってどのような課題と言えるでしょうか?

 私は1950年生まれです。

 戦後の沖縄とともに、生きてきました。

 30年前からは政治の世界に入り、市会議員、県会議員を経て、那覇市長を14年間つとめ、そして知事になりました。

 ご承知の通り、沖縄は戦後の27年間、日本国から切り離されていました。

 日本の円も使えず、米軍発行の軍票「B円」を使っていた。

 本土との接触も乏しかった。

 国会議員を送ったこともなく、アメリカの占領下で基地と隣り合わせで暮らしてきました。

 1972年の本土復帰後、その大きな格差を是正すべく、10年単位で「沖縄振興開発計画」を立ててやってきましたが、さあ何から手をつけるかというと、まずはインフラ整備でした

 戦後長期にわたりわが国の施政権外に置かれた沖縄は、昭和47年5月15日をもって本土に復帰し、新生沖縄県としてわが国発展の一翼を担うこととなった。この間、沖縄は、県民のたゆまぬ努力と創意工夫によって目覚ましい復興発展を遂げてきたが、か烈な戦禍による県民十余万の尊い犠牲と県土の破壊に加えて、長年にわたる本土との隔絶により経済社会等各分野で本土との間に著しい格差を生ずるに至っている。

 これら格差を早急に是正し、自立的発展を可能とする基礎条件を整備し、沖縄がわが国経済社会の中で望ましい位置を占めるようつとめることは、長年の沖縄県民の労苦と犠牲に報いる国の責務である。同時に、沖縄の復帰は、国際社会において重要な役割を期待されているわが国にとって、沖縄が中国、東南アジアに最も近いことから、これら諸国との経済、文化の交流をはかるうえで、きわめて意義深いものといわなければならない。

出典:第一次沖縄振興開発計画 第1基本方針 1計画作成の意義

 いろんな施設をつくりながら、10年おきに4回、振興計画を遂行してきました。

 一生懸命やってきましたが、ふと気づいたら、いわゆる福祉、子どもの貧困も含めた福祉が立ち遅れていました

 2012年、私たちは、5回目の「沖縄振興計画」を「沖縄21世紀ビジョン基本計画」としてまとめました。

 今までの4回の振興計画は、基本的に政府がつくったものを実行してきましたが、

 今回は沖縄県が、初めて、自分たちで主体的につくった総合計画です。

 一括交付金をもとに、自分たちで、かゆいところに手が届く、自由度の高い、自分たちのやりたいことがやれる計画をつくりました。

 そうした時代の変遷と推移を経て、もともと知っていたにもかかわらず十分に手を付けられていなかった課題に、いまやっと手を付けられるようになった。

 そうした状態だと、私は認識しています。

「沖縄21世紀ビジョン」5つの将来像と36の基本施策。沖縄県提供
「沖縄21世紀ビジョン」5つの将来像と36の基本施策。沖縄県提供

 たとえば、待機児童や母子家庭の問題などは、沖縄は前から厳しいものがありました。 

 15~6年前に私が那覇市長になったときは、認可外保育園が7割、認可園と公立保育園が3割という割合でした。

 市長としての14年間でこれを逆転しましたが、

 それでもまだ、認可外保育園の多さは、全国の中でも高いほうでしょう。

 「子どもの貧困」も、こうした厳しい全体状況の中で、考え、取り組んでいく他ありません。

子どもの貧困対策をやらずして、沖縄の将来の希望はない

 これからの沖縄に必要なものは3つです。

 まずは平和です。これは、基地の問題と切り離せません。

 次に、経済。アジアのダイナミズムをとりいれてしっかりやっていくことが必要です。

 そして、県民の生活です。「沖縄らしい優しい社会の構築」を目指します。

 この3つが相まって、私たちのこれまでの苦労を乗り越えて、将来の日本とアジアの懸け橋になれるような、大きな夢と希望をもてるような、沖縄がつくれます。

 子どもの貧困問題は、私たちにとって、このような大きな沖縄のビジョンに位置付けられています。

 先ほども言ったように、これにやっと手が付けられるという思いなんです。

 いま私は基地問題であちこちに行きます。国内はもちろん、ワシントンにも行っています。

 ご承知のように、裁判もある。

 沖縄は離島もたくさんありますから、そちらにも伺わなければならない。

 移民もいるので、南米・北米にも行かないといけない。

 心は子どもの貧困にあるにもかかわらず、それに割ける時間は、残念ながら非常に限られています。

 でも、いま一番やりたいのは子どもの貧困対策なんです。

 これをやらずして、沖縄の将来の希望はありません。

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一番大切なのは、子どもの貧困対策

 まずは実態把握からということで、子どもの貧困に関する調査を行いました。

 冒頭ご指摘の貧困率の推計のほかに、小中学校生徒数の約1割の子どもとその親を対象にした実態調査(「沖縄子ども調査」)も行いました。

 29.9%という子どもの貧困率もそうですが、

 過去一年間に必要な食料を買えないことがあった子育て世帯が、ひとり親世帯で43%、両親がいる世帯でも25%いることなど、深刻な実態が明らかになりました。

 

沖縄子ども調査の結果を伝える琉球新報の記事(2016年1月30日。琉球新報社提供)
沖縄子ども調査の結果を伝える琉球新報の記事(2016年1月30日。琉球新報社提供)

 この調査に関しては、うちの職員たちがとてもよくやってくれました。

 私はこれは沖縄のこれからの課題だから、しっかりやらなければいけないと言いました。

 しかし、職員たちに思いを伝えたら、あとは別の課題に取り組まなければいけない。

 幸い、職員たちが私の思いを受け止めて、3か月くらいですべてのデータを作り上げてくれていました。

 全国でも早い段階での調査で、中身もとてもしっかりしていた。

 感激しましたね。

 先日も、全国知事会の会議で、ある県知事さんから「沖縄の調査を参考に、うちも調査をしたい」と言っていただいたばかりです。

 職員がつくってくれたベース、そのベースの上に立って、自分の思いをしっかり進めていこうと思いました。

 よっしゃという思いでね、時間は思うようにとれませんが、

 一番大切なのは子どもの貧困対策、そして沖縄らしい優しい社会の構築、

 この思いでいろんな人たちとつながっていければ、将来の沖縄は必ず、子どもたちが雄飛していく、そういう地域ができるのではないかと。

知事の思いを形にする子ども生活福祉部の面々
知事の思いを形にする子ども生活福祉部の面々

体制は整った

ーー調査結果を踏まえて、今年3月に「沖縄県子どもの貧困対策計画」を策定されました。

 まずは県として6年間30億円の基金をつくりました。

 就学援助が行き届いていない家庭をフォローしたり、放課後児童クラブの利用者負担軽減を図ったり、市町村の取組を後押しするために使います。

 国も、子どもの貧困に関する補助金を組んでくれました(「沖縄子供の貧困緊急対策事業費補助金」。年間10億円)。

 これは、支援員の養成・配置と居場所づくりに活用していきます。

 しかし、行政として予算を組み、事業を進めるだけでは足りない。

 これは沖縄県全体の問題ですから、経済界や県民も含めて、県民運動として取り組んでいく必要があります。

 そこで、沖縄の経済界や各団体の方たちとも朝食会などを繰り返しました。

 経営者協会、経済同友会とか沖縄観光コンベンションビューローなどをはじめ、これまで約90の企業・団体のみなさんとお会いしてきています。

 そしたら経済界の方たちも、みんな「やろうよ」とおっしゃってくれる。

 経済の発展のためにはどうしても人材が必要だ、と。

 今の状況は大変厳しいので、私たちが今をおろそかにして、今の子どもたちが万が一将来の沖縄の重荷になってしまうことでもあれば、それはとても大変なことです。

 逆に、彼らが私たちを支えてくれるような人材に育ってくれれば、沖縄の将来にとってこんなに明るいことはありません。

 そうして、経済団体25団体に、いろんな分野の方たちにも参加していただいて、総勢105団体で、先日「沖縄子どもの未来県民会議」を発足させました。

 今、体制づくりがようやく終わったところです。

 これから、沖縄全体で、さらに本格的に子どもの貧困対策が動き出します。

 私自身もあちこちの活動を拝見してきて、その機運を実感しているところです。

「沖縄子どもの未来県民会議」設立総会(沖縄県提供)
「沖縄子どもの未来県民会議」設立総会(沖縄県提供)

子どもの貧困率を10%に

――県民会議では、民間資金を2億円集めるという目標とともに、2030年に子どもの貧困率10%という意欲的な目標を掲げられました。

 県民会議で集めたお金は、給付型奨学金の創設や民間団体が行う事業への支援を行うなど、子どもたちへの直接給付や民間団体支援に使います。

 すでにいくつもの地元企業・団体・個人からご協力をいただいていますが、まだ足りません。

 沖縄県は、大変厳しい状況を、県民の結束で乗り切ってきた地域です。

 沖縄の未来を左右する子どもの貧困問題に対しても、多くの県民のみなさん、県外に出た出身者のみなさん、国外で苦難を乗り越えられた移住者のみなさんから、ご協力いただけるものと信じています。

県民会議への寄付金贈呈式。左はオキコ(株)代表取締役社長仲田龍男氏(沖縄県提供)
県民会議への寄付金贈呈式。左はオキコ(株)代表取締役社長仲田龍男氏(沖縄県提供)

 そして、子どもの貧困率10%という数値目標ですが、

 難しい目標であることはよくわかっています。

 でも私たちは「沖縄21世紀ビジョン」で、目指すべき沖縄の20年後の姿を見定めました。

 だったら、そこまでにはやろうと。

 ここは、職員よりも私がこだわった点です。

 意欲的すぎるかもしれません。

 でも、沖縄県民なら必ず理解してくれる。

 県民全体となって、ボランティア活動含めて、沖縄らしい優しい社会を構築できる、と私は信じています。

 以前にね、協働によるまちづくりについて、市民の方たちに30分ほど話したことがあるんです。

 そしたら、97歳のおじいちゃんが、あとでハガキを寄越してきましてね。

 おまえの言いたいことは、要は「いい暮らしより、楽しい暮らし」ということだろ、と。

 30分かけた話を2行でまとめられて、まいりましたけどね(笑)。

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 でも、そういうことなんですよね。

 協働によるまちづくりに関しても、沖縄は全国的にも相当いい部分まできている、と感じています。

 沖縄県民が真剣にやれば、かならずできます。

 私の子どもの頃には、あちこちに不発弾がありましてね。

 あのころは、本土でもそうだったと思いますけど。

 子どもたちは、不発弾から鉄くずを集めて、それを5セントとか10セントで売っていました。

 不発弾が爆発して、亡くなった子どももいたものです。

 ハーフで生まれて、いじめられていた子もいました。偏見もあり、孤立していました。

 子どもというのは、それがどんなに厳しいものであれ、そのときに与えられた環境をあたりまえと思うものです。

 でも、大人たちがその上にあぐらをかいてはいけない。

 先人たちは、そうやって沖縄の復興を遂げてきたはずです。

 私もまた、そうでありたいですね。 

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 知事の思いを受けて、「総力挙げて」(沖縄県子ども生活福祉部長・金城弘昌氏)子どもの貧困対策を本格化させた沖縄県。

 次号では、現場の様子をリポートする。