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「原発事故被災地の取組」 課題を仲間と共に乗り越える ふるさとで生きる”誇り”を胸に 

吉川彰浩一般社団法人AFW 代表理事
県内外から120名を超える参加者。後方には各町村の原発事故後の歩みを展示

12月5日、福島県いわき市にて、原発事故の被災地域である福島県双葉郡八町村を出身とする方々により、お互いを知り合い、助け合うための取組「双葉郡未来会議」が開かれました。

読み進めていく上で、まずは双葉郡八町村の立地と現在の避難状況について知って頂きたいと思います。

双葉郡八町村とは

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福島県双葉郡は「広野町」「楢葉町」「富岡町」「川内村」「葛尾村」「双葉町」「大熊町」「浪江町」からなります。距離による警戒区域設定、その後、航空モニタリングに基づく避難区域の設定、除染の進捗による避難解除、幾多の変遷を経て、全域が避難解除になったのは、「広野町」「楢葉町」の二つの町になります。

避難区域の変遷の詳細については経済産業省HP(避難指示等について)を参照ください。

双葉郡八町村、それぞれ置かれた環境は複雑です。第1回双葉郡未来会議では、避難解除後の町・村の現状を知るため、広野町、楢葉町、川内村にスポットがあてられました。次回は来年3月19日。避難解除を迎える、葛尾村、富岡町、浪江町の現状が話されます。

双葉郡未来会議を企画した、現在も避難区域が続いている富岡町出身の平山勉さんは、次のように企画した思いを語ります。

基本的なコンセプトはお互いの町村の現状を「知る」(未来会議)「見る」(視察)そして「つながる」(交流)という事です。以前は当たり前のように行き来していた地域との交流が突然途絶えたわけですから、そのブランクを埋め、現状認識を共有する事で、それぞれの状況や立場の違いを超えた「理解」が生まれる筈です。抽象的ですがその「理解」は、双葉郡の住民同士がこの先前に進む為の推進力になると確信しています。「軋轢」の解消にも繋がるでしょう。そして町村の枠を超えてこの地域で何が起ったのかを知りたいという思いはとても純粋で、我々の世代はこの経験を「史実」として次の世代や、広く世間に伝承する義務があるともいえます。その為にもまずはお互いを「知る」「見る」なのです。今の所、ここは課題を解決したり、何かを決めたりする場所ではありませんが、ここで生まれる繋がりは、町村の壁を超えているというだけでも、地域再生の、いや、新しい地域を生み出す一つのカギになるのではないでしょうか。今後、進展の見込みもあります!是非とも双葉郡の方々、特に若い世代には飛び込んできてほしいところです!

シンプルな思いで始まった企画には、県内外120名を超える参加者が集まりました。筆者も同じ地域で、未来を創り上げていく一員として参加させていただきました。

お互いを知ることが出来ない背景があった

原発事故による避難は県内外に渡っています。ある程度、避難区域の中(避難指示解除準備区域や居住制限区域)を自由に移動することが出来ますが、帰還困難区域に設定された地域は、そこに住民票が無い方以外は原則入ることすら許されていません。県外に避難された方は自分の町の現状を知ることすら出来ない状況です。

会場に設置された各町村の変遷と状況
会場に設置された各町村の変遷と状況

原発事故前は当たり前に行き来でき、同じ地域を知る事は容易でしたが、本当の意味で立ち入れない壁があります。気が付けば、同じ地域で暮らしていた人達が、隣人の状況を知ることが出来なくなりました。また当時の東北大震災による津波、地震の被害状況も、原発事故による強制避難の中で知ることが出来ないままでいます。

各町村役場よりお借りした、事故当時の写真やこれまでの変遷が掲示されました。これらには改めて知らなかった事実があったことに気づかされます。元来の双葉郡に住まわれていた方もメモを取りつつ廻られていました。

今を知る当事者からの現状報告

広野町(遠藤浩さん)、楢葉町(鈴木教弘さん)、川内村(井出健人さん)から原発事故による避難解除後の現状を、当事者目線で伝えられました。住民目線でのプレゼンは、せきららに抱えている課題を語るものでした。それは包み隠さずとも言えます。包み隠さず、そこで生きる方々(当事者)が語ることは、解決しなければならない課題とも言えます。

楢葉町の現状を報告する鈴木教弘さん。
楢葉町の現状を報告する鈴木教弘さん。

福島第一原発から近い生活圏として、廃炉・除染事業に関わる方々と暮らしている方との人口逆転現象が起きている、広野町及び楢葉町からは、朝夕の生活道路の渋滞、治安への不安、生活環境の変化への戸惑いが伝えられ、ふるさとの「住みにくさ」の中に、働きに来られた人との共生が、課題にあることが伝えられました。

9月5日に避難解除になった楢葉町、震災前人口の1割にも満たない高齢者中心の帰還から、町を創り上げていくことの難しさが語られ、また除染事業に伴う減容化処理施設の受け入れといった、放射性廃棄物と隣合う生活の中での苦悩も伝えられました。

中山間地域の川内村からは、隣接する富岡町があって,住み易い生活が成り立っていた背景を語り、富岡町が避難区域である現状から、住みやすさを求めて、いわき市や郡山市といった都市部から住民が戻らない現状を話されました。

伝えるのは課題だけではない

伝えられたのは課題だけではありません。川内村、広野町、楢葉町、それぞれの町がもっている豊かさを誇らしげに語られました。その姿に、原発事故被災地で暮らし方を模索していくは、とてもシンプルな思いが根源にあることを気づかされます。それはふるさとへの愛着です。その土地で生まれ、育ち、繋いでいくことで育まれていくもの、誰もが当たり前に持っているものです。原発事故を経験し、暮らす方々は、ふるさとへの愛着に基づき、それを次世代に伝える責任を持って、暮らし方を模索されています。

双葉郡未来会議はふるさとを守りたい純粋な思いをもった仲間が集まれる場です。社会が5年という節目で捉えるなか、それはただの通過点に過ぎない現地では、放射能汚染と除染、賠償格差によるコミュティの分断、福島第一原発・地域除染で働く方と地域の共生、地方が抱える過疎化や少子高齢化、様々な解決困難な課題をせきららに共有し、解決に向かう新たな取組が始まっています。

一般社団法人AFW 代表理事

1980年生まれ。元東京電力社員、福島第一、第二原子力発電所に勤務。「次世代に託すことが出来るふるさとを創造する」をモットーに、一般社団法人AFWを設立。福島第一原発と隣合う暮らしの中で、福島第一原発の廃炉現場と地域(社会)とを繋ぐ取組を行っている。福島県内外の中学・高校・大学向けに廃炉現場理解講義や廃炉から社会課題を考える講義を展開。福島県双葉郡浪江町町民の視点を含め、原発事故被災地域のガイド・講話なども務める。双葉郡楢葉町で友人が運営する古民家を協働運営しながら、交流人口・関係人口拡大にも取り組む。福島県を楽しむイベント等も企画。春・夏は田んぼづくりに勤しんでいる。

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