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シングルファーザーを生きる~PTA問題に切り込んだ思い<前編>

吉田大樹労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表
妻の自死を経てシングルファーザーとなった上田隆樹さん(写真右、上田さん提供)

シングルファーザーを生きる 第3回

PTA問題に切り込んだ思い<前編>

シングルファーザーを生きる――。男イコール仕事とみられがちな環境の中で、世のシングルファーザーたちはどう生き抜いてきたのか。各地で奮闘するシングルファーザーにクローズアップし、その実録を伝えていく。

今回は、北海道・札幌市でえぞ父子ネットを立ち上げた上田隆樹さん(55)。上田さんは突然、妻を亡くし、一人娘とともに父子家庭を歩むことになった。シングルファーザーとして生きるために転職を選び、多忙な中でも小学校のPTAに関わったことがきっかけで、会長として大胆な改革を実行した。なぜPTA改革に踏み込めたのか。そこに至る思いなどを聞いた。

妻の急死で突然父子家庭に

吉田  上田さんがシングルファーザーになったのはいつのことですか。

上田  2007年4月8日の日曜です。午前中、家族で選挙の投票に行って、昼過ぎぐらいに帰って来て、私は娘とお昼寝をしていました。夕方近くに起きて、夕飯は私が作ることになっていたので支度を始めたんです。妻も昼寝をしているようでしたが、なかなか起きて来ないので、部屋に行ってみると自殺していました。

吉田  何か精神的な疾患があったのですか。

上田  はい、軽度の統合失調症とうつ病があり、体調がよくなったり悪くなったりを繰り返していました。午前中は特に問題がなかったので、発作的だったと思います。

 当時のことは、あまり記憶には残っていないようなんですが、年長になったばかりの娘も一部始終を見ていたので、精神的な影響がどの程度あるか一番心配でした。自分が事務長として勤めている病院にも事情を説明して、突然こういう状況になったので家庭の状況が落ち着くまで休みをいただき、家庭でちゃんと子どものケアをすることができました。1週間か10日くらいして娘が「お父さん幼稚園行きたい」と言ってくれたので、そこから仕事にも復帰できました。

吉田  どんな夫婦関係でしたか。

上田  正直あまりうまくはいってなかったかもしれませんね。子育ての方針でぶつかることもありました。タイプが全然違う2人だったので。

 それまでは仕事が忙しくて、娘のことは全部妻任せ。家事・育児も全般そうでしたね。ただ、土日は子どもと遊んだり、料理を作ったりはしてました。何の準備もなく突然シングルファーザーになっちゃいました。

吉田  父子家庭生活はどんな感じで始まりましたか。

上田  途方に暮れていましたね。1年間は幼稚園と保育園を掛け持ちしてました。迎えに行くのが20時半頃。こっちもヘロヘロです。朝も幼稚園に事情を説明して開室前の7時15分くらいに特例的に預けさせてもらってました。

 掛け持ちをやめて保育園一本でもよかったのですが、その幼稚園は自然遊びが多くて、娘も気に入っていたので、退園させるよりも、両方に行かせる選択をしたんです。

 保育園は認可外でしたが、事情を説明してなんとか理解してもらいました。本当は18時までだったのですが、その時間には迎えにいけない旨を説明したら、それ以降も受け入れてくれたんです。晩御飯も無料でお世話になってました。

 幼稚園なので弁当が必要だったので、朝も早めに起きないといけませんでした。ただ、その生活を1年間やってみて、子どもとまともに会話していないことに気づいたんです。

 土日は仕事が休みで、子どもとちゃんと時間を取るようにしていました。けど、小学生に上がったときのことを考えたら、放課後児童クラブには18時には迎えにいかないといけません。このままでは仕事を続けられないと思い、2008年3月に病院の事務長の仕事を辞めました。

 家事や育児を優先にと考えたら、在宅でインターネットを使う商売を思いついたんです。ネットを使って古本屋を始めました。1冊1冊は微々たる利益ですが、それを積み重ねて、なんとか生計を維持することができました。

吉田  ほぼそれだけの収入ですか。

上田  そうです。2009年2月に、娘が小学校に上がるときのことを考えて、個人事業主から法人化して、放課後児童クラブの申請もうまくいきました。一番手続きが簡単だった合資会社を選択しました。

吉田  その事業は何年くらい続けたんですか。

上田  5年くらいですね。月々60~70万円くらい売り上げてましたが、純利益がその3割ほど。

吉田  生活はどうでしたか。

上田  それしか利益がないので月々食べるのがやっと。一軒家で住宅ローンも35年で組んでいたので返済もあります。

 妻は元々看護師でしたが、結婚したときに仕事を辞めて専業主婦になってました。子どもの手がかからなくなる小学校高学年くらいに仕事復帰して共働きになれば、住宅ローンもガンガン返せると思ってました。なので、1人で返済するのはとても大変でしたね。自営なのでボーナスもありません。貯金を切り崩したり、親に借りたりして乗り切ってました。

吉田  ほかに苦労したことはありますか。

上田  幼稚園で配布されたプリントを眺められるのは子どもが寝た22時を過ぎてから。あるとき、「明日粘土作業をするので『スモック』を持ってきてください」と書いてあったんですが、そのスモックが何なのかわからないんです(笑)。翌朝、幼稚園に走って、「スモックって何でしょうか?」と聞いて、「多分タンスのどこかに入っている」と言われて、探したらようやく見つけられました。夜のうちに誰かに連絡をして聞けていればよかったんですが、当初はその環境がありませんでした。

 その後、幼稚園からお母さん方が集まる茶話会の連絡が来たので、これは行かなきゃと思って参加させてもらいました。そこで、全部をカミングアウトして、「全部妻任せだったのでわからないことだらけ。申し訳ないけどママ友のネットワークに入れてもらえませんか?」とプレゼンをしたら、たまたま隣に座ったお母さんがアドレス交換をしてくれたんです。幼稚園から「明日ぞうきん4枚持ってきて」と言われても、すぐに用意できずにいると、そのお母さんが「家にあるから持っていって」と言ってくれたんです。それはすごくありがたかった。

 同じような境遇のシングルファーザーがいっぱいいるだろうなと思ったんですが、自分みたいに外に出ていってカミングアウトして、自分からネットワークに入れるお父さんというのはごく一部。そのときから近くでシングルファーザーやパパたちが交流できる場所がないかと思い、アンテナを立て始めました。

吉田  そんな状況の中で、「えぞ父子ネット」を立ち上げようと思ったんですね。

上田  当時はインターネットで父子家庭を検索しても、札幌には父子の会もありません。なので、父子家庭のパパたちとつながりたいと思って、自分で立ち上げたんです。北海道で唯一の父子の会だと思います。

 北海道以外で活動している方を探したら、福岡で活動する宮原礼智さんのブログに行き当たりました。そのブログにコメントを入れて、いろいろと情報を伺ってましたね。いまだにお会いしたことはありませんが、とても参考になり感謝しています。

関わらないと実情がわからないPTA

上田さん、筆者撮影
上田さん、筆者撮影

吉田  大変な状況の中でお子さんが小学校に上がってから、PTAに関わったんですよね。なぜ関わろうと思ったんですか。

上田  幼稚園の茶話会には、毎回のように出るようにしたんですが、いつの間にかに自分のネットワークが広がっていたんですね。そのネットワークからPTA役員になる方たちもいて、自分も脱サラして昼間に時間があるので、広報委員に手を挙げました。たまたま病院で事務長をやっていたときに病院のパンフレットだとか広報誌を作っていたのでスキルはありました。年1回の発行ならと、その後広報委員長にもなりました。広報誌は全部のPTA活動を見ないと誌面を作れません。1年間で全部の活動を見られたのがよかったですね。

 その間に、執行部から「PTAは昼間の活動が多く、パパたちが来られないので是非上田さんに執行部に入ってほしい」と言われたんです。とりあえず書記が1人欠員になっているので、翌年、書記として執行部に入りました。

 それから、「上田さんにPTA会長をやってほしい」と当時の会長から要請がありました。自分としては「やってもいいけど、これまでと同じやり方ではやらない」と伝えました。

吉田  PTA活動に対して、あまり抵抗感はなかったんですか。

上田  抵抗感というよりも学校のことをただ知らなかっただけなんです。それは入ってみないとわかりませんよね。

 PTA会長になるときに「おやじの会を作ることを承認してほしい」と言ったんです。保護者と言っても、どう見てもお母さんしか来ていませんから。保護者と言えば、当然父親もいる。だから、子どもたちに父親の姿も見せないといけないと思ってました。父親にもっと学校に足を運ばせることが大事です。

吉田  その時点ではパパ友はどれくらいいたんですか。

上田  幼稚園の行事でつながっていたパパが何人かいました。小学校に上がってからもその人脈が活きましたね。

吉田  それをある意味フル活用したわけですね。

上田  「上田さんが会長やるなら手伝うよ」と言ってくれるお母さん連中もいて、副会長もすぐに決まりました。

吉田  それはありがたいですね。

上田  茶話会でのカミングアウトがきっかけでこんなにもつながるのかという思いです。講演をする際に、お父さんたちには「まずは茶話会に行け」と言います(笑)。会社休んでもいいから茶話会に行けば、誰かが助け舟を出してくれる。

吉田  シングルファーザーが悩んでいても同じ境遇のパパを見つけるのは大変ですよね。そういった意味では、シングルファーザーにだけ呼びかけるよりも、いろんな方との関係性を作る中で、シングルファーザーにアプローチするほうがいいのではないかと思っています。なので、上田さんのやり方はとてもよかったのではないでしょうか。

上田  幼稚園の同じクラスにもう1人シングルファーザーがいて、本当に大変そうでした。お迎え行くときに会って話をしていたりはしたんですが、結局その方は遠くにある実家に子どもを連れて引っ越してしまいました。その方は茶話会には出ていなかったので、どうしても周りとうまくつながらなかったんです。頼る人がいなかったし、誰にも相談できなかったんだと思います。

吉田  同じ立場で考えるとわからなくはないです。シングルファーザーというのはわかっていても突っ込んだ話は簡単にできないですよね。そうした出来事も活動をする上でのきっかけになったんですね。

上田  そこが一番です。どんなネットワークでもいいから助けてくれと言えるネットワークがあればいいと思うんです。父子の会を立ち上げた目的もそのお父さんをどこかでつなげたいという思いがありました。もちろん自分の父子の会につながってなくてもいいし、その人が一番相談できるところにつながることが大事なんです。そういう方がいたら、「子どもを連れておやじの会に遊びにおいでよ」と誘いたかった。いろんなパパがいるので、何かしらのつながりを作ることができたと思います。それがおやじの会の醍醐味ですから。

吉田  上田さんは何年間PTA会長やったんですか。

上田  4年間です。最後の年に入学してきた子のパパがシングルファーザーだったのでPTAに誘いました。「次のPTA会長はお前ね」と言って(笑)。ノウハウを全部叩き込んで自分は卒業しました。パパがPTA会長をやっていたら、その子どもの周りの子たちも注目します。気にかけてくれることが増えます。頭下げてお願いをしてはいないんだけど、学校と絡む機会が増えて、「パパ頑張ってるね」って、いろんなお母さん方が声をかけてくれます。一石二鳥なんですよね。学校のこともわかるし、自分の子どものことも見てもらえるようになる。多少面倒くさくても、PTA活動に関わっておいたほうがいいとアドバイスしました。

入会の意思確認がないことへの疑問から

吉田  その4年間でPTA改革を進めるわけですね。そのきっかけは何でしたか。

上田  自分が執行部に入った年に「執行部はみんな入学式に出てきてください」と言われたんです。当時のPTA会長が保護者の方々を前にして、「今日から皆さんPTA会員です」というところから始まりました。

 ちょっと待ってよ。組織の説明も何もしていないし、入会の確認もしていないのに、突然「今日からPTA会員です」と言われるんです。病院だとインフォームドコンセントが求められます。点滴1本するのでも説明が必要なんです。ちゃんと説明しなかったら訴訟にもなってしまいます。けど、子どもが学校に入ったら、なんの説明もなしに「今日からPTA会員です」と。これはダメだと思い、いろいろと調べ始めました。

吉田  では、会長になる前からいろいろと考えていたんですね。

上田  そうです。入会の意思確認はちゃんとしないとダメ。これは訴えられたら負ける可能性もあります。PTAは任意団体なのに団体の説明会で入会の意思確認をしてないんです。確認していないのに何で訴訟が起きないのかなと思ってネットで調べると、異議申し立てられているPTAをいくつか見つけました。やっぱりみんなおかしいと思っているのかと思いましたよ。ただ、北海道内を調べたら1つもありませんでした。なので、執行部にちゃんと入会の意思確認をしようと言いました。退会規定もちゃんと盛り込んで規約改訂をする。そこを変えなければいけないと思ったんです。

 ただ、当時のPTA会長には言えませんでした。それ以外の副会長のママたちに、自分が会長になったら入会意思確認を取りたいと話をしたら、校長先生だけがちょっと理解はしてくれましたが、それ以外はみんな断固反対でした。そんなことはやめてくれと。

吉田  一番やらなければいけないことは入会意思確認を取るということですね。

上田  世の中で入会意思の確認をしない組織ってPTAか反社会的勢力くらいです。PTAは任意団体で保護者と先生で作っている団体です。そこが社会のルールを守っていないのに、どうやって子どもたちにルールを守れと言えるのか。この組織を子どもたちにどう説明をするのか。子どもたちの前で胸を張れるのか。ママたちからは、「どこの学校もこうだよ。なんでうちだけ波風立てるの?大人しくしていれば6年間でみんな卒業していくのに、うちだけ荒波を立ててまで改革をしなければいけないの?学校では給食費を払ってない家庭に頭を下げて払ってもらっている。『PTAは任意だよ』と言って、本当に『PTAに入らない』と言われたらPTA会費が集まらなくて活動ができなくなる」などと言われました。ただし、当時の校長先生に「入会の意思確認をチェックします」と言ったら、「そうだよね。元々そういうもんだから、それでいいんじゃないですか」と校長先生は賛成してくれました。PTA執行部は基本的には反対でしたが、「原点から考えるPTA検討委員会」という委員会を作って1年間議論し、PTA組織の何がだめなのかをみんなで考えました。

吉田  保護者もPTAの組織や活動が当たり前のことと思いながらやってきたと思うので、おそらく何がダメかもわかってないんですよね。

上田  そうなんですよ。そこには、執行部も教師も一般の保護者にも参加してもらいました。「おかしなことがこれだけあります。戦後70年間続いてきたいまの時代に合わない活動もあります。これを全部見直して、当たり前の組織にしていきましょう」と皆さんに伝えました。この委員会を立ち上げたときに、ホームページとブログも立ち上げました。これは自分の身を守るためです。いろいろと調べると同じような考え方のPTA会長がことごとく潰されていました。同じ札幌市東区でも同じことを志したPTA会長がいたんですが、「上田さん大変なことになるよ」と言われました。なので、情報をしっかりと全国に発信をして、簡単に潰されないようにしました。マスコミにも知らせて検討委員会の取材をしてもらいました。「札幌のシングルパパさんがこんなことを始めた」とローカルテレビでしたが、特集を4弾にわたって放送してくれました。

吉田  そこでシングルファーザーというのも生きてるんですね。それが1年間経てどうなりましたか。

上田  最終的には、総会に議案を提出して、入会の意思確認をするとともに、委員会をすべて廃止しました。ボランティアが集まらないのに、そんなことをしたらもっと集まらないのではないか、という意見もありましたが、そういう形にはならないようにやり方を全部変えました。役員にはなりたくないけど、当日時間があったらボランティアに出るのはOKという声もアンケートで多くありました。要は仕事を休んだりしないといけない定期的な会議が嫌なんですね。子どものことなのでPTA活動に関心がないわけではない。いまは共働きが多く、介護をしながら子育てしている家庭もあります。各家庭に様々な事情がある中で、強制的な形で役員をやらせるのはダメでしょう。「子どもたちのためにこんなことやりたい」という声はどんどん上げてきてほしいと言いました。

 すると、保護者から自然と上がってくるようになりました。自由を担保にすると自主性が保たれます。義務的な活動は一切なく、これまでやっていた校庭の花植えなども一旦全部やめましたが、その後再び保護者から、義務的なものではなく花植えを再開したいという声が上がってきたので、予算をつけるからやろうということになりました。

吉田  保護者の意識がポジティブになりますよね。

上田  うちのPTA改革に乗り出す1年前に岡山西小学校がPTA会長さんの掛け声のもと、PTA改革を断行し、入会の意思確認をして委員会を全部廃止したんです。その情報をネットで知って、すぐにそのPTA会長さんにメールをして、情報交換させてもらいました。そこでは、PTA自体が腐敗をしていて、上部団体との関係が悪かったり、問題がいっぱいあったそうです。その問題を解決するためにPTA改革をしたという口実があったわけです。

 しかし、うちのPTAは、ある意味何の問題もなかったんです。突然、上田が会長になって始めちゃったわけです。地域ともうまくいってたし、上部団体ともうまくいってました。自分もPTA会長になってから、上部団体の会合に参加して、各小・中学校のPTA会長に会って、改革について話したら、みんなから大バッシングを受けました。「子どもが会員なのではなく、あくまで会員・非会員を決めるのは親の判断。子どもたちが差別されたらどうするんだ」と。町内会も本当は任意加入なんですよね。だから、小学校の次は町内会ではないかと敵視されましたね。

吉田  結果どうなったんですか。上部団体との関係は。

上田  上部団体とつながっていなくても組織としてやっていけるから脱退しようという話にもなったんですが、メリットもあったので上部団体にはそのまま残りました。

PTA改革をしたら活動はより活発に

吉田  任意加入を明確化したことで、PTAの加入率はどうなりましたか。

上田  任意加入を徹底すれば2割くらいは入らないだろうと思っていました。残り8割の人数でできる活動にすればいい。けど、蓋を開けたら加入率は95%でした。

吉田  クラスに1人いるかどうかですね。

上田  残りの5%は非会員ということになりますが、一切PTA活動に参加しないわけではなく、イベントのときにボランティアに来てくれることもあります。半強制の頃よりも活動は活発になりましたね。

吉田  非会員の理由は何ですか。

上田  「めんどくさいから入会しなかった」とか「組織に縛られたくない」というのもありました。ただ、「子どものために何かあるなら手伝う」というスタンスです。

吉田  入っていないことで逆に関わろうと思う気持ちが出てくるのかもしれませんね。

上田  親が共働きだったり、学校の行事にも出られない状況だと、入らない選択もあるのだと思います。ある意味そうした理由も許容するということです。

吉田  PTA活動自体、元々はそうしたボランティアに支えられた活動だったんですよね。

上田  歴史を紐解くと、PTAは戦後、マッカーサーの占領時代に民主主義を日本に定着させるために作ったのがきっかけです。その後、60年も70年を経て、気づいたら上部団体が巨大な組織になっていました。

吉田  共働きがスタンダードになる中で、PTAをある意味作り直していかないといけない時代にもなってますよね。

上田  市町村教育委員会がPTAについて任意加入をきちんと表記しているケースもあります。教育委員会はあくまでもPTAとは関係がないという立場ではありますが。

 自分が会長をしているときに、北海道のPTA協議会の会合がたまたま稚内であったんです。札幌市のPTA協議会の会長も来ていましたが、幹部連中をロビーに連れ出して、「自分が行っている改革をどう思うか」と聞いたこともあります。当時の札幌市の教育長からは、「札幌市教育委員会が関わっているのは連合会などの上部団体までで、その下の小・中学校は自主団体なので自分の管轄ではない」という主張でした。各小・中学校で何か起ころうと教育長は関係がないということなんです。

 2016年に娘が行っていた中学校でもPTAは任意団体として明確にしてもらいました。娘が中学校に入学するときに当時の校長とPTA会長に「PTA改革する気ありますか?」と聞いたら、あまり乗り気じゃないので、「私総会出ますよ。入会の意思確認について聞きますよ。総会大混乱しますが、いいですか?いますぐは無理でも準備して来年度ちゃんとした組織にしていきましょう。私はPTA会長でも執行部でもないけど、総会とか委員会に出ます。そこで自分の主張を常にしていきますよ」という話をしたら、PTA会長が「規約を見直しましょう」という発言をしてくれて、のちに臨時総会で規約を変えて、任意団体の明確化と、入会の意思確認をする入会届が作られました。

吉田  保護者にはまずは問題として認識してもらうことが必要ですね。

上田  校長とPTA会長宛には毎月要望書を個人名で出していました。「いまのPTAにはこういう問題がある。どう考えていますか?ご回答をください」みたいな感じです。

 広報委員をやっていたので、執行部ではないですが、PTAの会議には参加していました。司会よりも会長よりもいつもしゃべってましたね(笑)

吉田  この任意加入の動きは今後どうなっていくと思いますか。

上田  もうあまり広がらないとは思います。ものすごいエネルギーが必要になるんです。当たり前のことをやろうとしているけど、町内会とのつながりや、上部団体とのつながりだとか。町内会だと、そこを地盤にしている道議会議員や市議会議員とつながっていたりする。政治とのしがらみもあります。そこを断ち切ってまで改革をしようと思ったら、やろうと思う人がいないと思います。

吉田  確かに政治家の方で元PTA会長は多いですよね。

上田  上部団体の会長になる人が意識の高い人で、上から小・中の各PTAに向けて情報発信をして、「ちゃんとした組織を作ろう」と呼びかけない限りは、下からだと難しいですね。

吉田  宥和的に段階を踏んで進んでいかないと、いきなり下から突破していこうとしたら、四面楚歌に遭う可能性もありますよね。上田さんが取り組まれたように、1年間かけて準備をして、周りの人たちの意識も変えつつ進めていくというのが、やり方としては一番理想的だと思います。

上田  ただ、自分の思想が浸透しているのは次のPTA会長の代までですね。そこが卒業したらまた戻る可能性もあります。自分の次の会長や執行部の皆さんはきちんと任意加入について説明してくれていました。その代が卒業した後に同じことができるかというと、難しい面もあります。「どうしてPTAは任意加入なのか」を定着させるためには、10年くらいはかかるかもしれませんね。

(後編に続く)

労働・子育てジャーナリスト/グリーンパパプロジェクト代表

1977年7月東京生まれ。2003年3月日本大学大学院法学研究科修士課程修了(政治学修士)。労働専門誌の記者を経て、12年7月から2年間ファザーリング・ジャパン代表。これまで内閣府「子ども・子育て会議」委員、厚労省「イクメンプロジェクト推進委員会」委員を歴任。現在、内閣官房「「就学前のこどもの育ちに係る基本的な指針」に関する有識者懇談会」委員、厚生労働省「子どもの預かりサービスの在り方に関する専門委員会」委員、東京都「子供・子育て会議」委員などを務める。3児のシングルファーザーで、小・中・高のPTA会長を経験し、現在は鴻巣市PTA連合会会長。著書「パパの働き方が社会を変える!」(労働調査会)。

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