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バドミントン・世界選手権で準優勝の奈良岡功大、ポスト桃田賢斗だ!

楊順行スポーツライター
写真は2023年ジャパン・オープン(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

「(決勝進出は)自分でも正直びっくりしています」

 バドミントン・世界選手権の男子シングルス。準決勝で世界ランキング(WR)12位のデンマーク選手を下し、この大会では自身初の決勝に進んだ奈良岡功大は声を弾ませた。男子シングルスの日本勢では過去2018、19年と連覇した桃田賢斗以来の決勝進出だ。バドミントン界は、来年のパリ・オリンピックに向けて厳しい代表争いの真っ最中。日本の男子シングルスをリードするのは、WR4位の奈良岡功大だ。かつての絶対王者・桃田が、WR42位と不振を極めるなか、男子シングルスのエースといっていい。

 6月に取材したとき、奈良岡は自分の現在地について、

「1年前の自分からは……ちょっと想像できないですね」

 と語っていた。1年前の6月7日、WRは42位にすぎない。それが6月以降は、世界バドミントン連盟(BWF)ツアーでもグレードの高いシンガポールオープン(OP)や台北OPで続けて2位に入り、年末には年間の獲得ポイント上位8人のみが出場するBWFツアーファイナルズで、ベスト4入りした。今季も、年初のマレーシアオープンで2位に入ると、安定してベスト4、ベスト8入りしている。

 飛躍のきっかけは、22年5月の日本ランキングサーキット(RC)だ。21年に準優勝だったこの大会で初優勝を飾ると、日本B代表からA代表に昇格。それにより、高いグレードのワールドツアーに優先的に出場できるようになった。そこまでも、国別対抗団体戦・トマス杯のメンバーに選ばれ、各国のトップレベルが出場するタイOPでも4強入りしていたように、A代表と遜色ない力はあった。名実ともに日本トップの一員となり、ポテンシャルが開花したわけだ。奈良岡はいう。

「世界のトップクラスと試合をすると、ああ、この球が決まらないのか、こんなところに打ってくるのか、と吸収しながら自分がレベルアップできる。A代表になってスケジュールは過酷なんですが、高いレベルの相手と試合できることが大きいですね」

金メダルへ、異例の活動形態を選択

 青森市立浪岡中学校時代は、全国中学選手権の男子シングルスを1〜3年と3連覇し、日本を背負う大器といわれた。浪岡高時代はインターハイで1、2年と準優勝し、3年でついに全国制覇。五輪金メダルへの登龍門といわれる世界ジュニア選手権でも、17年は銅、18年は銀メダルを獲得している。

 20年、日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科に進学。ただバドミントン部には所属せず、国際大会に重点を置くという異例の活動形態を選択した。当時のことを奈良岡は、こう語っている。

「日大のキャンパスには、アリーナや最新のトレーニング機器がそろっていて、体づくりの環境が整っていたのが魅力でした。また、見城忠昭監督が、自分の思いを理解してくれたことも大きかったですね。自分の夢はオリンピックの金メダルで、それにはまず世界ランキングを上げることが重要になる。国際大会に重点を置けば、大学の大会にはあまり出られないかもしれない。それでも、"自分の優先したいことを優先していい"と」

 ただ——大学に入ってみると、世はコロナ禍真っ只中である。ワールドツアーばかりではなく国内大会ものきなみ中止。ツアーが少しずつ再開しても、B代表の奈良岡が出られる大会はごく限られていた。実戦の機会を求めて、21年春には関東大学リーグに出場。日大のリーグ優勝に貢献した。

「だけど、RCでは2位……。決勝では、1ゲームを先に取りながら負けたのがすごく悔しくて、よりいっそう練習しましたね。大学の寮に泊まり込んだときは、隣接する体育館で夜11時、12時くらいまで。ただ海外に出られない分、モチベーションの維持がむずかしかった。同年齢で、自分といい勝負をしてきたクンラウット・ウィチドサルン(タイ)が大きな大会で活躍しているのを見て、"もし自分が出られていたら、同じくらいできるはず"と励みにしました。国際大会に復帰したとき、弱くなったと思われないように(笑)」

 昨年秋には、A代表入りして過酷なスケジュールの合間を縫い、関東学生リーグにも参戦。むろん、世界トップ級なのだから3戦全勝でまたも日大の優勝に貢献したが、

「チーム戦なので、プレッシャーはすごくありますよ。まして自分は、勝ちを計算されているわけですから。でも個人戦とは雰囲気も違えば、大学独特の雰囲気で盛り上がりますし、個人戦より楽しいですよね」

 世界選手権決勝では、ずっと意識してきたクンラウット・ウィチドサルンと対戦。1ゲームを先行しながら逆転される悔しい負け方だったが、それでも日本のエースとして期待度はますます高まる。パリ五輪へ、

「これからも体調を維持し、ケガをしないように注意しながら、1大会でも多く上位に進みたい。そうすれば結果はついてくると思います」

 21年に開催された東京五輪は、授業や自分の練習もあり、ほとんど見ていない。

「それと、自分は試合ができないのに……と思うと悔しくて(笑)」

 今度は、奈良岡本人が見られる立場になるはずだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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