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夏の甲子園/第7日の雑談 2年続けての対戦は仙台育英が勝利。昨年準決勝の裏話を……

楊順行スポーツライター
仙台育英・須江航監督(撮影/筆者)

「とても強かった。思っていたよりさらに強かった。土俵際まで追い込んでもまた粘る。勝てたのは時の運です」

 結果的に8対2で勝利したが、中盤まで3対2と、どちらに転ぶかわからない試合を,仙台育英(宮城)・須江航監督はそう振り返る。敗れた聖光学院(福島)、前年覇者をそれほど苦しめた。

 実はこの両者、昨夏の甲子園でも準決勝で激突している。いまは立教大でチームメイトとなった育英のエース・齋藤蓉、聖光のエース・佐山未來に、昨年の対戦を振り返ってもらったことがある。

 聖光学院は初戦、日大三(西東京)に4対2と逆転勝ち。その後も横浜(神奈川)、敦賀気比(福井)、九州学院(熊本)と難敵を下してベスト4に進出した。佐山はいう。

「ベスト8を争うヤマでは日大三、三重、横浜、興南(沖縄)、敦賀気比の5チームに全国制覇歴があって、死のブロックといわれていたんです。僕自身もあまり調子がよくなかった。ただ実際には、"勝てるわ"と思いながらやっていましたね。それでも、いま親が当時の試合を見ているのを横で眺めると"あんな強い相手に、なんで勝てたんだろ"と思います」

内心は当たりたくなかった

 2回戦から登場の仙台育英は大会第6日、鳥取商に10対0と大勝する。ヒジの故障で宮城大会未登板だった斎藤蓉は、この試合が久々の実戦登板だった。

「7月頭に左ヒジを痛め、宮城大会開幕まではずっとリハビリで病院通いです。ピッチングもほとんどせず、そろりそろりと投げ出したのは大会が始まってからで、決勝のころにやっと、"投げられるかな"という状態でした。だから、甲子園の初戦が6日目と遅めだったのはよかったですね」

 この試合で上々の試運転をすませると、チームは明秀日立(茨城)、愛工大名電(愛知)に勝って4強。こうして、大会史上初めての東北勢の準決勝が実現するわけだ。佐山はいう。

「自分たちは準々決勝の第4試合だったので、(そこまでの抽選結果から)勝てば育英と準決勝というのは試合前からわかっていたんです。毎年恒例の夏前の練習試合ではボコボコにされていましたが、それを忘れてぶつかっていくしかない、と思っていましたね」。だが斎藤は、「強いところに勝ってきて、勢いのある聖光とやるのは内心、イヤだった」と振り返る。

 その準決勝、斎藤は登板しなかったが、初回に聖光が先制。だが2回表、仙台育英の打線に火がつくと、振り逃げや守備のミスも重なって一挙11点。終わってみれば18対4で大勝した仙台育英が、全国制覇まで駆け上がることになる。

 そして1年後の再戦は、またも育英が8対3で制す。前年の優勝を経験している選手が多く残るチームらしく、スキのない戦いぶりだった。だが、須江監督はフンドシを締め直す。

「1回戦(浦和学院・埼玉)、2回戦ととても強い相手と当たり、素晴らしい試合をさせてもらい、次がまだ3回戦なんだな、という感じです」

 須江監督、そして育英ナインが口をそろえる「2度目の初優勝」、つまり夏連覇まで、あと4つ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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