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[甲子園]勝敗の分水嶺/第6日 打順変更が裏目に出ても、やっぱり明徳・馬淵節はおもしろい

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 打順の変更はむずかしい。ときとして望外の結果をもたらすこともあれば、空回りもする。7月にあった社会人の都市対抗では、優勝した昨年とまったく同じ打順で臨んだ東京ガスが、連覇はならなかったものの決勝まで進んだ。つまり、うまく回った打順をまったくいじらないのもひとつの手である。

 だが、百戦錬磨の明徳義塾(高知)・馬淵史郎監督は、難敵続きだった高知大会からの打順を変えた。

「高知では、調子のよかった本田(凪沙)を三番にしていたんですよ。それがここにきて調子を崩していたので、春までのレギュラーだった河村(僚也)を使おうかとも思った。だけど最終的に、本田を起用するかわりに打順を下げ、その分高知大会の四、五、六番を順繰りにひとつずつ上げました」

 つまり、高知では本田、田中晴太、寺地隆成だったクリーンアップを田中、寺地、池邉由伸という並びにしたわけだ。

 九州国際大付(福岡)との1回戦。接戦となった。明徳打線は「下が硬いから、低い当たりを打って行けと指示したけど、こするようなフライばかり」(馬淵監督)と、微妙に球を動かす九国・香西一希を打ちあぐむ。明徳も、変則左腕・吉村優聖歩が、福岡大会3本塁打と注目の2年生スラッガー・佐倉侠史朗を完全に牛耳るなど、好投を続ける。

 先制は明徳だ。3回、1死二塁から井上航輝が中前へタイムリー。だが九国もその裏、死球を足がかりに小田原義が同点タイムリーを放つと、4回には無死二塁から黒田義信の三塁内野安打に三塁手の悪送球も重なって勝ち越した。試合はそのまま進み、屈指の好カードは2対1。九国が制した。

 20回目の夏の甲子園で、2度目の初戦敗退となった馬淵監督はいう。

「1点を先制した3回、なおも1死一、三塁のゲッツーで完全に流れが変わりました。あそこで追加点を取っていればまた、違った展開になっていたかもしれません。四番にした寺地は2安打だから合格だけど、その寺地の前にランナーがいないのもいかん」

 3回、1死一、三塁からの併殺打は、三番に上げた田中のバッティング。寺地の前に走者がいないことも、つまり、打順変更が裏目に出たことになる。

早く、うまい魚を食いたいわ

 コロナ下で、この夏もリモート取材が続くが、テレビで中継されているような感覚だから、どうしてもよそ行きなやりとりになるし、込み入った話は聞けない。やはりこの人とは、対面で話したかった。とにかく、おもしろいのだ。

「試合中は暑さを感じないね。それだけ集中しとるんやろうね、アドレナリンが出て。それでなきゃ、ピッチャーもあんななかで投げられんわ。でも試合が終わって気がついてみたら、パンツまでびっしょりや(笑)」

 と話してくれたのは2019年、歴代4位タイの甲子園51勝目を記録した藤蔭(大分)戦のあとだ。ほかにも02年、優勝したあとには、

「もう長いことこっちにおるからね。早く高知に帰って、うまい魚を食いたいわ」

 1998年、松坂大輔(元西武ほか)の横浜(東神奈川)に、6点リードから大逆転負けを食らった話を聞いたときには、

「負けて聞く横浜の校歌が長くてなあ」

 でも横浜の校歌、いいですよねぇと応じると、

「明徳もええよ」

 どんなんでしたっけ、と問うと、フルコーラス歌ってくれたこともある。思い出した。少年時代、三沢(青森)との延長18回引き分け再試合を制して優勝した地元・愛媛の松山商にあこがれ、ぜひ行きたかったと聞いたときにも、松山商の校歌を歌ってくれたのだ。

 優勝して「うまい魚を……」と語った02年から、ちょうど20年。

「失点は計算できるし、打線も上向き。可能性のあるチームだと思っていたんですが……1点差は、監督の差でしょう」

 リモート取材でも、やっぱり馬淵監督である。きちんと、オチはつけてくれた。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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