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夏の甲子園。この名勝負を覚えてますか 2021年/大会史上初、横浜の1年生が劇的サヨナラ逆転弾!

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

■第103回全国高校野球選手権大会 1回戦

広島新庄 2=000 010 001

横  浜 3=000 000 003

「打った瞬間、頭が真っ白。人生で一番いい当たりでした」 

 ヒーローは、そういう。横浜(神奈川)は、広島新庄に2対0とリードされた9回裏一、三塁のチャンスをつくるが、2者が凡退。打席には、1年生ながら強豪のショートを守る緒方漣が入った。

 ワンボールからの2球目。ストレートを振り抜くと、レフトポール際に伸びた白球が左翼席ではねた。アウトになればゲームセットという場面での、逆転サヨナラ弾。なんでも、1年生では大会史上初の快挙らしい。

「1年生からショートで一番。プレッシャーもあると思いますが、動じない。明るく元気よく、上級生にも声をかける人間力があり、やってくれるのではないかと思いました」

 甲子園初采配だった横浜・村田浩明監督は、1年生の快挙を淡々と振り返った。

歴史は繰り返す。ライバル・相模に追いつけ

 横浜が、夏の甲子園に出場するのは3年ぶりだった。

 神奈川の両横綱といえば横浜と東海大相模だが、近年は相模が11年春、15年夏、21年春と優勝しているのに対し、横浜の直近の優勝は06年センバツ。甲子園には出るものの藤平尚真(現楽天)、増田珠(現ソフトバンク)、万波中正(現日本ハム)、及川雅貴(現阪神)らがいても3回戦進出が最高だった。近年の実績では、相模が圧倒的だといっていい。

 さらに19年秋には暴力事件が発覚し、前監督らが解任。強豪の看板が色あせかねないピンチに、渡辺元智・元監督から再建を託されたのが、20年春に就任した村田監督である。

 横浜高2年だった03年センバツでは、1学年上の成瀬善久(元ロッテほか)、同学年の涌井秀章(現楽天)の二枚看板を支え、捕手として準優勝を経験。04年、脳梗塞で入院した渡辺監督不在のチームを、主将として夏の甲子園に導いた人間力に、恩師はそのころから「指導者になれ」と道を示していた。

 ただ、監督として母校に戻ると、すっかり様変わりしていることに愕然とする。むろん、時代とともに変わるのは当然だが、自分を育ててくれた横浜野球の規律や緻密さなど、いい部分までもが薄れてしまっている。

「だからいまは、組織をしっかり確立できるようにしているところです」。村田監督からそう聞いたのは、夏前のことだった。

 母校を指揮しての初めての神奈川大会を制し、甲子園に乗り込む直前には、チームのムードに危機感があったという。晴れ舞台でプレーできることに浮かれていたのだ。打った手は、大阪入りする8月6日の朝8時からの練習試合。高校時代の1学年上で、金沢(神奈川)を指揮する吉田斉監督(03年センバツ準優勝時の主将)に頼み込んでのことだ。本番を想定した試合で選手の気を引き締める手綱さばきだった。

 夏の大会前、村田監督はこんなふうにもいっていた。

「恩師の渡辺監督は、原貢監督(原辰徳・巨人監督の父)の相模にずっとはね返され、横浜が強い時代は、相模の門馬敬二監督が横浜を追いかけました。歴史は繰り返すといいます。今度は私が相模を追う番なんです」

 広島新庄との一戦では、愛甲猛(元ロッテほか)以来といわれる1年生の背番号1・杉山遙希が救援で勝利投手に。ほかにも下級生が多くいた横浜は2回戦、準優勝する智弁学園(奈良)に敗れたが、初戦のヒーロー緒方は「智弁さんのように、余裕を持った選手になって戻ってきたい」ときっぱり。

 昨年の秋はコロナ感染で無念の辞退をした横浜だが、経験者が多く残るこの夏の神奈川ではもちろん、優勝候補の一角だ。広島新庄戦の劇的な勝利が、強豪復活のプロローグになるか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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