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夏の甲子園。この名勝負を覚えてますか 2017年/春夏連覇狙う大阪桐蔭が仙台育英に……

楊順行スポーツライター
2017年まで仙台育英を率いた佐々木順一朗監督(写真:アフロ)

■第99回全国高校野球選手権大会 3回戦

大阪桐蔭 1=000 000 010

仙台育英 2=000 000 002

「審判の方と目が合ったんです。で、"踏んでません"と訴えた」

 と、仙台育英(宮城)の一塁ベースコーチ・佐藤令央。1点を追う9回裏、2死一、二塁。若山壮樹の打球は平凡なショートゴロとなった。万事休す……。

 2017年夏の甲子園。大会の興味は、センバツを制した大阪桐蔭の春夏連覇なるか、あるいはどこが止めるか、だった。

 なにしろメンバーがすごい。エースは徳山壮磨(現DeNA)で、根尾昂(現中日)、藤原恭大(現ロッテ)、柿木蓮(現日本ハム)らの世代がまだ2年生。センバツでは、同じ大阪のライバル・履正社を決勝で下し、この夏も米子松蔭(鳥取)との初戦を突破すると、難敵・智弁和歌山との2回戦は、徳山が12安打を浴びながら2対1と守り勝った。

 3回戦。育英・長谷川拓帆、桐蔭・柿木の好投で0対0の8回、桐蔭が中川卓也のタイムリーで1点をもぎ取る。その裏の守りは、2死一、二塁から本塁を狙った長谷川を、レフトの山本ダンテ武蔵が好返球で刺した。やはりこのときの桐蔭、守りが出色だ。

 そして、9回。2死走者なしからヒット、四球で柿木がピンチを招くが、続くショートゴロで試合終了……のはず、だった。だが、しかし。

9割はあきらめた。でも10割ではない

 ゴロを処理した泉口友汰は、二塁で一走を封殺するのではなく、一塁送球を選択する。おそらく、打球を処理した姿勢の流れもあったのだろうが、育英・佐々木順一朗監督が「二塁へ投げると思っていた」ように、一塁を守る中川にもちょっと意外だったのではないか。

 そのため、ベースへの戻りが遅れ、あわてて右足でベースを探す。だが、見つからない。ベースコーチの佐藤は、それをしっかり確認していた。そして打者走者が全力で一塁を駆け抜けると、塁審と目を合わせるわけである。

 記録上は中川のエラー。ここまで守り勝ってきた桐蔭だが、中川は秋まで二塁や三塁を守っており、一塁手としての経験の浅さも気の毒だった。

 いずれにしても、ゲームセットのはずが2死満塁のピンチ。天と地の違いに、マウンド上の柿木は動揺を抑えられない。続く馬目郁也は、9回の守備から出たばかりだが、甘い棒球をとらえた打球はセンターの頭上を越え、悪夢のようなサヨナラ負けだ。

「最後は9割くらいあきらめていました。でも、10割まではあきらめていなかった」

 と佐々木監督。大きかったのは、9回2死からヒットで出た杉山拓海が、次打者・渡部夏史のときに決めた二盗ではないか。

「いいえ、ノーサインですよ。僕はつねに"自由にどうぞ"ですが、杉山には驚かされました」(佐々木監督)。もしアウトなら試合が終わってしまう場面での、大胆な盗塁成功。この同点のランナーは柿木には大きな圧となっただろう。渡部が四球で続き、2死満塁から馬目のサヨナラ打につながるわけだ。佐々木監督はいう。

「いやあ、どこが桐蔭を倒すかという大会で、まさかウチとはね」

 ちなみに……柿木らが3年になったこの翌年、大阪桐蔭は史上初めて2度目の春夏連覇を達成する。夏、最後のマウンドにいたのが柿木だ。ピンチになると、投の両輪だった根尾は、「リリーフしようか?」とあえて1年前の屈辱的なサヨナラ負けを思い出させたそうである。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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