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夏の甲子園。この名勝負を覚えてますか 2012年/驚異のドクターK・松井裕樹

楊順行スポーツライター
桐光学園時代の松井裕樹。フォームは変わっていませんね(写真:アフロ)

 7月に入り、高校野球の地方大会はこれからが本番。それに合わせて、『高校野球ドットコム』というサイトにここ10年ほどの甲子園名勝負を書かせてもらっている(https://www.hb-nippon.com/column/2333-suko2022/15736-20220628no1183)。ここでは、個人的に印象に残った夏の名勝負を、過去10大会のうちから紹介する。

 2012年の夏といえば、なんといっても松井裕樹(桐光学園・神奈川、現楽天)が印象的だ。今治西(愛媛)戦では、大会新記録となる22、常総学院(茨城)戦は19三振。2試合での最多奪三振記録も更新した松井が、

「今日は打たせていこう」

 と思ったのは、浦添商(沖縄)との3回戦、初回だ。先頭打者・東江京介を追い込みながら、決めに行った122キロのスライダーを中前に運ばれた。

 浦添商・宮良高雅監督が授けた松井のスライダー対策は、2つ。打者が打席のもっともピッチャー寄りに立ち、スライダーの曲がりぎわ、落ちぎわをたたくこと。そして、通常より一足幅大きくスタンスを取り、ノーステップで打つこと。重心の上下動を抑え、変化の軌道についていく姿勢が、東江のヒットにつながった。

 それをすぐさま察知したから、

「打たせていく。ストライク先行で追い込めば、打者は厳しいタマにも手を出さざるをえなくなる」

打たせていっても12奪三振!

 事実、続く大城利修は2ストライクから138キロのストレートを、宮里泰悠はワンボールから124キロのスライダーをいずれも右飛。ライトの植草祐太にとって実は、甲子園に来て初めてのフライ処理だった。そこまでの2戦はレフトを守ったが、一度もフライが飛んでこなかったのだ。植草がいうには、

「松井が調子いいときは、外野フライはほとんど飛んできません。レフトなら、右打者はまず引っ張りきれないし、左打者が流した打球もせいぜい内野の後ろまでですから」

 そもそも松井は、アウトの大部分を三振で奪うから、打球が前に飛ぶことが少ない。初戦は外野のフライアウトがなんと0、2回戦は2。それがこの日は、初回ですでに2つということは、スピードを抑えても「打たせて取る」この日の松井を如実に示している。ただし初回の奪三振は0。2試合続けていた毎回三振が、早くも途切れたのだが。

 松井の三振見たさに詰めかけた4万6000の観衆にとってはちょっと拍子抜けかもしれない。それでも、松井がつねに口にするのは「三振を取ることが目標じゃありませんから」。むろん、場面によっては三振がほしいこともある。3回は、内野ゴロなら万が一のミスもありうる2死三塁のピンチ。ここで宮里から、124キロのスライダーでこの試合初めての三振を奪うと、「待ってました」とばかり球場が大歓声に包まれる。その拍手が後押ししたのか松井は、6回までに6個の三振を積み上げた。

 4対0とリードの8回。先頭の照屋光が、「スライダーが落ちる前にとらえて」(照屋)左翼席に運ぶと、松井の奪三振機能が発動した。この日最速の145キロ直球で大城翔を仕留めると、3者連続三振だ。いずれも決めダマは、真っ向勝負のストレート。しかも序盤より増した球速に、球場は大きくどよめいた。

「点差はありましたが、あのホームランで110パーセントにギヤを入れました」

 という松井は、9回の3つのアウトもすべて三振と6者連続三振で締め、合計12三振。3試合連続の2ケタ三振と風格を見せつけ、桐光学園に初めての8強進出をもたらした。野呂雅之監督は、「不利なカウントからでもストライクを取れるようになったのが、大きな成長」と評価している。続く光星学院(現八戸学院光星・青森)は、0対0の8回、3失点して敗れたが、15奪三振。奪三振率は17に達し、1大会通算68奪三振は夏の甲子園では左腕投手として史上1位となった。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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