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東浜巨が「ノーノー」で快挙ラッシュのプロ野球。ところが春夏の甲子園では……

楊順行スポーツライター
沖縄尚学時代の東浜巨(写真:アフロ)

 ソフトバンクの東浜巨投手が、10日の西武戦で日本プロ野球史上84人目のノーヒット・ノーランを達成した。四球の走者2人を出しただけで、後続をいずれも併殺に打ち取る打者27人での達成。なんでも、残塁0で打者27人の快挙は、完全試合を除くと史上4人目、1990年の柴田保光(日本ハム)以来のことだという。しかも投球数97の"マダックス"。100球未満での達成となると2006年山本昌(中日)以来、パ・リーグではこれも柴田以来だ。

 東浜の完封で思い出すのが、2008年の第80回記念選抜高校野球大会だ。沖縄尚学のエースとして勝ち進むと、決勝では聖望学園(埼玉)を6安打完封し、チームを2度目の日本一に導いた。センバツ決勝での完封は98年、横浜(神奈川)の松坂大輔以来だった。

 東浜は当時から最速147キロに達していたが、このセンバツでは5試合41回を投げて奪三振26と、決して力で牛耳るタイプじゃなかった。それでも自責点3の防御率0・66は、持ち前のクレバーさによる。

 スライダーにカーブ、2種類のツーシーム……と、多彩な変化球を操るのは、漢検準2級に合格していたというクレバーさだ(ちなみに、東浜のツーシームは進学した亜細亜大に脈々と受け継がれ、亜大出身の投手が投げるツーシームはよく似ているのだとか)。

 2回戦で敗れた明徳義塾(高知)・馬淵史郎監督は「打者をホーム寄りに立たせても、内角にズバッと来る」と、制球のよさに脱帽した。高校時代に東浜の球を受けたのは、1学年下の現DeNA・嶺井博希で、構えたところに投げてくる投球術に「バッテリーを組めて幸せです」と話している。

渋滞に巻き込まれ? 春夏連覇に挑めず

 春夏連覇も不可能じゃないといわれながらその夏は、沖縄大会の決勝で浦添商に敗れた。実はひどい交通渋滞に巻き込まれ、球場への到着が大幅に遅れたのだという。なんとか間に合ったものの、ナインの準備ができたのは試合前ノックのわずか5分前。集中する余裕もなく試合に入った東浜は変化球の制球に苦しみ、ストレートを狙い打ちされ、初回に5失点。2回以降は点を与えなかったものの、2対5で敗れている。

 ところで10日には、海の向こう・メジャーリーグでも、エンゼルスの左腕デトマーズがノーヒット・ノーランを達成したし、今季はロッテ・佐々木朗希の完全試合や中日・大野雄大の10回完全未遂など、大記録ラッシュだ。ところが、高校野球の甲子園ではとんとご無沙汰だ。

 直近の達成者をご存じか? 答えはダルビッシュ有(現パドレス)。04年のセンバツ、熊本工を相手に、12三振で達成した。夏となると、春夏連覇した98年の横浜・松坂が最後。決勝で京都成章を相手に達成した。この大会では、鹿児島実の杉内俊哉(元巨人ほか)も八戸工大一(青森)をノーノーに抑えているのだが、夏に限れば今世紀は達成されていないわけだ。

 過去、完全試合2を含む35回達成されている甲子園でのノーヒット・ノーラン。第1号は1916年、市岡中(大阪)の松本終吉だ(対一関中[現一関一・岩手])。中等学校時代で、正確には甲子園ではなく豊中球場での開催だった。

 ちょっと空いて27年夏に第2号が出ると、それ以降戦前だけで春夏合計16試合と、わりあいひんぱんに達成されている。戦後も50年代は6回、60年代に2回、70年代3回、80年代3回、90年代4回。それが2000年以降はダルビッシュのみだから、現在は最長ブランクを更新中だ。

 快挙ラッシュのプロにあやかり、久しぶりに甲子園でも大記録達成を見たいものだ。候補としては、センバツ優勝の大阪桐蔭をもっとも苦しめた鳴門(徳島)の左腕・冨田遼弥あたりに期待しているんだけど……。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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