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[センバツ]奥川のDNAを受け継ぎ、マーガードが星稜初のセンバツ4強に挑む

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

「星稜はセンバツではベスト4に進んだことがないので、ぜひ次も勝ちたいと思います」

 大垣日大(岐阜)との2回戦。天理(奈良)との1回戦で、右手人さし指のツメが「半分くらい」割れ、状態が危惧された星稜(石川)・マーガード真偉輝キアンだが、自己最速タイの141キロをマークするなどで初回を三者凡退で切り抜けると、6回を5安打1失点。エースとして、チームのベスト8進出に貢献した。

「(21日の)天理戦のあとはブルペンにも入らず、軽めのキャッチボール程度できのうもノースローでした。ただマニキュアを塗ったりして、指は痛くもなく違和感もないので、普通に投げられました。初回をゼロに抑えればリズムに乗れると思い、力を入れましたが、真っ直ぐの走りも変化球もよく、うまく球をばらつかせられたと思います」

沖縄の地から星稜にあこがれて

 オリックスの宮城大弥と同じ、沖縄・宜野湾ポニーズ出身で、U15日本代表も経験。星稜にあこがれたのは、14年夏の石川大会決勝で、9回裏に8点差を大逆転したのを知ってからだ。美東中3年だった19年夏の甲子園では、奥川恭伸(現ヤクルト)擁する星稜と、履正社(大阪)の決勝を生観戦。「星稜の準決勝後に、あの子が“見たい”と言い出して。ふだんはそんな子じゃないから、ビックリしました」と母の恵子さんはいうが、多くの高校から誘われたマーガードの心は、これで決まった。その19年12月には、沖縄合宿するチームに帯同した奥川から「甲子園を目ざせ」と激励されている。

 温暖な沖縄から北陸の地に移り、1年夏の独自大会で登板すると、秋の北信越大会では主戦の一角として東京都市大塩尻(長野)との準々決勝を5安打2失点で完投。その冬、初めて雪を見たときには「ビックリしたし、うれしかった」が、やはり寒いのは得意じゃない。

 昨年夏の星稜は、コロナ禍により無念のベスト8で辞退となったが、秋の北信越大会では、日本文理(新潟)の好投手・田中晴也との投げ合いを制するなど、チームを準優勝に導いている。

 本人によると武器は「打ち取るのと、三振を取るのと」2種類のカットボールで、「ベンチから見ていてもどちらかわからないので、打者は戸惑うでしょう。またどの球種でもストライクが取れます」とは林和成監督だ。

「奥川さんのような、勝てる投手が目標」

 というマーガード。センバツ8強は、その奥川もなし得ていない。そして、こちらも売り出し中である宮城のDNAも受け継ぎ、国学院久我山(東京)戦で星稜初のセンバツ4強に挑む。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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