Yahoo!ニュース

[センバツ]コロナのヤツめ。京都国際、無念の出場辞退

楊順行スポーツライター
2020年。センバツが中止となった(写真/筆者)

 コロナはどこまで球児たちを苦しめるのか。

 天候不良のため、第1日が中止になった第94回選抜高校野球大会。第2日第3試合に登場予定だった京都国際が、野球部内で13人のクラスターが発生したため、17日に出場辞退を大会本部に申し入れ、受理された。代わって、補欠校の近江(滋賀)が出場する。京都国際といえば、昨年の春夏も出場し、エース・森下瑠大らを軸に、夏はベスト4まで進んだ実力校。その森下が健在なだけに、なんともやりきれない。

「これまで一心に野球に打ち込んできた生徒を思うと、下したくない決断だった。生徒の命と健康、新型コロナの感染に苦しむ多くの人らを思い、出場辞退を決めた」

 17日に記者会見した朴慶洙(パク・キョンス)校長は、苦しい決断の理由をそう説明する。

 昨夏の第103回全国高校野球選手権大会でも、選手の新型コロナウイルス陽性が判明した宮崎商と、初出場で1回戦を突破した東北学院(宮城)が出場辞退。地方大会でも、センバツで優勝した東海大相模(神奈川)や、星稜(石川)などをはじめ、出場辞退が相次いだ。2020年には春夏の甲子園ともに中止となっており、コロナの影響は足かけ3年にわたる。

過去にもあった出場辞退

 春夏の全国大会に出場が決まっていながら、それを辞退したチームは、昨年以前にも16校あった。第1号は1922年、第8回全国中等学校優勝野球大会の新潟商だ。新潟商はこの年の北陸大会で、エース加藤昌助の活躍により敦賀商(現敦賀・福井)、富山商、新潟中、長岡中(新潟)を破って初めて代表となったが、その加藤が甲子園への出発直前に高熱と激しい下痢に見舞われ、とうてい出場はかなわない。見舞いにきた松田校長に対し加藤は「自分を除く10人のメンバーで出場を」と直訴したが、松田校長は首をタテに振らない。どうも、エース不在では惨敗が明白と考えたのがその理由らしい。

 結局新潟商は大会本部に棄権を申し出、北陸大会で準優勝した長岡中の代替出場案も出たが、大会直前だったためこれも断念。かくして史上初めて、選手の病気による不出場となった。ただし新潟商は、このときの代表も出場回数に含まれている。

 大会直前での辞退といえば、05年夏の明徳義塾(高知)もある。それも、第87回全国高校野球選手権大会の組み合わせが決まったあとのことだから、きわめて異例だった。原因は、野球部員の喫煙と部内暴力。4〜7月にかけての当該事案について、8月3日に主催者に匿名の投書があった。これが高野連への報告義務を怠ったとされ、翌日に出場辞退を余儀なくされたのだ。これを受け、高知大会の決勝で明徳に敗れた高知が急きょ代替出場したが、なにぶん急な話で、10日の初戦で日大三(西東京)に敗れている。

 代表決定から間をおかずに本大会が開かれる夏でも、出場辞退はほかに2校ある。39年の夏、東京大会では、帝京商(現帝京大高)が優勝したが、決勝で敗れた日大三中が、帝京商の未登録選手の出場を指摘。もっとも、日大三中でも、参加資格に抵触する選手の出場が露呈してダブル出場辞退。漁夫の利というべきか、早稲田実が代替出場し、ベスト8に進んでいる。

 出場決定から開催まで期間のある選抜高校野球大会では、不祥事の発覚などで過去12例の出場辞退があり、そのほかに福岡中(岩手)は28年と29年、選抜されながら、予算不足のため甲子園での本大会出場を辞退しているらしい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

楊順行の最近の記事