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甲子園にかつてあったラッキーゾーン。撤去後の第1号ホームランは30年前のセンバツ開幕戦、あの松井秀喜

楊順行スポーツライター
外野フェンスの手前に設けられた柵の向こう側がラッキーゾーン。写真は1977年夏(写真:岡沢克郎/アフロ)

 3月18日から始まる、第94回選抜高校野球大会。優勝候補の一角・大阪桐蔭は1回戦最後の第6日第1試合に登場する。ほかにも、新怪物と呼ばれるスラッガー・佐々木麟太郎(花巻東・岩手)ら、3人の2年生スラッガーや森下瑠大(京都国際)、越井颯一郎(木更津総合・千葉)、大野稼頭央(大島・鹿児島)、冨田遼弥(鳴門・徳島)ら、好投手が目白押しだ。

 さて。オールドファンなら、かつて甲子園球場にラッキーゾーンが設けられていたことをご記憶だろう。本来の外野フェンスの手前に柵を設け、その設置柵と本来のフェンスの間がそう呼ばれていた。「野球の華」といわれるホームランは、観戦のひとつの醍醐味だが、創設当時の甲子園は両翼340フィート(約104メートル)と、広すぎてホームランが出にくかった。で、ホームランを出やすくして人気を高めようと、両翼から左・右中間付近にいたるエリアの外野フェンス内側に金網を設け、ラッキーゾーンとしたわけだ。それが、1949年5月26日のこと。これにより、両翼は285フィート(約87メートル)と、17メートルほど狭くなったから、そりゃあホームランも出やすくなっただろう。

ラッキーゾーンでホームランが倍増

 高校野球でもこれを使用するのかが議論されたが、そもそも設置された金網はセメントで固定されていて、撤去はむずかしい……ということで、ラッキーゾーンがそのまま使われたこの年夏の甲子園では、ボールの品質改良もあってか、ホームラン数が前年の4本から9本に倍増している。

 ラッキーゾーンまでの距離はのち、両翼91メートルと広がったが、選手の体格と技術の向上、バットやボールの品質改良、金属バットの使用もあって、高校野球でのホームラン数は飛躍的に増加していく。いかに野球の華とはいえ、こすったような当たりでもラッキーゾーンに飛び込むのではちょっと興ざめだ。また1988年には、野球が夏季オリンピックソウル大会からの実施競技となり、国際競技規格への適合も求められ始めた。

 そのため、ラッキーゾーンは91年、プロ野球シーズン終了後の12月5日に撤去されることになる。撤去後の両翼の広さは、公称96メートル。そして、撤去後初めての92年センバツ。スタンドまで届く撤去後第1号ホームランを放ったのが、当時星稜(石川)の松井秀喜(元レイズほか)である。宮古(岩手)との開幕試合に登場した松井は、この試合で2打席連続本塁打、1試合最多タイ(当時)の7打点と大爆発している。試合のあと、ラッキーゾーンの撤去について聞かれた松井は、「僕には関係ありません」といったとか。

 取材者としては、ラッキーゾーン時代にはひんぱんにあったエンタイトル二塁打が、いまはほとんど見られなくなったというのが実感ですね。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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