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高梨沙羅は4位。ところで、V字ジャンプはある失敗から生まれたこと、知っていますか?

楊順行スポーツライター
高梨沙羅。平昌五輪の銅メダルに続くメダル獲得とはならなかった(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 北京オリンピックで、女子ジャンプ・ノーマルヒルの高梨沙羅は4位。残念ながら、2大会連続のメダルにはあと一歩届かなかった。

 ところで今日2月6日は、1972年、札幌オリンピックのジャンプ70メートル級(いまのノーマルヒル)で、笠谷幸生が金、金野昭次が銀、青地清二が銅と、「日の丸飛行隊」がメダルを独占してからちょうど50年なのだとか。日本勢にとって、これが冬季五輪で初めての金メダル。当時僕は中学生だったが、「飛んだ、決まった!」というNHK・北出清五郎アナウンサーの実況をよく覚えている。

 現在では、2枚のスキー板の先端を開いて飛ぶ「V字ジャンプ」が当たり前だが、当時は板をそろえて飛ばないと飛型点が減点される規定。「V字」が生まれたのは、85年のことらしい。

「笑われたって気にならない」

 スウェーデンのヤン・ボークレブという選手は、たまたま板が開いた失敗ジャンプのときに、なぜか飛距離が伸びたことに気がついた。もともとがに股だったことも失敗の理由だったようだが、以来、この偶然の産物を技術として確立しようと磨きをかけた。だが、距離は伸びたとしても、板が離れては採点が低くなる。なかなか思うような結果が残せない。きれいに板をそろえるのに比べると不格好とされたボークレブの飛び方を、周囲は「カラスみたいだ」と嘲笑したという。

 それでも、本人は意に介さない。試行錯誤をくり返すうちに、徐々に距離を伸ばしていくと、さすがに周囲も無視できなくなった。どうやら、板を開くと距離が伸びるらしい……やがては、飛型点の減点もほとんどなくなり、ボークレブは88〜89年のシーズン、5回の優勝を数えたW杯で総合優勝を果たした。すると、「カラスみたい」と笑っていた人々も、それを棚に上げ、こぞってボークレブのマネをするようになる。つまりV字ジャンプは、ボークレブの失敗から生まれたわけだ。

「笑われたって気にならないよ。笑い声は空中では聞こえないから」

 ボークレブは、V字ジャンプがなかなか認められない期間も、そういっていたのだとか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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