「社会人に進んだのは、プロになるため。3年目の今年は、気持ちの入り方が違います」

 2月。Hondaの春季強化練習で会ったとき、米倉貫太はそう話してくれた。

 初めて会ったのは、埼玉栄高校3年のドラフト前。そのときより、明らかに体つきがたくましくなっている。

「あのときは余分な肉がついていたというか……(笑)。いまは体がしぼれて筋肉もつき、スクワットの数字なども上がっているので成長の手応えがあります」

 高校時代は、若生正広監督のもとで育った。東北高時代、ダルビッシュ有を指導した名将が、

「リリースの瞬間、ピシッと音がするんですよ。一級品。そんなの、(ダルビッシュ)有以来だね。とにかく、フォームがきれい。ゆくゆくは、契約金1億円クラス」

 と惚れ込んだ逸材である。

リリースの瞬間に、ビシッと音が

 いまは亡き若生氏が米倉に出会ったのは、2014年度まで監督を務めていた九州国際大付時代のこと。当時の米倉は福岡・浮羽ボーイズに在籍し、県選抜メンバーに名を連ねていた。

「基本がすべてできている。なにより、立ち姿がよかったですね」

 その若生氏が、15年度から古巣の埼玉栄に復帰すると、米倉も故郷を飛び出した。すると、1年夏から背番号11でベンチ入り。 飯能高との初戦で先発を務め、4回途中まで1安打5三振無失点と、上々のデビューを果たしている。

「いい投手はけん制、フィールディング、バント処理……となんでもうまいものですが、米倉にもその能力はありますね。投手としての基本も一から十まで教えました」

 若生氏はそう、振り返っていたものだ。徹底したのが、高校時代のダルビッシュがそうだったように、股関節のストレッチ。股関節での体重移動を重視する若生氏の方針のおかげで、柔軟になった米倉の下半身は、相撲取りの股割りのように180度開くようになったという。

 ただ、激戦区の埼玉ゆえ、高校時代はさしたる実績がない。エースとなった1年秋は地区予選で敗退し、 2年夏も、本庄東高に7回7三振2失点の好投も初戦敗退。2年秋は、4試合25回を投げて30三振、5失点でベスト8に進出したが、3年夏は4回戦で川口市立高に敗れ、甲子園には一度も出場していない。

 それでも、夏前の東海大相模高との練習試合で最速146キロをマークすると、「150はいつ出てもいい。またスタミナも、入ったときを1とすればいまは10まで伸びているし、連投できる肩のスタミナもあります。あとは、体幹を鍛えて、大人の筋力にしていくこと」と、若生氏はその将来性に太鼓判を押していたものだ。

ほろ苦かった都市対抗デビュー

 2019年にHonda入りすると、1年目から東京スポニチ大会に登板し、昨年は都市対抗デビュー。ここは打者2人に2安打で降板とほろ苦かったが、

「あれが自分にとって、初めての全国大会でした。経験できたことは、すごく大きいです」

 と前向きにとらえていた。驚くべきは、151キロのストレートがたたき出した2600回転という数字。これ、メジャーでもなかなか見ない値だという。ちなみに米倉によると、ヒットはいずれも変化球だった。そして続けたのは、

「社会人では、単に速いだけではダメだし、組み立てを考えないと通用しません。変化球の質もそう。なので今季は、フォークの精度を上げようと取り組んでいます。去年の後半から、少しずつコツをつかみつつあるんですよ」

 Hondaは昨年、都市対抗で優勝を果たしたが、米倉は中継ぎ登板1試合だけで決勝はベンチから外れ、客席から見ていた。だから、優勝はうれしくはあっても、

「心底から? といわれると複雑です。これまではチームになにひとつ貢献していないので、優勝の瞬間をグラウンドで迎えたいですね」

 先発として試合をつくる能力を……とあげていた課題は、先発した3月の東京スポニチ大会で、5回を自責1のクォリティー・スタートとまずは合格点だった。その後公式戦の登板からは遠ざかっているが、9月中旬にはJFE東日本とのオープン戦で1失点完投したとか。昨年の優勝で推薦出場となる都市対抗は、11月28日開幕。東京ドームのマウンドに立ったとき、米倉は「3年でプロ」という目標を果たしているかどうか……。

よねくら・かんた●埼玉栄高→Honda●185cm87kg●右投右打●投手