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[ドラフト候補カタログ] 富山出身では(おそらく)史上初の東都の首位打者 川村啓真(国学院大)

楊順行スポーツライター
(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 なんでも、初めてのことらしい。

 春の東都大学野球。首位打者のタイトルを獲得したのは、優勝した国学院大の川村啓真だった。1931年の創設以来90年の歴史を持つ東都大学野球連盟で、富山県出身の首位打者はおそらく初めてだ。「おそらく」とは、記録をさかのぼって調べてくれたマニアの言葉。慎重を期したのだろうが、史上まれに見る快挙であることは間違いない。

 春季リーグで、2010年秋以来、20季ぶり2度目の優勝を果たした国学院大。川村は中央大との最終2試合に5安打の固め打ちを見せ、トータル36打数15安打、打率・417で首位打者に輝いた。

 だが本人、「リーグ戦開始直前まで、調子が上がらなかったんです」と明かす。2月中旬にAチームが行った千葉・鴨川キャンプにも合流せず、1、2年生とともにBチームで汗を流す日々。Aチームに復帰したのは、リーグ戦開幕5日前の最後のオープン戦、それも代打のみの1打席だった。開幕しても、亜細亜大との第1週は代打出場のみ……。

 黒部市立桜井中時代は、エース稲垣豪人との逸材バッテリーで名をはせた。新潟・日本文理高では、17年夏に甲子園に出場して1回戦を突破し、川村本人は2試合で9打数4安打を記録している。国学院大でも1年春からレギュラーとして、打率・294を記録。いきなり新人賞を獲得した。だが……1年秋は打率1割台に落ち込んだ。2年春はなんと16打数無安打。もともと、「バットコントロールには自信がある」のにスランプにハマったのは、「上でも野球を続けるには長打力が必要」と打撃改造に取り組んだためだった。

 打球に角度がつくように、「いまは強くインパクトができた」「いい当たり方だった」と試行錯誤を繰り返し、感覚を少しずつ積み重ねていくうちに徐々に上向く。2年秋には、打率は低いながら2本塁打。昨年の春はコロナ禍で開催されず、秋は三番に定着して打率・273の2本塁打。さあ、集大成の年……と4年春のリーグに挑むはず、だった。それが、再度の不振である。

バットを変えて不振脱出

 脱出のためにあの手この手を試すなか、変えたのがバットだ。これまでの85センチから86センチにし、重さは900グラムを850グラムに。すると、

「たった1センチ長くしただけでも、最初はすごく振りにくかったんです。ただ、なじむにつれて遠心力でバットのヘッドがよく走るようになりました」

 と、実戦を積むとともに復調し、二番ライトでスタメンに復帰した駒沢大との初戦ではアーチを架けている。次の青山学院大戦前には、「早く右足を上げ、また背中を丸めずまっすぐ立つことでボールを長く見られるように」鳥山泰孝監督とマンツーマンで微調整。これが翌週からのヒット量産につながった。

 東洋大との1回戦、立正大との2回戦、中央大との1回戦は3安打の猛打賞で、優勝のかかった中央大との最終戦も先制本塁打含む2安打と、終盤に打ちまくった。川村はいう。

「猛打賞が続いたのが、首位打者に結びついたと思います」

 もうひとつの武器が、選球眼のよさだ。今春は、50打席12四死球。分母となる打数が小さければ、1本のヒットで打率も上がりやすいから、大きなアドバンテージだった。ボールを見極めるコツをたずねると、

「たとえば、投手との間に自分で空間を設定して、そこから外れたらボールと判断するんですが……これはなんとも、口では説明しにくいんですよねぇ」

 開催中の秋の東都リーグ。開幕から4戦無安打だった川村だが、ここ2戦は1安打、2安打と復調のきざしだ。なにやら、出遅れながら首位打者を獲得した春と同じようなムード。これはワタクシゴトだが、筆者と同郷の日本文理高野球部OBがいる。もしドラフトで指名されたら、3人で祝杯をあげようと約束している。

かわむら・けいしん●日本文理高→国学院大●172cm78kg●右投左打●外野手

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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