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センバツ回顧⑥ 2012年。藤浪晋太郎と大谷翔平、夢の150キロ対決は緊迫の投手戦……ではなかった

楊順行スポーツライター
大谷翔平との対戦を制した大阪桐蔭は、そのままこの大会の頂点に立った(写真:岡沢克郎/アフロ)

 2012年センバツ、開幕日。第3試合前取材の報道陣の数は、まるで決勝戦の混雑のようだった。お目当ては、取り囲んだ取材の輪から頭ひとつ以上大きい2人のエース。大阪桐蔭・藤波晋太郎(阪神)、197センチ。花巻東・大谷翔平(エンゼルス)、193センチ。そしていずれも、その時点で最速150キロを突破した超高校級大型右腕だ。ともにその年のドラフト上位間違いなしというエース同士の対戦など、そうそうは見られない。1回戦で当たるのがもったいない好カードに、期待されるのはもちろん、力のこもった投手戦だった。

 事実……5回終了まで、大谷は桐蔭打線を2安打に抑え、打っては藤浪のスライダーをホームランするなどで、2対0という緊迫した展開である。

 下級生時代から二刀流で注目された大谷にとっては、前年夏に続く2度目の甲子園だ。だがそのときは、右太もも肉離れ(大会後の精密検査で、骨端線離解の診断)により、投手としては県大会でわずか1回3分の2しか投げていなかった。甲子園本番でも、登板するとしても2、3回までというのが佐々木洋監督の判断。だから"投"よりも、対戦した相手・帝京の名将、前田三夫監督を驚愕させたのは"打"だ。

「いやあ、大谷君のバッティングにはびっくりした。2回の打席のセカンドライナーは、野手がグラブごと持っていかれるようなすごい当たり。正面だったからなんとか捕れたものの、あんなの、甲子園で初めて見ましたよ。6回裏のタイムリーは、左打席から流してレフトにフェン(ス)直(撃)でしょう。あちゃ〜、入ったかな……と思ったね。フィールディングの動きなども、まさにアスリート」

 ただ……股関節の故障は、その後も大谷を苦しめた。秋からの新チームでも、公式戦では登板不能。つまり、12年センバツの桐蔭戦が久々の公式戦マウンドだったわけだ。それでいて5回まで無失点なのだから、ポテンシャルの高さは尋常じゃない。

ボディブローが効きました!

 一方、2点を追う桐蔭、さすがにしたたかである。実戦でのスタミナ不足が懸念される大谷を、あの手この手で揺さぶった。バスターエンドラン、セーフティー気味の送りバントで動かす。さらに、凡退するにしても各打者が粘る社会人野球並みのチーム戦略で、5回までに85球を投じさせていた。

 そして、6回の桐蔭。先頭が2ストライク先行からしぶとく四球を得ると、続く四番・田端良基が中前にポテンヒット。八番・笠松悠哉の二塁打などで逆転すると、以降も2年生・森友哉(西武)の4出塁(うち2安打)や、田端の2ランなどで終盤に加点し、9対2で大勝することになる。「ボディブローが効きました」としてやったりなのは、桐蔭・西谷浩一監督だ。対する花巻・佐々木監督は、「6回の四球とポテンヒットから流れが悪くなりましたね」。結局……極上の投手戦のはずが、意外な大差がついたこの豪華対決。藤波12、大谷11という奪三振数だけが、好投手対決を主張していた。

 大阪桐蔭は結局この大会、センバツ初優勝を飾り、夏も頂点に立って最初の春夏連覇を飾ることになる(18年に2度目の春夏連覇)。大阪桐蔭と花巻東の試合は、12年3月21日。およそ9年後の26日、藤浪は9年目にして初めての開幕投手を務める。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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