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センバツ回顧 あの春も、ブラバンがなかった……2011年の優勝は東海大相模

楊順行スポーツライター
2011年のセンバツで優勝した東海大相模。中央が佐藤大貢(写真:岡沢克郎/アフロ)

 新型コロナウイルスの感染拡大防止策として、出場32校の選手らチーム関係者などにPCR検査を実施するほか、アルプス席での学校応援でブラスバンドの演奏は禁止。楽器の演奏中はマスクを外すので、飛沫が拡散する可能性があるためだ。昨年の甲子園交流試合もブラバンはなかったが、そういえば……あの春、2011年もそうだった。

 2011年といえば、開幕まで2週間を切った3月11日、東日本大震災という未曽有の災害に見舞われた年だ。第83回選抜高校野球大会は、開催すら危ぶまれたが、『がんばろう! 日本』をスローガンに予定どおり決行。被災した東北(宮城)を1回戦最後の試合に配置するほか、社会的な配慮からいくつかの特別措置が講じられた。楽器類など、鳴り物による応援禁止もそのひとつだったわけだ。

 この大会で、九州国際大付(福岡)との決勝を制し、2度目のセンバツ制覇を果たしたのが東海大相模(神奈川)だ。当時の取材を振り返ってみる。

アグレッシブ・ベースボール

 この大会の、東海大相模。大会通算安打記録を72年ぶりに74に塗り替え、通算塁打113も大会新記録。準決勝では、森下翔平と田中俊太(現DeNA)で、史上初の1試合2本の満塁本塁打を達成し、5試合で46点をあげた強力な打棒が目を引いたが、真骨頂は門馬敬治監督いうところの、「総攻撃」にあった。"総"の字を、"走"と置き換えてもいい。

 関西(岡山)との1回戦、初回が象徴的だ。ヒットで出た一番が、続く二番の左前打の間に、打球処理位置から近い三塁まで達するのだ。積極的で、抜け目のない走塁。一、三塁からはすかさず一走が盗塁を決め、1死後四番の主将・佐藤大貢が2点適時打だ。

 関西のエースは、前年秋の県大会から中国大会優勝まで、57回無失点という好左腕。「何かしら重圧を与え、考え込ませることができれば」という門馬監督の目論見どおり、速攻に相手投手は動揺し、以後も走者が出るとピッチングに集中できない。結局4回途中、6得点でKOした。

"走攻撃"は、その後も続く。5試合で9個を記録した盗塁。相手野手が一瞬でもジャッグルすれば、あるいは中継ラインが1メートルでもずれれば、俊敏に次の塁を狙う。その結果が、通算7本の三塁打だ。また、果敢に第2リードをとり、ナミのチームならスタートをためらう打球でも、瞬時に判断する。前年夏の準Vメンバーで、一番打者の渡辺勝(現中日)が明かした。

「日常の走塁練習では、ファウルグラウンドにベースを5、6個並べて走者がつき、監督やコーチのシグナルによって一瞬でゴー、あるいはバックを繰り返します。前の塁を狙うだけではなく、戻る練習も重要ですから」

 2回戦では、これも好左腕といわれた葛西侑也を擁する大垣日大(岐阜)を20安打13得点で粉砕。門馬監督は「糸口はファーストストライク」と指示し、1点先制された初回には、佐藤の同点打をはじめ3本の適時打がいずれも第1ストライク。標榜している「アグレッシブ・ベースボール」そのままだった。

三塁打7、被三塁打ゼロ

 守備の完成度にもほれぼれする。橋本拓磨遊撃手は、ピンチに好守を見せて何度も投手陣を助けたし、決勝ではライトの渡辺。だれもが長打を覚悟した2本の当たりに一直線に走り、捕球後フェンスに駆け上るようにしていずれも好捕している。センターの臼田哲也によると、「甲子園で一番深いのが右中間。破られても三塁打にさせないために、クッション処理は日ごろからイヤというほど練習していました」。現に相模は、大会を通じて相手に三塁打を許していない。

 門馬監督にとっては、就任間もない2000年に続き、2度目の優勝だった。前年夏の決勝で興南(沖縄)に敗れたときには、人一倍涙もろいのに「悔しさを忘れないために、泣きません」。借りを返す優勝には「うるっときていたようです」とある選手が教えてくれた。

「去年の夏の甲子園、決勝で負けてから、秋の神奈川県大会では決勝で横浜に負け、関東大会決勝でも浦和学院(埼玉)に負け。決勝で負けるのはもういい、銀メダルばかりに終わるのは、なにが足りないんだろうとずっと考えていました」

 と話してくれたのは、決勝で2ラン本塁打など、3打点を記録した佐藤主将だ。この優勝で、探していたなにかを見つけたのだろうか。「いや。野球を続けている間は、ずっと追い求めるんだと思います。それを見つけるために、また練習します」。佐藤はいまも、航空自衛隊千歳で野球を続けている。

 センバツではなんとなんと、2日目第3試合で弟分ともいえる東海大甲府(山梨)との対戦が決まった。昨秋の関東大会準々決勝では、逆転サヨナラ負けを喫しているが、大塚瑠晏主将はこう話す。

「リベンジしたい。仕上がり状態はいいですので、相模の"アグレッシブ・ベースボール"で日本一を目標に戦います」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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