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高校ラグビー100回、『スクール☆ウォーズ』から40年。で、山口良治さんのことを(2)

楊順行スポーツライター
日本代表時代の山口良治さん(写真:山田真市/アフロ)

 1974年、伏見工(現京都工学院)に赴任した山口良治さんは、前任者への配慮もあり、まずはラグビー部の顧問となった。そして、高校時代の専攻だった土木の知識を生かし、グラウンドを測量し、お手製のゴールを立てた。ただ、あとはどこから手をつけたらいいものか……。生徒にちょっと手ほどきしようとすれば、「監督ちゃうんやろ、ほっといてくれ」。できることといえば、毎日のように生徒が起こす問題の処理ばかりだった。だから翌年、校長に頼み込んで監督になると意気込んだ。これでもう生徒に文句はいわせんぞ、何年かかっても日本一になってやる……。

涙割りのビール

 だがいざ練習になっても、生徒はだれ一人グラウンドに出てこない。山口が監督になったらしいぞ、あんなうっとうしいヤツやったら、練習に出るのやめとこや……という具合だったのだろう。だが山口さんはめげない。一人をなだめすかし、二人目は口説き落とし、3人でグラウンドを走るような日々の繰り返し。ごく一部を除いて、生徒たちはまったく心を開いてくれない。

「先輩に頼んで、練習試合を組んでもらったときです。集合時間を過ぎても、いっこうに生徒は来ない。京阪の伏見稲荷の駅で、私一人で待ちぼうけです。もしかして集合場所を勘違いしているのか……と学校に戻っても、やっぱり影も形もない。そのうち試合時間は迫ってきます。しょうがないから一人で電車に乗って、先方に謝りに行きました。罪ほろぼしとして、むこうの生徒をちょっと教えたり……。

 いまでも忘れられないのは、そこでの練習が終わって、その先輩と食事しているときです。"山口、おまえが今日ウチの生徒にいうたこと、わしも毎日いうてるで。でも、やっぱり(日本)代表だったおまえがいうと違うわ。子どもら、目ェ輝かして聞いとったからな。実際、動きもようなった。だからおまえなら、きっといいチームができる。でも1年や2年じゃできるわけない、辛抱せなあかんで、辛抱せな"。もう、たまりませんでした。涙がぼろぼろ、ビールのグラスにこぼれ落ちて。先輩は、"涙割りのビールなんか、飲んだことないやろ"と笑ってくれました」

 涙もろい山口さんはのち、泣き虫先生と呼ばれるようになる。

訪れた転機は112対0

 そういう殺伐とした日々で転機があったとしたら、監督として初めてとなる公式戦、1975年春の京都大会だ。相手は花園。京都有数の強豪で人気もあるから、お客さんもたくさん入っていた。対して、ロクに練習すらしていない伏見工。どう転んでも、勝てるわけはない。それより山口さんが心配したのは、生徒たちが試合中になにかやらかしはしないか、ということだった。

 的中した。いきなりノーホイッスルトライと、実力差は明らかで大人と子どもだ。となると、荒くれどもは審判に文句をつけ、ボールと関係のない局面で小突き合い、鬱憤を晴らす。むろんその間も、ボロ雑巾のように点数を取られっぱなし。山口さんも、最初は見るに見かねた。

「40点では"こんな屈辱に耐えられるか、こいつら放って帰ろうか"、80点では涙が吹き出し……相手への拍手や歓声が、自分たちへの嘲笑に聞こえていたたまれんのです。だけど、ふと気づいたんです。俺がこんなに屈辱を感じるんやから、生徒たちだって悔しいやろな、もしかすると、中学時代の顔見知りもおるやろうに、歯がゆいやろな」

 その思いは、自分にもはね返ってくる。偉そうに日本代表や、監督やいうても、俺は生徒たちになにもしてやってないんちゃうか。熱いつもりでいても、なんで俺のいうとおりにできんのや、と突き放すだけで、実は冷たい男やないやろうか。それじゃダメだ、人にものをいう前に、まず自分に矢を向け、その痛みを感じなければ、人に教えることなどできない。ノーサイドを迎えたとき、スコアはなんと112対0。

「ところが、どれだけ悔しいやろう……と思っていたのに、生徒たちはふてくされて、だらだらと引き上げてくるんです。終わったわ、せいせいしたわ、いう表情を装い、悔しそうな顔はただの一人もいません。それを見て、無性に腹が立ってきました。"おまえら、悔しくないのか! 同じ高校生と同じルールで、同じ15人でやってんのや"。それでも生徒たちは、"しゃあないやんけ。相手が強いんやから"という白けたムードで、だらしなくすわりこんでいます」

 それでも男か! 悔しくないのか! 112点差に、なにも感じないのか! 山口さんは思わず、泣きながら叫んだ。すると、シ〜ンとしていた生徒たちが、少しずつ反応し始める。とうとう耐えられなくなったのか、キャプテンがぶるぶるふるえている。

「……ちくしょー、悔しいです!」

 人前で涙を流すことなど想像できないやんちゃ者のキャプテンが、泣きながら、声を絞り出して、グラウンドをこぶしでたたきつける。それがきっかけになり、全員が「悔しいです!」「悔しいです!」と泣き出した。山口さんは、気がついた。ふてくされているのは、なんの痛みも感じていないふりのポーズ。だけど本当は、はらわたが煮えくり返るほど悔しいんだ、彼らだって熱いものを持っているんだ……。(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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