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高校ラグビー100回、『スクール☆ウォーズ』から40年。で、山口良治さんのことを(1)

楊順行スポーツライター
山口良治監督率いる伏見工は1980年度の高校ラグビーで優勝した(写真:山田真市/アフロ)

「京都府の決勝戦がテレビ中継されるとき、解説をやらせてもらっていたことがあるんです」

 このインタビューをしたのはなんとなんと23年も前、1997年のことだから、当時の山口良治さんは54歳。まだ、伏見工業高校(現京都工学院)ラグビー部の監督を務めているころだ。伏見工に赴任する前は、京都市教育委員会に籍を置いていたから、解説をしていたのはおそらくその時期だろう。そして中継時のこと。

「勝ったチームが喜んでいる姿を見て、僕も思わず泣いてしまっていたんです。テレビ局の人から"自分とは関係ないチームが勝つのを見て泣いて、どないすんのや"とからかわれるんだけど、"見とってください、いつかは僕があそこで、勝利監督としてインタビューしてもらいますから"ゆうてました。のち、それが本当に実現するのは、生徒たちとの素晴らしい出会いがあったからなんですね」

 日本代表の名フランカー、名キッカーとして、71年にはラグビーファンの間では伝説のイングランド戦(日本●3対6)にも出場している山口さん。だが、

「ラグビーと出合ったのは、そもそも偶然なんです」

 という。甲子園で見たプロ野球に憧れ、中学では野球部主将として捕手。もちろん、高校でも続けるつもりだった。

人生は楕円球

「ところが、土木を専攻するつもりで若狭高校(福井)を希望したんですが、入学する年に、土木部門が独立して若狭農林という新しい高校に統合されたんです。つまり若狭高校に進むつもりが、若狭農林高校になっていたわけで、その新しい高校にはなんと野球部がなかったんですね。当然、甲子園という夢は幻になりました。だけど、この高校でラグビーと出合うわけですから、人生は楕円球。どこでどうバウンドが変わるか、わからないですよね」

 先輩の勧めでラグビーを始めた山口さんによると、当時のラグビー部の先生が家に泊めてくれたり、ひじょうにかわいがってくれたという。そういう経験から、自分も将来は教師を目ざすように。進んだ日本体育大では関東選抜に名を連ねるほどになり、卒業して最初に赴任したのは、岐阜の長良高校。だが高校生にラグビーの楽しさ、素晴らしさを伝えたい……はずが、長良にはラグビー部がなかった。そこで、ラグビー部のある高校への異動を直訴し、1年で岐阜工業高校に移ることになる。ただ、である。

「念願のラグビー部を受け持ったんですが、ボールにさわっていると、自分自身でプレーしたいという虫がうずくんです。とくに社会人の試合なんかを見たりしたら、うらやましくてたまらない。自分はもっと高いレベルでやれたんじゃないか、若いうちにやれるだけやらないと悔いが残るんじゃないか……そう思って、教師をいったんやめて京都市教育委員会にお世話になるわけです」

 当時、関西の社会人リーグに所属していた京都市役所で現役に復帰し、プレーを再開するわけだ。そこでの7年間で日本代表を経験。フランカーにもバックス並みの走力が要求される時代だったが、海外に対抗するためには山口さんのサイズ、そしてキック力も魅力だった。

校舎内をバイクが走り回る

 その間、高校ラグビーの現場からは縁遠かったが、現役を引退するとすぐに情熱に火がついた。

「初心がよみがえったというか、"俺は教師になって、ラグビーを指導したかったんじゃなかったか"と。そう願い出て、市立伏見工業への辞令をいただいたのが、忘れもしない昭和49(1974)年4月1日です。もう楽しみで仕方がない。お〜し伏見か、生徒は喜ぶやろな、どんなヤツおるんかな、ジャパンの山口が来るいうたら、ラグビー部の連中なんか校門で待ってるかもしらんな……どきどきして学校に行きましたよ」

 ところが、とんでもない。初日。ラグビー部員が校門で待っているどころか、「ジャパン? 関係あらへんわ」と鼻もひっかけない。学校は輪をかけてすさんでいた。授業をサボるのはかわいいくらいで、バイクで廊下を走るヤツがいれば、木刀片手に校内を闊歩するヤツもいる。喫煙、飲酒は日常茶飯事。先生たちはおそれをなし、荒れ放題の校内を見て見ぬふりだが、山口さんは「見るもん聞くもん許せんことだらけでした」。(続く)

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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