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さあ、ドラフト。とっておきを探せ! その1 森井絃斗[セガサミー]

楊順行スポーツライター
斎藤佑樹(右)らが指名された2010年のドラフト会議からもう10年なんですね……(写真:築田純/アフロスポーツ)

 9月29日、明治安田生命を7安打完封。セガサミー3年目の152キロ右腕・森井絃斗は、東京第2代表決定トーナメントの準決勝進出に大きく貢献した。昨年は、都市対抗出場を逃しているセガサミー。大事な大事な、東京2次予選の初戦先発を任されたのも森井だった。すると、チームは敗れたものの森井自身はJR東日本6回を5安打無失点。つまり、明治安田戦との2戦合計15イニングを無失点という盤石ぶりで、西田真二新監督の期待に見事に応えている。

 徳島・板野高出身。甲子園とは縁のない公立校で、当然、全国的には無名もいいところだ。ただ、その高校時代は1年夏の初戦から先発に抜擢されると、早くも140キロを計測して周囲を驚かせた。その後、右ヒジ疲労骨折の手術を受けるなどしたが、2年秋には149キロをマーク。3年春は150キロをたたき出し、県大会18回を3失点の好成績を残した。そして最後の夏は、決勝で鳴門渦潮高に敗れたものの準優勝。準決勝までの4試合をわずか4失点、合計44回で45三振と奮投し、無名校をあと一歩で甲子園というところまで引きあげたわけだ。

本気にさせた打者とは……

「社会人で野球を続けるなんて、板野高校からは初めてだと思います」

 森井はそう笑う。コロナ禍が深刻化する前の今年2月、キャンプ地にたずねたときだ。

 もともと、野球に本気ではなかったという。小学校途中でキャッチャーから投手に転向したが、「キャッチャーのほうが楽しそうで、ピッチャーはあまりやりたくありませんでした(笑)」。高校に進んでも、チームの練習は放課後の4時から1時間程度。それでいて、高校1年からマウンドに立つと、

「県内の相手なら、全力では投げなくても真っ直ぐとスライダーだけで抑えられた」

 というから、かりに強豪校に進んで質の高い指導を受けていたら、どこまで大きくなっていただろうか。

 転機は、2017年3月だ。徳島県阿南市では毎年、選抜高校野球に出場するチームを合宿に招待し、本番前に仕上げの練習試合を行う。この年は、甲子園常連の福井工大福井高。そして……練習試合で対戦した森井は、めった打ちにされる。いまはセガサミーのチームメイトである「北川(智也)には、全力で投げてホームランを打たれました。全国にはすごいヤツがいる……そこから、本気になりました」

 以後、わずか1時間ほどだった板野高の練習は4時間になり、質も充実。その成果が、夏の決勝進出という旋風になったわけだ。「本気に」なるのがもっと早かったら、甲子園も夢じゃなかったかもしれない。

 因縁の北川との再会に驚いたセガサミーでは、「簡単に抑えられるだろう」と意気込んだ最初の紅白戦で1死も取れずに3連打で2失点。レベル差が衝撃だった。その1年目は腰を痛めたこともあり、ほぼ登板もなく、4強だった都市対抗はビデオ係。だが、「高校には投手コーチがいなかったので、ためになる話ばかり」と、プロ経験もある小俣進アドバイザーらからどん欲に吸収し、変化球でストライクを取れるようになった2年目は登板機会を増やして、今季がプロ解禁の3年目だ。

 PL学園高時代の1978年夏、投打に活躍して甲子園で優勝し、「逆転のPL」の主役となった西田監督は、「プロ注目の選手。軸になってもらわないと困る」と評価してエースに指名。都市対抗2次予選初戦の先発は、その証だ。森井自身は、「高校時代、プロなんて夢にも思いませんでしたが、いまはドラフト1位でプロに行くのが目標。コースに強い球を投げることが課題です」といいきる。まずは、熱戦が続く都市対抗予選で代表の座を射止めること。そしてめでたくプロからの指名を受け、東京ドームでの都市対抗本番で目ざす155キロを披露といきたいものだ。

もりい・げんと/セガサミー/投手/右投右打/1999年4月25日生まれ/徳島県出身/184cm94kg/板野高

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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