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[甲子園交流試合]3季連続で履正社と対戦した星稜・林監督と内山主将の胸の内

楊順行スポーツライター
昨夏は決勝で履正社に敗れて準優勝に終わった星稜。右から4人目が内山壮真(写真:アフロ)

 勝負は、序盤でついた。

 交流試合開催が決まったとき。電話取材した星稜(石川)・内山壮真主将が、「もし当たったらおもしろいですね」と語っていた履正社(大阪)との対戦。なんと、現実のものとなった。"3季"連続の、甲子園で顔合わせだ。2019年春は初戦で当たり、星稜の奥川恭伸(現ヤクルト)が17三振を奪って3安打完封。夏は決勝で当たり、井上広大(現阪神)が奥川から3ランを放ち、履正社がそのまま頂点に立った。

 そして、この夏だ。「こんなにワクワクとする、楽しみな試合はありません」と履正社・岡田龍生監督がいえば、「相手は横綱。強いのはわかっています。とにかく、食らいついていければ」と星稜・林和成監督。だが、「ストライクゾーンを上げ、低めの変化球に手を出さないように徹底した」(岡田監督)履正社打線は、序盤から星稜の右腕・荻原吟哉を攻める。荻原、追い込むまではいい。だが、そこから履正社の打者は勝負球を見きわめて四球。これが荻原の球を少しずつ甘くするから、当たりは決してよくなくても、打球がことごとく野手の間を抜け、前に落ちる。1、2回で7安打8得点だ。

 履正社は投げても昨夏のVを支えた主力・岩崎峻典が「うまく緩急を使って打てるボールがなく、とくにランナーを置いてからのコントロールが抜群」(星稜・林監督)で、星稜打線を散発6安打、1失点で完投した。星稜にとってみれば、1年前のリベンジのはずが1対10の大敗である。

自身で引き当てた履正社との対戦

「すごく不思議な感じでした」

 とは、履正社との過去2試合にもフル出場し、自身にとってはこれが"4季"連続の甲子園となった星稜・内山だ。4、5月の休校中は。富山の実家敷地内でトレーニング、素振り、そして兄・雄真さんとキャッチボールなどで汗を流した。主将として、部員とはLINEでコミュニケーションを取るようにした。だから6月8日の練習再開日、「久々に顔を合わせた仲間たちが元気そうで安心しました」。だが星稜は、夏の独自大会は決勝で日本航空石川に敗れて準優勝止まり。石川大会の連続優勝は、6季で途切れた。そして林監督によると、「大会後はどこか打線に元気がなかったんです。内山にしてもめずらしくバットの出が悪く、状態はあまりよくなかった」という。

 内山自らクジを引き当て、「ずっとやりたいと思っていた」履正社との甲子園再々戦もノーヒットだった。4打席目、141キロ直球を芯でとらえたレフトへのあわやの大飛球は風に押し戻され、「投手力はともかく、星稜さんの打力は去年より上」と警戒していた履正社・岡田監督は胸をなで下ろした。「内山君をなんとか抑えたのが大きなポイントでしたね」。今後はプロを視野にとらえ、内山はいう。

「独自大会は連続優勝のプレッシャーがあり、楽しくはできませんでしたが、甲子園は楽しめました」 

 そういえば林監督にも、交流試合の開催が決まってから電話で話を聞いた。休校中の2カ月は、

「野球からは離れていましたが、授業はなくても出勤はしますし、あわただしかったですね。実は去年も同じ時期に謹慎期間があり(注・サイン盗み疑惑にまつわる抗議のため)、野球から離れたのは2年連続(笑)。昨年はその期間にマラソンの名伯楽・小出義雄さんが亡くなり、教え子の有森裕子さんがテレビで話していたことが胸に刺さりました。"故障したときになんで? と思うな。せっかく、と思え"。世の中のできごとには、すべて意味がある、ということです。謹慎中だった私は、あらためて小出さんの著書を読み直し、"せっかく"を支えに日々を過ごしました。生徒たちにも、起きていることにはすべて意味があるんだよ、その状況で自分のできることを考えなさい、と日ごろから話しているんです」

 たまたまコロナ禍にあたり、甲子園大会がなくなってしまったけど、そこには必ず意味があるはず……そういうことだろう。敗れはしたものの林監督、履正社戦のあとはしみじみと、こう振り返った。

「われわれ大人にとっても初めてのことだらけで、そういうなかで交流大会開催にご尽力くださった方には感謝しかありません。試合は負けましたが、9回に大差がついても、横綱を相手に最後までウチらしい野球をやってくれたと思います。よく声も出ていて、その声を聞きながら感慨が深く、ジ〜ンとする場面もありました」、

 林監督が「得意じゃない」という新チームづくりは、もうスタートしている。ちなみに5回を1失点と好投し、「テンポがいいですよね」と履正社・岡田監督も舌を巻いた左腕・野口練はまだ2年生である。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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