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社会人1年目からキャプテン! 元東都のベストナイン・西丸泰史(エイジェック)の「胸キュン」

楊順行スポーツライター
栃木市のエイジェックさくら球場にて(撮影/筆者)

 その瞬間、胸がキュ〜ッとなった。

「やっぱり真剣に、野球やりたいなと思ったんです」

 昨年8月27日、メットライフドーム。第44回全日本クラブ野球選手権大会の1回戦である。西丸泰史は、横浜金港クラブ(神奈川)の一員としてフィールドに立った。胸がキューッとなったのは、試合前のキャッチボールで人工芝にスパイクを踏み入れたそのときだ。弘前アレッズ(青森)との試合。金港クラブは西丸の適時打で先制し、最後は接戦で振り切った。西丸はこの試合、3打数2安打。次戦は強豪・マツゲン箕島硬式野球部(和歌山)に敗れてベスト8止まりだったが、

「あの大会に出なければ、野球は続けていないと思います」

 そう語るのには、こんな理由がある。

 国学院大時代は、3年春に指名打者としてベストナインを獲得し、4年では主将を務め、卒業後は東京の企業チームに内定。2019年2月には入寮し、春のオープン戦にも出場していたが、3単位足りず内定はご破算に。洋々に見えた前途に、いきなり暗雲が垂れ込めたわけだ。「働きながら大学にも行って単位を取ればいい」とほかの企業から声をかけられたが、失意の西丸はどうしても野球をやる気になれない。大学の練習にも参加しなかった。

 ただアスリートだから、エネルギーはたまる。そんなとき、金港クラブの関係者に声をかけられた。クラブチームというと、草野球の延長くらいかな? しかも練習は土日だけなら、体を動かすのにちょうどいいか……。野球の虫が、そうささやいた。だが……金港クラブといえば、1942年の創設から6年連続で都市対抗に出場し、プロ野球選手も生んでいる名門中の名門である。草野球なんてとんでもない。

「僕より年下の選手は、"どうやって打てばいいんですか""守備は……"と熱心に聞いてくる。本気で野球が好きなんだな、中途半端な気持ちで取り組むのは失礼だと考えが変わりました」

 目が覚めた。そこからは授業の合間、大学のリーグ戦に影響がない限りは練習に加えてもらい、見ないようにしていた野球とふたたび向き合うようになる。そうして、メットライフドームでの「胸キュン」が背中を押し、西丸はこの春、社会人野球のエイジェックに入社した。創設3年目。人材派遣の企業で、昨年まで在籍していた元広島の梵英心兼任コーチは、今季からやはり社会人チームのJFE西日本に"派遣"されている。そのエイジェック。昨年は初めて出場した都市対抗予選で、北関東の第2代表決定戦まで進出し、敗れはしたものの日立製作所と2対3。初挑戦から、もう一歩で本大会出場という躍進を見せた。今季も、チャンスである。

野球とふたたび向き合って

 だが、「都市対抗に出るのは、そんなに甘くはないと思います」と西丸は表情を引き締めた。昨年の3月まで合流していたから、社会人野球のレベルの高さは予備知識にある。そこへもってきて、北関東の都市対抗の出場は、例年2チームと厳しい。その2枠を茨城の日立製作所と日本製鉄鹿島、群馬のSUBARUという歴史の長い強豪企業と争い、さらに栃木には力は企業に匹敵する全足利というクラブチームもある。現にエイジェックは、7月の足利市長杯決勝で、2対4で敗れているのだ。「企業である以上、勝たなければいけないゲーム」ともどかしさを感じた青野達也監督は、これを機に1年目の西丸を新主将に抜擢。リスタートのカンフル剤に、というわけだ。

「歴史のあるチームにある土台が、3年目の僕たちにはない。勝ちへの執着とか責任感が足りないのは、そのせいかもしれません。また出身が大卒、独立リーグ、他チームからの転籍とさまざまで、それぞれのリズムで動くのも、いまひとつ結束につながらない。ですからキャプテンになって最初のミーティングでは、"チームとしてやっていこう"と強調しました。ただ逆に、ゼロに近いということは、やった分が上積みされるわけじゃないですか。それだけ、やりがいがあります」

 昨年の都市対抗を制したJFE東日本では、西丸と同期の新人が大活躍した。そのうち峯本匠は友人だし、駒沢大出身の岡田耕太は同じ東都のライバルだった。「うらやましいし、刺激にはなりますが、悔しさもありますね」という西丸。7月28日の練習試合でエイジェックは、そのJFE東日本に勝っている。さあ、8月中旬には都市対抗の栃木1次予選が、そして9月末からは北関東の2次予選がある。そこを勝ち上がれば……11月22日からは、東京ドームで都市対抗が始まる予定だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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