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[高校野球]あの夏の記憶/石川雅規との投げ合いでサヨナラ負けの和田毅、1年後のベスト8 その2

楊順行スポーツライター
雲はわき、光あふれて……(写真:岡沢克郎/アフロ)

 のちにプロ入りする松坂世代がずらりとそろった、1998年夏の甲子園。2回戦から登場した浜田(島根)は、まず新発田農(新潟)と対戦した。富樫和大(元日本ハム)と加藤健(元巨人ほか)のバッテリーを擁する強敵だったが、和田毅(現ソフトバンク)が5安打2失点に抑えて5対2と快勝。ベスト8をかけた3回戦の相手は、帝京(東東京)だった。

「おおっ、やっぱすげえな、アイツ。さすがドラフト候補……打つなぁ」

 浜田が帝京を2点リードして迎えた8回表である。帝京は1死二塁から、三番・森本稀哲(元西武ほか)が打席に入った。和田の投じた甘いストレートを振り抜くと、目の覚めるようなライナーがセンター方向へ伸びる。抜かれたか……と和田が思ったその打球は、尋常じゃない伸びを見せて、なんとそのままバックスクリーンに飛び込んだ。同点2ランだ。これには、なんとなくスタンドも納得である。なにしろ戦前の予想は、圧倒的に帝京だったのだ。体の厚みは大学生なみで、全国優勝3回を誇る強豪。当時、浜田を率いていた新田均監督はこう振り返ったものだ。

「お忍びで練習を見に行ったら、マシンの設定は140〜150キロ。その球をいとも簡単にスタンドに放り込むから、あらかじめスタンドに守っているんですよ。どんだけの打線か……」

 対する浜田は前年夏、2年生エース・和田を擁して16年ぶりの出場を果たしているとはいえ、石川雅規(現ヤクルト)のいた秋田商に、押し出しでサヨナラ負けをしていた。ケガを克服した和田が健在にしても、最速はせいぜい130キロ。失礼ながら、ナインがいうように「田舎の県立校」で、東京の雄・帝京にはとうてい太刀打ちできそうにない。事実、相手のミスから2点をもらいながら、8回には森本の一発で追いつかれるというのは、やはり帝京のシナリオだ。

「だけど、ホームランでよかったんですよ」

 と、最速130キロのエースはいう。

すげえなぁ、さすがドラフト候補

「森本の一打がもし長打で、ランナーが残っていたら、僕も守備陣もバタバタして、そこからたたみかけられていたかもしれません。でもランナーがいなくなって、むしろリセットできたんです。タイムを取ってマウンドに集まったときも、みんなで“すげえなぁ”と笑い合っていましたよ。監督からの伝令が“ここは落ち着いていけよ”というので、“おいおい、監督のほうがテンパっているぞ”と、和んだくらいです」

 その和田は森本の一打のあと、帝京の後続をぴしゃりと抑えると、その裏だ。浜田は、大地本將のヒット、和田の内野安打などでチャンスを拡大し、押し出しで勝ち越しの1点を得る。そして和田は9回も帝京の攻撃を三者凡退に抑え、島根県勢10年ぶり、そして浜田としては初めてのベスト8進出を決めるわけだ。和田は帝京打線を5安打5三振2失点に抑える好投だった。

 帝京・前田三夫監督は「あのくらいのタマなら、打たなくちゃ……」と嘆くことしきりだったが、浜田の新田監督には多少、手応えがあったようだ。練習を見ると帝京打線は、まっすぐにはめっぽう強いが、左の打撃投手が投げるゆるいボールには手こずっていたのだ。しかも最速130キロとはいえ、和田のストレートには強さがある。和田は、こういった。

「当時僕のまっすぐは131キロが最速で、それも1試合に1球か2球でした(笑)。だれがどう見ても、帝京にはコテンパンに負けると予想されていたでしょう。だけど、不思議と負ける気はしなかったんですよ」

 こうして浜田は、ベスト8に進むことになる。

2年続けてサヨナラ敗戦投手

 準々決勝。この日の第1試合は、よく知られている横浜(東神奈川)とPL学園(南大阪)の延長17回の名勝負だった。第2試合は、明徳義塾(高知)が関大一(北大阪)に勝利。浜田は、第3試合で豊田大谷(東愛知)と対戦した。2点のリードを許して9回も2死走者なしの劣勢。だが八、九番が四球と長打で出て、一打同点のチャンスで打席には大地本が入った。秋田商に悪夢のようなサヨナラ負けを喫した前年夏。同点に追いつかれる守備のミスを犯したのが、当時2年だったこの大地本と、和田である。ライトを守る大地本はこの試合、初回に打球を追って二塁手と交錯して頭を打ち、試合途中までの記憶がない。だが、最後の打者になりかねないこの打席に限っては鮮明だ。

「キャプテン(田中寿)が伝令にきたんです。“監督が、カーブを打てだって”。で打席に入ると、相手キャッチャーが“カーブ打てっていわれたろうが?”。無視しとったんですが、内心ではああ見破られた、真っ直ぐがくるかなと思うじゃないですか。それが初球、ど真ん中の甘いカーブですよ。まさか、と見逃してベンチを見ると、監督が怒った顔しとる(笑)。2球目もカーブで、思い切り振ったらセンター前に抜けてくれました」

 和田が「マサシ(大地本)が打つという予感があった」という同点タイムリーで、試合は延長にもつれた。結局、10回1死満塁から和田がサヨナラヒットを浴びるのだが……それにしても、前年と同じ満塁からのサヨナラ負け。2年続けてサヨナラ敗戦投手というのは、かなりめずらしい。

 この準々決勝の日は、第1試合が延長17回だったこともあり、試合を待つ時間が長かった。その間に和田は、アルプススタンドと外野席の切れ目から、松坂大輔(現西武)の投球を見たという。「ちょっと別次元で、ああいう人間がプロの一流になるんだろうな、と思いましたね」。いやいや、高校入学時は遠投80メートルに満たなかった和田にしても、メジャー経験のある超一流じゃないか。今季は故障と格闘する松坂に先んじて、すでに勝ち星を挙げている。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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