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27年前の5月19日。日本プロ野球史上空前の「馬鹿試合」があった?

楊順行スポーツライター
早くこんな日がくるといいですね(写真:アフロ)

 NPB公式記録員の最古参・山本勉さんから聞いた話だ。

 Jリーグが開幕した、1993年。サッカー人気は空前の盛り上がりで、5月15日、国立競技場で行われたヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)と横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の開幕戦には、6万を超える観衆が集まった。その4日後。19日の第2節は、やはり国立競技場でヴェルディとジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)の試合が予定されている。

 この日、コクリツと目と鼻の先の神宮球場では、ヤクルト対広島戦があった。山本さんは、その試合の公式記録を担当する。神宮の試合開始は6時20分。国立のサッカーは7時開始だから、試合終了時間がかち合うことも十分ありうる。だとすると、自分が利用する地下鉄外苑前駅は、殺人的な混雑になるな……山本さん、試合開始前からちょっとげんなりしていたとか。

 この年の広島は、開幕6連勝から4月は11勝4敗と好スタートを切った。逆にヤクルトは4月にもたつき、5月にも4連敗があったが、前日の広島戦に勝利して、このシーズン初めて勝率を5割に戻している。かつて、当時の主力だった広沢克実(当時は克己)さんに取材したことがある。

野村新監督で変わったヤクルト

「90年に野村(克也監督)さんが就任するまでのヤクルトは、みんな口でこそ"優勝"とはいうけれど、腹の底ではそんなのは無理、とあきらめているようなチームでした。ただ、野村さんになってから勝つ喜びというのを知り始めた。そして野村さんの3年目にリーグ優勝です。それが日本シリーズで西武に負けたので、今年こそ日本一と、出足でもたもたしてもムードは悪くなかったですよ」

 つまり、開幕ダッシュに成功した広島を、前年覇者のヤクルトが追うという試合だった。のっけから動く。ヤクルトが初回、広島・鈴木健から2点を奪うが、広島は荒木大輔から2、3回にブラウン、野村謙二郎、江藤智の3本塁打などで逆転。荒木KO後も、リードを3点に広げた。長い試合になりそうだ、とは当時の山本さんである。

 3回裏のヤクルトは、無死満塁から池山隆寛が満塁ホームランを放つと、以後も広島がくり出す投手を次々と打ち込み、相手エラーも重なって10対5と逆転。そしてなおも2死一、二塁。再び池山に打順が回ってきた。すると、初球。レフトフェンスぎりぎりに上がった打球がスタンドインし、この回のヤクルトは11点の猛爆発だ。1イニング2本塁打で7打点の大当たりに、池山本人さえ「どうなってんねん」と首をひねった。山本さんが過去の記録をひっくり返すと、1イニング2本塁打はプロ野球史上12人目、1イニング7打点はセ・リーグ初という快挙だった。これで13対5。確かに、長い試合になりそうだ。

 当時のヤクルトには、「池山がホームランを打った試合はもつれる」という迷信があった。それにしても8点差、さすがに試合の趨勢は決まったようなものだ。広島は小刻みに反撃したものの、7回終了時点で16対10と、ヤクルトはまだ大量リードだ。ところが……迷信というのはときに恐ろしい。広島は7回途中から登板した高津臣吾を攻め、8回1死から4連打で2点を返すと、高津降板後も4点を追加し、なんとなんと同点に追いつくのだ。16対16、リング中央で足を止めた、限りない乱打戦。ウェブで検索すると「馬鹿試合」というネーミングが目につくが、まさにそれだ。

夕食時間に試合。腹が減って……

 広沢さんは「追いついた以上、流れは広島」と感じたそうだが、広島ベンチにも「イッキに勝ち越せなかったら、なかなか抜けない」というムードがあった。しかもヤクルト・山田勉、広島・佐々岡真司と、両救援がいい。10回、11回、12回……無得点が続き、投手戦になった。当時の規定では、延長は15回で打ち切り(引き分けの場合は再試合)だが、まだ3イニングある。ただ……試合時間が長い、長い。12回には、JRと地下鉄の最終電車の時間が、スコアボードに表示された。神宮球場始まって以来のことだという。終電の時間が差し迫っているということは、少なくともすでに11時は回っていただろう。

 ただ、ヤクルトはもともと、長い試合に自信がある。

「前の年、甲子園でやった延長15回引き分けは、史上最長の6時間26分(中断37分)かかっているんです。しかもメンバーのうち、30代は僕と外国人くらいで、みんな若かった。延長戦もドンとこいでした。ただ僕自身は、試合の最後のほうの打席では、明らかにスイングスピードが落ちていましたね。腹が減ってね(笑)。試合前に軽く食べたくらいで、いつもなら夕食を食べている時間までまだ試合をやっているわけですから」

 そのヤクルトが、ようやく試合に決着をつけたのは14回だった。2死満塁から、打席にはハドラー。佐々岡の初球を叩くと、打球は佐々岡の頭を越えてセンター前へ……。17対16とヤクルトがサヨナラ勝ちし、山本さんは「試合終了、20日0時6分。試合時間5時間46分」とアナウンスしてスコアブックを閉じたのを記憶している。1点差試合としては、史上最大のビッグゲームだ。むろん、Jリーグの試合などとっくに終わっている。駅の混雑なんて、よけいな心配だったか……。なにしろ、後かたづけをしたら電車には間に合わず、帰宅はタクシーだ。

広  島 014 211 160 000 00=16

ヤクルト 2011 010 200 000 01=17

 お立ち台には、殊勲のハドラーが上がっている。広沢さんは、本来なら大ヒーローになっていてもいい池山にこう声をかけた。

「やっぱり、オマエがホームランを打つとすんなりとはいかんな。満塁も、3ランも、いつ打ったか忘れただろう?」

 池山がこう答える。「まるで昨日のことみたいですよ」。まるで、ではない。池山の1イニング2本塁打からは、実際にもう日付が変わっていたのだから。

 この試合でこのシーズン初めて貯金1を記録したヤクルトは、以後順調に貯金を増やして連覇を飾り、日本シリーズでも西武にリベンジを果たすことになる。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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