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センバツ出場32校が決定。でも「全国制覇を目ざす」は間違い?

楊順行スポーツライター
2019年、平成最後のセンバツを制したのは東邦(写真:アフロ)

 3月19日に開幕する、第92回選抜高校野球大会。昨夏の甲子園で初優勝した履正社(大阪)の夏春連覇はなるか、夏のリベンジを誓う星稜(石川)は、いやいや秋の神宮を制した中京大中京(愛知)が強そうだ、あるいは3年間勝ちのない21世紀枠の勝利は……興味は尽きない。むろん、各チームにはそれぞれ特徴や力の差はあるだろうが、おそらく全出場校の目標は、「日本一」「全国制覇」だろう。

 ただ……センバツで優勝しても、厳密には全国制覇とはならないんだよなぁ。そもそも、夏の甲子園は正式名称を全国高校野球選手権大会といって「全国」の2文字が入っているが、春の大会名にはそれがないのだ。

 センバツももともとは、全国大会だった。

 全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園の前身)が創設された1915年以来、隆盛する中学野球人気を受け、全国大会をもうひとつ開催しようじゃないか、という動きが24年、全国選抜中等学校野球大会の創設につながったのだ。会場は第1回のみ名古屋市郊外の山本球場で、朝日新聞主催の近畿と重ならないための判断と、毎日新聞が新たに創設した東海版の販売政策もあったといわれる。

 この第1回は地域にこだわらず、強豪8校を全国から選んで開催された。当時は、夏の大会の優勝が近畿に偏るなど、地区によるレベルの差が大きかった。実力校の多い地区では、全国レベルの力があっても、地方大会で敗退してしまうこともある。そこで地域の枠にあまりとらわれず、選考委員が真の実力があると見られるチームを選ぶ、という形式になった。優勝したのは、高松商(香川)。愛媛の松山商などに阻まれ、夏の大会では6年間出場を逃していたが、四国から2校出場する"センバツ"方式のおかげで見事に実力を示し、また大会の妙味も証明したわけだ。

全国大会は年に一度でいい

 この大会は41年の18回まで続き、42〜46年は戦争のための中断を経て47年春に復活するが、開催までには紆余曲折があった。甲子園球場がGHQの接収から解除されたのは47年1月(一足先に46年に復活した夏の大会は、西宮球場での開催)。1月23日には毎日新聞社が「センバツ再開」の社告を掲載する。ただGHQは、文部省を通じて圧力をかけた。理由はさまざまあるが、そのうちのひとつが、全国大会が夏と春の2回あるのはおかしい、ということだった。

 それを覆すための苦肉の策が、大会名から「全国」をはずして第1回選抜中等学校野球大会とし、また近畿のチーム中心の招待試合形式をとることだった。この大会、出場16校のうち近畿勢が6校と偏っているのは、もしかすると近畿中心という整合性を保つためかもしれない。もっともこれらは、開催にこぎ着けるための方便にすぎず、のち55年には、大会回数が中学野球の時代から通算されている。ただ大会名に関してだけは、全国がつかないまま。つまり建前ではいまもまだ、センバツは全国大会ではないというわけだ。それでも実質、優勝校は春の日本一なのだけどね。

 ちなみに再開の翌48年には、学制改革によって選抜高等学校野球大会と名称を変えているが、このときは年度をまたぐ端境期であり、また新校名ではファンになじみがないこともあって、校名としては○○中が用いられている。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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