センバツのお気に入り 第10日/東邦・石川昂弥の女房役・成沢巧馬との会話

東邦・森田泰弘監督は、1977年夏準優勝時の四番(左端)(写真:岡沢克郎/アフロ)

「あそこでしたねぇ……」

 明石商(兵庫)・狭間善徳監督がいう"あそこ"とは、安藤碧の2ランで2対3と、1点差に詰め寄った8回の守りだ。中森俊介投手が1死から、一番・松井涼太に四球を与える。続く杉浦勇介の試みたバントはキャッチャー前の小フライとなり、明石商・水上桂捕手は意図的にショートバウンド捕球。併殺を狙う攻撃的な守りだ。だが……まず打者走者を殺そうと投じた一塁への送球が高くそれる。さらにこれをバックアップした二塁手の清水良が、二塁を狙う打者走者を刺そうと、二塁に入った河野光輝遊撃手に悪送球。一塁走者の松井は一挙にホームインし、点差を2に広げられた場面だ。

 狭間監督が続ける。

「1点差のままなら9回、選球眼のいい清水が四球で出た場面からバントで攻めていけた。だけど2点差になりましたから、打たせるしかないですよね。東邦バッテリーはこちらがまっすぐ狙いだと気づくと、途中から変化球主体に組み立てを変えてきました。ワンストライクを取られ、次のボールになる低め変化球を見逃せればいいんですが、つい手が出てしまう。カウントがワンワンになるのと、ツーストライクでは大違いです。インコースもうまく使うし、間を取るタイミングも絶妙でした」

 その東邦の捕手・成沢巧馬に話を聞いてみた。

「序盤からフォークを多くした分、(石川昂弥投手の)握力が落ちるのが心配だったんです。ただ、7回くらいから投球練習の球が速くなった。これならまだいける、と。また9回2死を取ったところでタイムをかけたのは、自分の判断です。ピンチにはベンチの指示ではなく、基本的に自分でタイムを要求しますね。そして石川にはおもに、力んだりせず打者に集中させるような声をかけます。今日はマウンドに行っても、笑いながら余裕がありました」

イップス気味はスライダーで克服

 結果的にミスになった、相手捕手のバント処理についてはどうか。

「よしっ! と思うと、一塁に投げるときに変なところに力が入ることって、ありますね。僕も振り逃げ阻止に一塁に投げるとき、それがあるんです。中学のときは軽いイップスになりかけました」

 投手には、捕手からの返球が胸にきちんとこないと、いらつくタイプがいる。中学時代にバッテリーを組んだ豊田シニアの上級生もそうで、1回返球がそれたら露骨にイヤな顔をし、次からは過剰に意識するからますます制球が定まらない。あちこちに暴れるから、さらに投手はいらつくという悪循環。そのプレッシャーが、イップスにつながった。

「僕も投手をやっていましたから、気持ちはわかるんです。ただ、スライダー気味に返球すると、リストを使うのでイップスも治ると聞いたので、そこからはピッチャーに"少しスライダー気味で返します"と断って、克服はできました」

 筑陽学園(福岡)との準々決勝では、10打席目で大会初安打となる先制2点二塁打。昨秋は五番も経験したが、甲子園入り後に調子を落とし、公式戦で初の八番に座ったのがその試合だ。周りからは「オマエだけ打ってないね」とイジられまくり「開き直った」といいつつも、「つらさは内心めちゃくちゃありました。みんなに傷をえぐられて……」と苦笑い。この日も無安打だったが、マスクをかぶって投手陣を盛り立ててきた貢献は大きい。

 東邦・森田泰弘監督は、5年前から腎不全で闘病していたが、昨年11月末に腎移植。この4月には60歳となって定年を迎え、「自分の中では決めている」と来年3月いっぱいで退任する意向を示唆している。前回優勝した1989年大会は平成元年で、平成最初の栄光だった。もし明日の決勝で勝てば、平成最後の大会も優勝で飾ることになる。おりしも準々決勝では、明石商の来田涼斗が、智弁和歌山戦で史上初めての先頭打者&サヨナラ本塁打を記録している。似たような感じで平成最初と最後の優勝も……できすぎだが、可能性は十分にあるぞ。