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ドラフト2018 逸材発掘! その3 生田目翼

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 生田目翼といえば、本人が語るように「まっすぐありき」のピッチャーだ。最速155キロを計時した流通経済大時代は、同リーグの田中正義(現ソフトバンク)としのぎを削り、3年時には大学選手権準Vも経験し、一躍脚光を浴びている。

 それだけのスピードボールを投げる秘訣は、どこにあるのか。ある雑誌の記事が興味深かった。

 水戸工高時代は遊撃手兼任で、1年時の球速は130キロ程度だったという生田目。だが、「軸足の蹴り方を意識してから、球速が上がりました」。軸足、つまり右足でプレートを強く蹴る。極端にいえば、ピョンと跳びはねるイメージで、そこから左足をズドンと着地するのだそうだ。高校3年夏には、145キロまで急上昇。大学では、いとも簡単に150キロを突破した。だが2年前は肩の不安もあってドラフト指名にもれ、日本通運に入社した。

社会人野球はビデオ係から

 1年目の2017年は当初、リハビリ込みの調整だった。同期の庄司拓哉、和田悠佑らの登板を横目に、「南関東2次予選では、ネット裏でビデオ係だったんです」と生田目は笑う。

 それでも、「今年は、投げるとしても1、2イニングくらい。ゆっくり治してくれればいいから」という藪宏明監督の言葉で焦りをなんとか抑え込み、黙々と体づくりに励んだ。スリークォーター気味で体が開きやすいフォームも、修正した。そのペースが、功を奏す。都市対抗出場を決めたあとのオープン戦で経験を積むと、本戦では救援で3試合に登板。三菱重工広島戦では1回を完全救援し、MHPS戦では150キロを計時と、持ち前の投げっぷりのよさが戻ってきた。

 生田目は振り返る。

「大学4年の秋以来の久々の公式戦が、東京ドームの大舞台です。ですが怖さもなく、思い切り投げられました。春先から同期が登板するのを見て、自分でも投げたい気持ちが強かったですから」

 そして昨年12月には、アジアウインターリーグに参戦。韓国や台湾、日本の若手プロとも対戦したこの経験で、「緩急、とくにカーブの使い方を再発見しました。僕の場合はもちろんまっすぐが売りなんですが、スライダーも含め、変化球でストライクが取れればもっと生きてくると思います」。

都市対抗2次予選は防御率0.00

 2年目の今季は、「肩さえよくなれば、先発をやりたい」と本人が宣言したとおり、春先から先発で登板機会を重ねてきた。都市対抗の南関東2次予選では、新日鐵住金かずさマジックを4安打完封し、第2代表決定戦ではJFE東日本に8回を無失点。「スライダー、カーブ、フォークと変化球でカウントを取れるようになり、投球の幅は広がりました」という生田目の防御率0.00は、まさにエースの働きだった。

 ただ都市対抗本番では、ホンダ熊本との1回戦で3回途中2失点降板。本領発揮とはいかなかった。日本選手権予選でも、本人はSUBARUを途中までゼロに抑える好投を見せたものの、チームは最終的に本大会出場を逃している。そういえば昨年は、都市対抗決勝の舞台で救援し、3失点という屈辱もあった。つまり……ビデオ係から始まった生田目の社会人での2年間は、山あり谷ありだったといえる。それでも今季は、かつて日本ハムで活躍したOBの武田久が投手兼任コーチとして復帰。「100点じゃなくて、80点でコースを狙えばいい」など、貴重な助言を受け、生田目は前を向いている。

「抑えたこと、打ち込まれたことを含め、すごくいい経験をさせてもらっています。さらに高いレベルでやるためには、もっとストレートを磨きたいですね」

 そう。なにしろ、「まっすぐありき」が生田目なのだから。

なばため・つばさ●1995年2月19日生まれ●投手●176センチ87キロ●右投右打●常陸大宮市立第二中(軟式)→水戸工高→流通経済大→日本通運

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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