ドラフト2018 逸材発掘! その1 米倉貫太

埼玉栄高・米倉貫太。ルックスもいいでしょう(撮影・筆者)

「リリースの瞬間、ピシッと音がするんですよ。一級品。そんなの、(ダルビッシュ)有以来だね」

 久々に会った埼玉栄高の若生正廣監督は、米倉貫太にべたボレだ。なにしろ、同監督のもと、東北高でメジャーの礎を築いたダルビッシュ級だというのだ。

 2014年度まで務めていた九州国際大付の監督時代、当時福岡・浮羽ボーイズに在籍し、県選抜メンバーに名を連ねていた米倉に出会った。同じ時期に、佐賀・東松ボーイズから大阪桐蔭高に進んだ柿木蓮も見たが、若生監督がより魅力を感じたのは米倉だった。

「基本がすべてできている。なにより、立ち姿がよかったですね」

リリースの瞬間、音がピシッと……

 ただ若生監督は15年度から、古巣の埼玉栄に復帰し、福岡とは大きな距離を隔てることになる。それでも米倉は、果樹園を営む両親を説得し、若生監督を慕って故郷を飛び出した。すると、1年夏から背番号11でベンチ入り。 飯能高との初戦で先発を務め、4回途中まで1安打5三振無失点と、上々のデビューを果たしている。

 米倉は、「出てきたばかりでなにもわからず、投げるだけで精一杯でした」と話すが、その間「投手としての基本も一から十まで教えました。いい投手はけん制、フィールディング、バント処理……となんでもうまいものですが、米倉にもその能力はありますね」(若生監督)

 並行して、股関節のストレッチを毎日徹底した。高校時代のダルビッシュがそうだったように、股関節での体重移動を重視する若生監督の方針。おかげでいま、柔軟になった米倉の下半身は、相撲取りの股割りのように楽に180度開く。さらに、ピンポン玉大の鉄の球2個を与え、時間があればそれを指先で遊ばせるように指示。変化球に必要な、指先の繊細な感覚をつかむもので、これもやはりダルビッシュ育成法のひとつだった。

「いいピッチャーというのは、リリースがちょっと早いと察知したら本能的、瞬間的に指の力を抜いたりして、高低を調節するものです。ダルビッシュはそれができていましたが、それには指先の繊細さが必要。米倉も、鉄の球を最初から器用に操りましたよ」(若生監督)

 その効果もありいま米倉本人は、「スライダー、ツーシーム、カーブ、フォーク、チェンジアップ、シンカーなんでも投げられます」と話す。細かった体も、入学時の78キロから85キロへと、たくましさを増した。

 ただいかんせん、高校時代はさしたる実績がない。エースとなった1年秋は地区予選敗退。 2年も、本庄東高に7回7三振2失点と好投したが初戦敗退。2年秋は、4試合25回を投げて30三振、5失点でベスト8に進出したが、3年夏は4回戦で川口市立高に敗れ、つまり甲子園には一度も出場していないのだ。

夏前に最速146キロを計時

 それでも、夏前の東海大相模高との練習試合では最速146キロをマーク。「150はいつ出てもいい。またスタミナも、入ったときを1とすればいまは10まで伸びているし、連投できる肩のスタミナもあります。あとは、体幹を鍛えて、大人の筋力にしていくこと」と、若生監督もその将来性に太鼓判を押す。ただ、「性格がよすぎるんだよね(笑)。学校でも、悪くいう先生が一人もいない。もっと闘争心を出してほしいね」と注文を忘れないのだが……。

 米倉は、こういった。

「3年間はアッという間でしたが、納得いく投球は1回もありませんでした。ただ一時期、振りかぶって投げていたのを、夏前から従来のフォームに戻し、手応えはあるんです」

 若生監督はそして、こうつぶやいた。「ゆくゆくはメジャーですよ」。思えばダルビッシュのメジャー挑戦1年目の12年、シーズン前から「最低でも15勝はする」と予言したのが若生監督その人だ(12年のダルビッシュは16勝)。慧眼は、米倉にも通じるか。

よねくら・かんた●2000年8月4日生まれ●投手●184センチ85キロ●右投右打●うきは市立浮羽中(浮羽ボーイズ)→埼玉栄高