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衝撃のツーラン・スクイズ! どこまで行くんだ、金足農?

楊順行スポーツライター
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 いやはや、驚いた。

 夏の甲子園準々決勝、第4試合。1対2と1点リードされた9回裏、無死満塁から金足農(秋田)が仕掛けたのはスクイズ。打順は九番・斎藤璃久だし、まずは同点狙いで、そのこと自体は順当だ。だが、三走の高橋佑輔ばかりか、送球が三→一→捕と渡る間に、二塁走者の菊地彪吾も50メートル6秒の足を飛ばしてホームイン。いわゆるツーラン・スクイズを決めて、盛り上がる100回大会の最後の4強進出を決めたのである。

 試合は近江(滋賀)が優位に進めた。金足農の鉄腕・吉田輝星も、連投とあってさすがに球が走らない。それでも、持ち前の3段階ギアを切り替えて、9回まで近江打線を7安打2点に抑えていた。奪った三振は10。これで4試合連続の二ケタ奪三振だ。

 そして、1点を追う最終回の金足農。先頭の高橋がヒットで出ると、球場の拍手にも後押しされてヒット、四球で無死満塁のチャンスだ。そこで斎藤は、ワンボール・ワンストライクからの3球目のスクイズこそファウルしたものの、直後の4球目を再度スクイズで三塁手の前に。それが、ものの見事に"打点2"の決勝サヨナラ打となった。

ツーラン・スクイズとは

 金足農・中泉一豊監督はいう。

「血が沸いたというか、興奮しましたね。まずは1点を取って同点にしたかった」からスクイズのサインを出したが、「まさか菊地彪まで還ってくるとは」本人も気づかなかったという。ただ、

「菊地彪は、チームで一番足が速い。内野手がどこでバントを捕ったかを見て走ったと思う。ナイス判断です」

 なるほど。甲子園では2000試合以上を見てきたが、サヨナラのツーラン・スクイズとなるととんと記憶にない。

 ちなみにツーラン・スクイズとは、辞書ふうにいうと、

「走者が二、三塁(または満塁)のときにスクイズを仕掛け、野手が一塁に送球する間に、三塁走者だけではなく、二塁走者も一気に生還しようという作戦。守備側がスクイズを警戒するあまり、二塁走者に対する警戒が薄くなることがあればチャンス。のち長く母校の監督を務めた玉国光男は、現役だった宇部商(山口)時代の1966年、金沢(石川)との試合で、ツーランスクイズにより二塁走者として生還した。また、広島商を率いた迫田穆成は、73年夏の大会の3回戦・日田林工(大分)戦で、ツーランスクイズを仕掛けて成功。このときは周囲も何が起こったのかと驚き、当時の実況アナウンサーも状況を説明できなかったとか」(ベースボール・マガジン社『甲辞園』参照)

秋田勢、第1回以来の決勝進出か?

 これで金足農は、初出場だった1984年夏以来のベスト4に進出。"農"の字のつくチームの4強はそのとき以来のことで、日大三(西東京)との準決勝に勝てば、31年の嘉義農林(台湾)以来、"農"のつく高校の87年ぶりの決勝進出になる。

 それにしても、秋田県民の「金足愛」の強さはどうだろう。3回戦、秋田でのテレビ視聴率は45パーセントを超えたというし、準々決勝のあと、秋田の知人に電話すると『凄いことになっていますよ!』。

 第100回大会。金足農が準決勝を制すれば、秋田勢として第1回の秋田中以来の決勝進出となる。第1回と、区切りの100回大会での決勝進出なんて……いやはや、おもしろいぞ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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