金足農・吉田輝星、規格外のストレートで横浜に勝利!

初出場の1984年夏、準決勝でPL学園を苦しめた金足農。写真はエース・水沢博文(写真:岡沢克郎/アフロ)

「初球、ボールでもいいからフルスイングしろよ」

 横浜(南神奈川)との3回戦。2点を追う金足農(秋田)の8回裏は、連打で無死一、二塁から大友朝陽が送りバントを失敗。イヤなムードだ。そこで副主将の菅原天空は、自らの判断でタイムを要求すると、次打者の高橋佑輔に「フルスイング」を耳打ちした。

「バント失敗で、相手に流れが行きかけた場面。次の一球で、流れが本当に変わると思ったので」

 という菅原天の意図通り、高橋が横浜・板川佳矢の初球・浮いた変化球をフルスイングすると、打球はフォローの風にも乗って伸び、バックスクリーンへ。高橋が「入学以来2本目。頭の中は真っ白で、センターフライだと思った」というホームランは、優勝候補の横浜を打ちのめす劇的な逆転3ランとなった。

 そして9回は、一人で投げ抜いている大黒柱・吉田輝星が、「高橋の気合いがうれしかった」と、この夏の70イニング目を三者三振で締めて5対4。金足農のナインはともかく、世間的に見れば大金星だろう。なにしろ横浜・平田徹監督が試合後、

「まさか……まだ気持ちの整理がつきません」

 とうめいたほどだから。

70回を投げて98三振のドクターK

 このジャイアント・キリング、むろんエース・吉田の投球なしには語れない。1回戦は鹿児島実を14三振1失点。2回戦、大垣日大(岐阜)を13三振3失点。そしてこの日は、横浜打線に12安打されながらまたも14三振を奪った。秋田大会でも43回で57三振だから、70回で98三振というドクターKぶりだ。最速150キロもさることながら、

「自分では、ギアが3段階あるつもりです」

 と本人がいう、局面でのエネルギーの使い分けが秀逸だ。ストライク先行の「1」、走者を背負うと体をより大きく使って「2」、まっすぐの伸びで空振りを取れる「3」。一段ごとに、すごみが増していく。たとえば横浜戦、ボールではあったが最後の打者にマークした150キロは見事な「3」だった。

「3」段階の、顔を通るようなまっすぐを三振したのが、鹿児島実の好打者・西竜我で、「ストライクだ、と打ちにいったつもりなのに、ボールが伸びてきて結果的に高めを空振りしてしまう。スピード表示よりも速く感じました」。天王中時代に初めて吉田を見たときの印象を、中泉一豊監督は「当時から、打者の手元で球が伸びていました」と語る。横浜戦で、高橋に"殊勲"の耳打ちをした菅原天によると、吉田のボールは、

「野球を知らない人なら、"なんであんなクソボールを振るのか"と思うでしょうが、手を離れた瞬間はベルトあたりと思える軌道だから振りにいくんです。でも実際は、顔のあたりにくる。低めも、くるぶしぐらいの低め、と見える球が、ひざ元の絶妙の高さになる」

なんであんなクソボールを……

 それが、ホップするストレート。物理的にはありえないけれど、打者にそう見えてしまうほど規格外なのだ。吉田はいう。

「三振だと球数が必要なので、自分たちの攻撃に流れがいかないこともあります。なので、追い込むまでは打たせて取ること。追い込んだら、しょうがないので(笑)ギアを上げて三振を狙いますけど」

 金足農では、1年の秋からエースだった。昨夏はチーム10年ぶりの決勝に進出すると、この冬は、中泉監督が「走りすぎじゃないの?」と思うほど、雪の中では長靴を履いて長距離を走り、室内練習場ではダッシュを繰り返し、下半身をいじめ抜いた。そうして培った下半身の強さとスタミナが、一人で投げ抜く土台になっている。

「体重移動したときに左肩が開かないように、また肩甲骨と股関節をうまく連動させるようにしています」

 とは吉田だ。さらに横浜戦では、「ボールになってもいいから、相手打者に迷わせるために」(菊地亮太捕手)、これまでほとんど使ってこなかった右打者へのツーシームも織り交ぜる。そして終盤にツーシームに目が慣れてきたら規格外のストレートを中心に組み立て、タレントぞろいの横浜打線を手玉に取った。

 金足農はこれで、95年以来23年ぶりのベスト8に進出。近江(滋賀)との準決勝に勝てば、秋田県勢にとっては、春夏を通じて1989年以来のベスト4になる。89年といえば平成元年。平成最後の夏の甲子園というのも、ちょうどいい区切りだ。