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センバツ出場校決定。創成館(長崎)が強そうだ

楊順行スポーツライター
昨年優勝の大阪桐蔭には、史上3校目の春連覇がかかる(写真:岡沢克郎/アフロ)

「いつやられるか、いつやられるかと覚悟していました」

 昨年11月13日、明治神宮大会準決勝。大阪桐蔭に7対4で勝った創成館(長崎)の稙田龍生監督は、ホッと安堵の息をもらした。なにしろ相手は根尾昂や藤原恭大ら、ドラフト候補が6人ともいわれる最強軍団である。実際、公式戦11連勝で近畿地区を制し、センバツどころか、夏の甲子園まで無敗で走るのではないか……とまでいわれた巨大戦力だ。

 だが創成館打線は、「速い球対策として、3回からノーステップ打法を徹底」(稙田監督)し、その3回に5安打を集中してドラフト候補の柿木蓮を攻略。投げては3投手の継投で、桐蔭打線を相手に4失点と踏ん張った。峯圭汰主将は「勝てたのが夢のようです」と話すが、堂々の寄り切り勝ちである。

 新チーム結成以来、創成館の秋の戦いぶりは力強かった。秋季長崎大会5試合は30得点6失点で優勝。「神宮大会に行くこと」(つまり優勝)を目標に挑んだ九州大会でも、ベスト4まで危なげなく勝ち上がった。ただ創成館にとって、鬼門は準決勝。通常、秋の九州大会でベスト4に進めば、かなりの確率で翌年のセンバツが見えてくるのだが、創成館は11年秋、準決勝で九州学院(熊本)に0対9でコールド負けを喫している。これが印象を悪くして、手が届きかけた初めてのセンバツ切符を逃しているのだ。

 昨秋も、延岡学園(宮崎)との準決勝が大きなヤマだった。相手は、宮崎大会では平均10点以上をたたき出す強力打線で、投手陣が打ち込まれれば、またもやセンバツ出場が遠のきかねない。だがこの勝負どころで、184センチのエース左腕・川原陸が、141キロの速球を軸に3安打11三振の完封劇。長崎北シニア時代、シニア日本代表として米国に遠征したこの大器は、

「ボールが指にかかっていた。直球が走り、スライダーも切れていて、苦しい場面は一度もなかったです」

 と涼しい顔だった。創成館は決勝でも、富島(宮崎)を一蹴し、目標どおりの神宮大会出場を果たすことになる。そしてその神宮でも、準優勝だ。

"ダブル陸"ら、投手陣が分厚い

 創成館の強さは、打線もさることながら、主将の峯らが「安心して見ていられる」という分厚い投手陣にある。神宮大会では川原のほかにも、県大会の途中から登録された右腕・伊藤大和が存在をアピールした。この夏に腰椎分離症になり、上手投げがつらいために試した横からの投球がはまった。横から、球速140キロ近い球を放られたら、高校生はちょっと手こずる。球種やカウントにより、同じ打者にも上、あるいは横と、「捕手のサインで」(伊藤)自在に投げ分け、神宮での1、2回戦は、計5回3分の2を2安打無失点の好救援だ。

 大阪桐蔭戦で先発したのは、九州大会で出番はなかったが「素材は川原より上」と稙田監督が評する左腕の七俵陸。左腕の"陸"コンビのほかにも、戸田達也がマウンドに立ち、さらには「ピッチャー候補だけで20人います。冬を越えて、誰が出てくるか」(稙田監督)という競争は頼もしい。

 稙田監督は、別府大付(現明豊)卒業前に、当時社会人・阿部企業の指揮を執っていた馬淵史郎・現明徳義塾監督に勧誘されたことがあるという。結局は九州三菱自動車に進み、現役引退後は同チームの監督を経て、08年9月に創成館の監督に就任した。それが、神宮の決勝で馬淵監督の明徳と対戦するのだから、球運というのはおもしろい。その決勝は明徳に軍配が上がり、

「馬淵さんは目標としている指導者。負けましたが、対戦できてうれしかった。いつかは追い越したいですね」

 と稙田監督。"いつか"は、このセンバツかもしれない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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