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いざ甲子園へ! その2 山口高志の母校・市神港が"ラストサマー"に挑む

楊順行スポーツライター
校門には3つの校名を記したプレートが

日本のプロ野球史上屈指の剛速球を誇った山口高志は、「ええで、ええで」とは言われなかったという。そう、亡くなった上田利治さんが、阪急の監督だったころのことだ。ただし上田さん、ブルペンの山口を見ている周囲には、「ええやろ」とアピールしたそうだが。

その山口は高校時代の68年、春夏連続で甲子園に出場している。在籍していたのは、兵庫の神戸市立神港高校。高校野球ファンには、"市神港=シシンコウ"のほうが通りがいいだろう。

古豪である。名門である。1917年に創部し、29〜30年には史上初めてセンバツの連覇を達成(当時は第一神港商)。センバツ連覇は、のちにPL学園(81〜82年)しか果たしていない大偉業だ。市神港はこれも含めて春夏通算15回甲子園に出場し、22勝(13敗)を記録している。

その"シシンコウ"にとって、最後の夏がやってきた。

神戸市は近年、須磨翔風や科学技術などのように、市立高校の再編を進めている。市神港も昨春、兵庫商と統合し、神港橘という新しい学校になった。橘とは、兵庫商の象徴として校章に用いられていたもの。つまり、新校名は両校の伝統を受け継いでいるわけだが、市神港の敷地に新設された校舎では市神港、兵庫商の3年生と、神港橘の1、2年生が学んでいるからややこしい。

昨年の市神港野球部は、神港橘との連合で大会に出場したが、2回戦で実力校・明石商に敗退(統合相手の兵庫商は昨夏、2、3年生のみの単独チームで5回戦まで進出し、今季も単独での出場)。創部100周年の今年、1、2年生部員が37人いる神港橘は単独チームでの出場も可能だったが、「市神港として最後の夏をともに戦おう」と、やはり連合チームでの出場となった。だが、夏に敗れると7人の3年生部員は引退する。つまり、市神港の名前は消えるわけで、76年夏以来の甲子園に名門の名前を刻むラストチャンスというわけだ。

センバツ連覇を象徴するストッキングの2本線

だが……昨秋、そして今春も1回戦で敗れているように、晴れ舞台への道は並大抵じゃない。そもそも市神港と改称した49年、兵庫県はすでに公立群雄割拠の時代だった。60年代になると報徳学園、東洋大姫路……といった私学が一大勢力に。同じシンコウならむしろ、私立の神港学園が急成長した。私学の台頭はいまも続き、あるいは公立も盛り返し……と、兵庫県は全国屈指の激戦区といっていい。

「ええ、私が2年だった93年夏のベスト8さえ、76年の出場以来17年ぶりでした」

と話すのは、2010年秋からチームを率いるOBの安田涼監督だ。それ以降でも目立つのは、98年夏のベスト4(東兵庫)、10年夏の8強くらい。しかも市神港・神港橘のこの春は、同じく市立校の統合で生まれた須磨翔風に初戦負け(1対8)なのである。だが、歴史の架け橋となる選手たちは、前を向いている。

「伝統校の最後の夏、というプレッシャーを背負っている感じはしません。確かに名前が消えるのは寂しいですが、(神港)橘が受け継いでくれますから。それよりいまはピッチャーの制球がよくなり、長打も出るようになって、冬のトレーニングで基礎体力が改善した手応えがあるんです」(山本悠里主将)

確かに、昨秋はなかなか勝てなかった練習試合を、今季は勝ち越しているという。

「なにかと注目されるのは、ありがたいこと。3年生には、1分1秒でも長く、市神港の名前で野球をやってほしいですね」

という安田監督のもと、市神港・神港橘の初戦は9日の予定(相手は西宮東)。勝ったときに歌うのは、神港橘の新しい校歌ではなく、市神港のそれだ。そして……紺と白のストッキングにあしらわれたエンジの2本線が、センバツ連覇という誇りを象徴している。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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