野球王国・四国復活か? 上甲×馬淵、懐かしの盟友対談 その2

(写真:アフロ)

上甲正典と馬淵史郎。2人は、南予の出身という共通点はあるにしても、学年にして8年違う。当然、高校時代の接点はなく、大学も別だ。それが指導者になると、上甲が済美で初めてセンバツに出た2004年には「馬淵君には足を向けて寝られんわ」と語るほどの交流があった。そもそも、どういう縁があったのだろう。

馬淵 「僕が三瓶の高校生だったころは、上甲さん、まだ宇和島東のコーチはされてなかったですか? でも、練習には出られてたでしょう。お顔は知っていましたけど、本当に知ったのは88年のセンバツで優勝してからでしょうね。山中(久)いうショートの子がおったでしょう」

上甲 「そうそう、87年夏の県大会でホームラン4本打ったんがその子よ」

馬淵 「小さいけど背筋力がすごくてね、ボート漕ぎのトレーニング、上甲さんがやりよるから、ウチもやれえ、とやっていますよ(笑)。それとキャッチャーが明神(毅)か。そのチームが88年のセンバツで、アレヨアレヨという間に桐蔭学園に延長で勝ったりして優勝し、"上甲さんいうんはすごいな"と思っていました。僕は、上甲さんが宇和島東の監督になったのと同じ82年から社会人(阿部企業)の監督をやって、88年には縁があって明徳のコーチをやっていた。で、"上甲さんはすごい"と思ってから、練習試合に行かせてもらうようになった。

僕が明徳の監督になってからもしょっちゅうやらせてもらっていたけど、平井(正史、元オリックスなど)がいたときなんか、1回もよう勝てんねん。負けて負けてまたも負けたか8連隊(注・大日本帝国陸軍歩兵第8連隊が弱いという風説)……そのころは、上甲さんに負けたら宇和島から3時間かけて山越えして明徳に帰り、練習しましたもん。今からじゃ、今度行ったときは勝つぞ! と」

上甲 「93~94年といえば、4季連続で甲子園に出場しているんだけど、平井がおって岩村(明憲、元東北楽天など)のお兄ちゃん(敬士、元近鉄)がおる代、次が橋本(将、元横浜など)と宮出(隆自、元東京ヤクルトなど)の代ですから、この2年だけは勝たしてもらった(笑)」

「馬淵君はカタが強い」「いや、上甲さんや」

馬淵 「なにをおっしゃる(笑)。まあ、上甲さんが済美に行った(02年)当時は、できたばかりの野球部相手に、練習試合を受けていた。グラウンド開きに行ったりね。それは当然、明徳が勝ちます。済美は1年生しかいないんだから。ところが、胸を貸していたはずが、03年秋の四国大会では大逆転負けするし、04年のセンバツでも準決勝でやられたし。それで"足を向けて寝られん"といわれても、くそったれ、と思いよるけん(笑)。それから済美には、よう勝たんのですよ。だからチーム力に自信がないときは、わざと練習試合をやらんかった。がたがたにされたら、さらに自信をなくすから(笑)」

上甲 「歴史の先生は、孫子の兵法も勉強するからな。馬淵君は試合でも、ここは自重するとき、ここは開き直るとき、ここは緻密に行くとき、きちんと使い分けるから、そのへんはすごいと思うわ。いつもいうんやけど、馬淵君、ほんとにカタが強いよ」

カタが強い……? それはどういうことだろう。

上甲 「愛媛の言葉やけど、どういうんやろ、早くいうたら運が強い、ツキを持っている、いい星の下に生まれている……」

馬淵 「そうそう、そんな感じや。まあ確かに、90年の9月から監督になって、初めての夏の高知大会(91年)の初戦が伊野商で、2対5の9回裏にサヨナラ勝ちです。それも二死走者なしからホームラン、当たりそこねの二塁打とフォアボールのあと、四番の津川(力、元ヤクルト)が初球を場外へ……。もしあの初戦で負けたらここまでやっていなかったかもしれません。でも、本当にカタが強いのは上甲さんよ。初出場優勝が宇和島東と済美で2回、済美では春夏連覇寸前の準優勝。これじゃなくて、なにをもってカタが強いというか(笑)。それと99年夏の松山聖陵との準々決勝だって、聞いたらもう、すごいわ」

上甲 「相手は第一シード、9回ツーアウトランナーなしで2点負けとってな。最後のチャンスで宮本(信二)という子に打席が回って……」

馬淵 「お父さんが亡くなっていたんでしょう。それで上甲さんが"天国のお父さんに打て!"と送り出して、サヨナラ……その記事を見てほろっときたからよう覚えてるわ」(続く)