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河野和洋……? 高校野球好きなら、聞いたことがあるはず。

楊順行スポーツライター
高校時代も本来は野手。現在もチームの主砲を務める

先月のこと。高校野球取材先の金沢で、電話が鳴った。ディスプレイを見ると、河野和洋さんからだ。

「金沢? 私が出入り禁止の県じゃないですか」

と笑う。なにしろ河野さんは、1992年夏の甲子園で、明徳義塾の投手として石川代表の星稜・松井秀喜を5敬遠した張本人なのだ。それはともかく用件は、現在選手兼監督を務めるクラブチーム・千葉熱血MAKINGのチャリティーマッチのお知らせだった。以下、FBから抜粋させてもらおう。

〜関東東北豪雨 復興支援チャリティーマッチ in松戸〜

日時:12月6日(日)  12時プレーボール(10時から少年野球教室を予定)

場所:松戸運動公園野球場

《開催の目的》

茨城県常総市の支援を目的とした募金をお願いするものです。我々、千葉熱血MAKINGは所在地である千葉県内はもちろん、お隣の茨城県内でもグラウンドをお借りし練習・試合を行っています。記憶にも新しい、本年10月、その茨城県を記録的な大雨による水害が襲い、多くの地域で甚大な被害が出ました。本チャリティーマッチは千葉熱血MAKINGが日ごろお世話になっている茨城県への恩返しのため企画したものです。第1弾は11月に市川市で開催させていただき、総額14万3126円の募金をいただきました。誠にありがとうございました。

《見どころ》

ご存知、片岡安祐美監督率いる茨城県の強豪クラブ 茨城ゴールデンゴールズと松井秀喜を甲子園で5敬遠した伝説の男、河野和洋選手兼任監督率いる千葉熱血MAKINGの熱い戦いに注目! 12月の寒さを吹き飛ばす熱い戦いをお約束します! 試合前には少年野球教室の他ホームランダービーやスピードガンコンテスト等、腕に覚えのある皆さまが参加可能なイベントも開催予定!

そもそもクラブチームとは、日本野球連盟の登録規定によると、「会社登録以外のチームをいう」。これだけでは味も素っ気もないが、年齢も職業もバラバラの有志が、会社や地域、出身校などを背景として集まったチームだと考えればいい。その多くは個人会費や後援会組織、地元自治体などからの支援によって運営されている。タレントの萩本欽一氏が茨城ゴールデンゴールズを立ち上げたのを機に、認知度は少しずつ高まり、河野さんがいる千葉熱血MAKING(以下、熱血)も、森田健作・千葉県知事の肝いりで、06年に日本野球連盟に登録した。

居酒屋のアルバイトから全国大会でHR

その熱血は今年9月、クラブチームの最高峰の大会である第40回全日本クラブ野球選手権大会に初出場し、ベスト4まで進出している。準々決勝では、河野監督自ら決勝犠飛を放ったが、準決勝では3対3と同点の9回、敬遠での満塁策から押し出しでサヨナラ負け。7回終了時点では、優勝する和歌山箕島球友会に3対1と優位に立っていただけに、

「勝ちゲームでしたが、守りに入っちゃいました。ただ、僕が敬遠しちゃいけないですね(笑)」

と河野さん、自虐的に苦笑いしていたものだ。この試合の3回に2ランホームランを放ったのは、熱血の新人・鷲崎一誠。慶応大学野球部出身だが、大学時代は出番がなかった。それが、この4月。アルバイトをしていた銀座の居酒屋で、たまたま来店していた熱血のチーム関係者から、声をかけられた。「いい体をしているね。なにかスポーツやってるの?」「はい、実は……」というやりとりがあり、それが、入団のきっかけとなった。居酒屋でたまたま、ねえ。だからクラブ野球は面白い。鷲崎によると、

「それまでは軟式の草野球をやっていたんですがどうも物足りない。クラブチームに予備知識はそれほどなかくても、いざやってみるとやはりすごく楽しいですね。大学時代は試合に出られなかったので、試合ができるというだけでいい。しかも、全国大会に出られたんですから……」

ちなみに、四番を務める河野さんは、11月のチャリティーマッチでも2本の場外ホームランを放ち、うち1本は駐車していた車のフロントガラスを割ってしまったとか。6日に対戦する茨城ゴールデンゴールズは、練習試合もひんぱんに行う仲で、どちらも関東圏では屈指の実力チーム。河野さんはいう。

「寒くなるかもしれませんが、ぜひ足を運んでください。試合前には、子どもたちやお客さんとグラウンドレベルで一緒になり、野球教室というより、運動会のようなイベントになるでしょう。アメリカの独立リーグでプレーしているとき、所属チームは全米一ファンを大切にするといわれていたんです。日本のクラブチームも、地域と密着してこそだと思いますので、楽しんでください」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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