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もうすぐドラフト・その7[社会人編]……横山弘樹

楊順行スポーツライター
ドラフト本、花盛りです

圧巻は14年、都市対抗初戦のJR九州戦だ。

ルーキーながら大事な先発を任されると、187センチの長身から最速146キロのストレートとチェンジアップ、フォークを効果的に投げ分け、4安打11三振の完封劇。「最初は新人扱いしていたが、想像以上」と、飯塚智広監督を感嘆させた。結局この大会は、準々決勝の富士重工業戦も先発して5回3分の2を1失点で勝利投手に。3試合15回3分の2で0.57という驚異的な防御率を残し、富士重の小野和博と並んで若獅子賞を獲得している。

ただ……桐蔭横浜大から入社した当初は、力量のあまりのギャップに驚き、9人いる投手陣の九番手だと思った。そこから一番手への大出世には、「安田(武一)コーチの教えが大きい」と横山弘樹はいう。なにも、特別なことをやるわけじゃない。ヒザ立ちしてのキャッチボール。バランスボールに乗って、重心移動の反復。基礎練習の蓄積だ。それでも、

「以前はただがむしゃらに投げていたのが、アドバイスによって重心移動がスムーズになりました。たとえば、踏み出しがアウトステップするから体が開き、シュート回転するというメカニズムだけではなくて、アウトステップする理由まで目を向けましたね」

正しい体の使い方を体得すればフォームがよくなり、球質がよくなり、そして制球も向上する。そこからの横山は、「都市対抗予選の準決勝、北海道大会、東京ドームの初戦……と徐々に大事な試合を任されるようになり、つねに挑戦しているうちに1年が終わった感じです」と勝利数から投球回数、奪三振まで、軒並みチームトップで1年目のシーズンを終えた。

寺原伝説に続け!

宮崎・赤江東中では、那須裕志(東京ガス)が同級生。進路が分かれた高校時代は、ずっと球速を争うライバルだった。大学では、前出・小野の陰に隠れて目立たない存在だった。右ヒジの故障などもあり、リーグ戦初登板は3年の春だ。「このままでは……」と、齋藤博久監督に登板を直訴。いわば、退路を断ったわけだ。それ以後は、生半可な練習で妥協するわけにはいかなくなり、意識と取り組みが変わっていった。そして迎えた4年春。不調の小野に代わって台頭し、リーグ戦初勝利を挙げると大学選手権Vにも貢献。秋には4勝1敗、防御率0.92でMVPと、才能が開花した。そして、社会人1年目の脱皮である。

「いま思えば、上田(祐介)さんというベテランのリードもすごく勉強になりました。球種、左右高低、全部含めた投球をさせてくれるんです。偏ることなく、そのときのベストの配球をしてくれる」

今季は東京ガスの補強選手として都市対抗に出場し、1回を無失点に抑えたが、

「チームが都市対抗に出られなかったことに、すごく責任を感じています。だから、日本選手権での優勝が目標。日本一になるために積み上げてきたことを、評価してもらえれば」

日本選手権の初戦は31日、対和歌山箕島球友会だ。ちなみに赤江東中では、寺原隼人(ソフトバンク)が先輩。宮崎シニアでプレーした横山は、部活だった寺原とは直接のつながりはないが、

「伝説の人です。寺原ロードというランニングコースがありました。寺原さんのように、球速150キロ超えを目ざします」

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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