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夢の160キロは出るのか? 安樂智大、明日登場

楊順行スポーツライター

つねづね思っていた。2010年までなら夏の甲子園のあと、開催時期が変わった12年からは甲子園前に都市対抗の取材に行く。さすがに社会人は日本のアマチュア野球の最高峰、ピッチャーのタマのキレや伸びが、高校生とは違うよなぁ……と思うのだが、東京ドームのスピードガン表示は140キロそこそこ。素人目にも、甲子園で150キロを計時したたとえば●●投手より明らかに速いのに、だ。

甲子園での高校野球に、スピードガンによる速度表示が導入されたのは04年のことだ。テレビ中継では、80年ごろから朝日放送が、00年夏からNHKがそれぞれ球速表示を始めていた。星稜の小松辰夫(元中日)のスピードがあまりにもけた外れで、球速への関心が高まっていたためだ。80年の夏には、高山郁夫(秋田商、元ダイエー)が149キロを計時したらしい。以後98年春、松坂大輔(横浜、現インディアンス)が史上初めて150キロに達し、同年夏には151キロと最速を更新してみせた。

寺原隼人(日南学園、現ソフトバンク)が、158キロとその数字を大幅に更新したのは01年の夏だった。これは当時の伊良部秀輝(元阪神)が持っていた日本記録に並ぶものだが、やはり素人目には、いささか懐疑的にならざるをえなかった。だって、松坂より速いとはどうしても思えないのだ。なにしろ、相手打者に簡単に当てられるのだから。

球場の表示がなかった時代、これらは、ネット裏のスカウト陣の計測をスポーツ紙などが報じたものだ。そもそもスピードガンは、発射された電波と、ボールに反射して戻ってくる電波の波長や周波数の差から球速を割り出す仕組み。車のスピード違反を取り締まるために開発されたものを応用したのだが、当然、誤差はある。たとえば○○球場と××球場で測る角度が違えば異なる数字が出るし、同じ球場でも右投げと左投げでは数字が変わることもある。ときには投球ではなく、なんらかの別の動きに反応して、渾身のストレートのはずが95キロなどと出る。いわゆる"ゴースト表示"だ。

となると、多数いるスカウト陣の計測もまちまちなのだが、寺原の158キロはそのうち、最速の数字を採用したもの。誤差があることを見ないふりをして、景気づけのために最速を採用するわけだ。スポーツ好きは数字好きだ。たとえば64年の東京五輪開催時、国立競技場のトラックのサーフェスは、記録の出やすいものにした。いうまでもなく、大会の盛り上がりを演出したいがためだ。陸上競技でいえば、マラソンでペースメーカーを導入したのも、記録更新の可能性を高め、2時間以上にわたるテレビ中継の興味を失わせないためだろう。スピードガンの数字もしかり。その魔力で、大会をあおるのだ。かつて、当の寺原からこんな話を聞いたことがある。

「当時は、松坂さんと比べられるだけで光栄でした。でも僕の頭のなかでは、どうせなら史上最速を出したかった。まず初戦で151キロが出て、2回戦で154キロとか、158キロが出た。そこで松坂さんの記録を抜いたんで、もう大満足でしたね。でも実は、158キロといわれているタマは、それほど"いった!"という感覚じゃなかったんです。むしろ初戦の151キロのほうが、自分としては速く感じました。158キロは、計測ミスじゃないですか(笑)。154キロは出て不思議じゃないとしても、158キロはちょっと……」。

甲子園で球速が表示されるようになってからは、07年夏、佐藤由規(仙台育英、現ヤクルト)が記録した155キロが最速。ただこれにしても、「甲子園の高校野球は、球速が出やすい。東京ドームと5キロは違う」(某スカウト)というのが定説だ。

さてさて明日は、愛媛県大会で自己最速の157キロを計時した怪物・安樂智大(済美)が登場する。本人もその気満々の記録更新はなるか。ただ、寺原があらためて振り返るのは、「史上最速といわれて、自分は速球投手だと勘違いしてしまった」。目を見張るようなスピードは野球のたまらない魅力ではあるのだが、同時に、野球はスピード競争ではないことも頭に入れておきたい。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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