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妻子と離れ栃木の伐採現場へ コロナ禍ストレス募る? インドネシア人―大洗・全裸男の足跡(2)

米元文秋ジャーナリスト
Aは栃木県内の伐採現場で、チェーンソーの持ち方をとがめられたという=イメージ(写真:PantherMedia/イメージマート)

 「妻子と離れ、栃木の樹木伐採のゲンバ(作業現場)で働き、親方に怒鳴られていた」「ゲンバやハタケ(畑)を転々、ストレスを募らせ、精神的に追い詰められたのでは」―。茨城県大洗町で全裸で車を襲ったとされるインドネシア人の男A(39)。当局の摘発を避けながら生きるオーバーステイの足取りの一端が、彼を直接知る同胞たちへの聞き込み取材で見えてきた。

 ただでさえ定職を得ることが困難なオーバーステイ。5月には新型コロナウイスの感染が、町のインドネシア人社会に広がった。自宅待機を迫られる人が相次ぐ中、同じくオーバーステイの妻と、乳飲み子を抱え、懸命に生きようとしていたようだ。Aはある決意を秘めていたようにも思える。

 本稿は、前回記事―「おとなしいインドネシア人」がなぜ?―に続く、連載「大洗・全裸男の足跡」の第2回記事となる。

「元公務員、観光ビザで入国」

 取材を続けていて、日系インドネシア人で共に食品加工場従業員のEさん(40代)、Fさん(30代)夫妻を探し当てた。EさんはAと同じインドネシア・北スラウェシ州の離島の出身だ。夜、夫妻宅を訪ねた。町内の閑静な住宅地の一軒家。同町の日系人の間には、永住資格を取得して住宅ローンを組めるようになり、家を購入する人も数年前からポツポツと現れている。

 Eさんは「島ではAのことは知らなかったが、大洗のインドネシア人教会で出会った」と、話し始めた。「島の小学校と中学校で私の弟と同級生だったことも分かった。Aは来日前には島では公務員をしていて、地元有力者の甥っ子だと聞いている」

 有力者の家系のAが、なぜ公務員を辞めて日本に働きに来たのかは「分からない」とEさんの口は重い。労働者を斡旋するブローカーの介在の有無を尋ねると「A夫婦は自分たちだけで観光ビザで入国した。最初は茨城県筑西市にいたようだが、その後、大洗に移ってきた」と答えた。

失われた教会での語らい

 大洗町在住には、住民登録している正規滞在のインドネシア人400人超が暮らし、地場産業の水産加工業などを担っている。このほか、筆者の取材では、同国人のオーバーステイが約200人いるとみられる。計約600人の大半は、北スラウェシ州出身のキリスト教徒で、七つのインドネシア人教会(プロテスタント6団体、カトリック1団体)を中心に助け合って暮らしている。

 教会といっても、常設の教会を運営しているのは2団体だけで、それぞれ倉庫と、飲食店として使われていた建物を賃借している。残りの5団体は、毎週日曜日に公民館の部屋を借りるなどして、礼拝や会合を行ってきた。

 日曜日の夜に礼拝を行う教会を取材すると、新たに町に移住してきたインドネシア人の若者が周辺の農場などでの仕事を終えて駆けつけ、自己紹介をし、集まっていた人々から拍手を受ける場面にも遭遇した。礼拝の後は会食。同郷の仲間たちと腹を割って話し合える時間だ。

 A夫婦やEさん一家が通っていたのも、公民館で開かれる教会の一つだ。しかし、コロナの感染拡大で礼拝はオンラインに切り替えられた。Aは、定期的に大勢の同胞たちと直接顔を合わせ、祈り、心の安らぎを得る機会を失った。

「親方に左利きなじられる」

 それでも時折、友人同士が交流する機会はあった。Eさんは「5月上旬、ホームパーティーを開いて、親戚や同郷の人が集まった。Aもやって来て楽しそうだった。この家が気に入っていて、よく来た。呼ばれなくても来るんだよ」とふり返る。

 人懐っこいところもあるAが、パーティーの日に明かした悩みを、夫妻は覚えている。

 「Aは遠方で仕事を始めていて、家に帰れるのは1、2週間に1度だって言うんだ。栃木県内で樹木を切る仕事だった」とEさんは語る。「そのゲンバでオヤカタ(親方)がAのチェーンソーの持ち方を見て激怒し、『右手を使え』と怒鳴りつけたそうだ。Aは左利きなんだ」

 そうしたトラブルが原因で雇い止めなどの不利な扱いを受けたことはなかったのだろうか。Fさんは「怒鳴られた後、どうなったのかは聞いていない」と話した。

「きつい、危ない」最前線に外国人

 「バッサイ(伐採)のゲンバで仕事をしている」という、大洗町の別のインドネシア人労働者(20代)に話を聞いたことがある。彼もオーバーステイ。よく耳にする「ゲンバ」に加え、「バッサイ」もインドネシア語の会話の中に溶け込んでいた。

 「月曜日の朝6時に迎えの車が来て、約2時間かけて栃木県内へ行く。列車で向かうこともある。大洗に戻れるのは土曜日の夜だ。日によって違うゲンバで働く。仕事はきついし、危ない。事故でタイ人の同僚が骨折し入院したこともある。仕事はインドネシア人のチームとタイ人のチームに分かれてやっている」

 妻と当時まだ生後2カ月ほどだったわが子を大洗町に残したAも、若い同胞たちに交じって体力勝負のゲンバで汗を流していたのだろうか。

「畑のアルバイト」

大洗町近隣地域のサツマイモ畑。インドネシア人などの外国人労働者が雇われている農場も多い=事件とは無関係、米元文秋写す
大洗町近隣地域のサツマイモ畑。インドネシア人などの外国人労働者が雇われている農場も多い=事件とは無関係、米元文秋写す

 一方、Aの近所に住む日系人の水産加工場従業員Cさん(40代)は「Aは(大洗町に隣接する)鉾田市のハタケに働きに行っていた。仕事先の畑は転々と変わる。アルバイトだ」と話す。

 大洗町周辺のサツマイモや葉物野菜などの農場では、実習生などの外国人労働者が不可欠な働き手となっている。農業は苗植えや収穫などの農繁期に、普段より多くの働き手を必要とし、定職に就くのが難しいオーバーステイの働き口となっている場合もある。大洗町のオーバーステイのインドネシア人たちと仕事について話すと、「ゲンバ」と並んで「ハタケ」という単語をよく耳にする。

インドネシア人クラスター

 大洗町では4月下旬から5月にかけて新型コロナ感染者が急増、中でもインドネシア人を主体とするクラスターの発生が相次ぎ、同国人感染者は50人以上に上ったとみられている。保健所や勤め先から、濃厚接触者だなどとの理由で自宅待機を言い渡されるインドネシア人が続出。約2週間仕事ができなかった水産加工場従業員もいる。

 「正規滞在の人でも大変なのに、オーバーステイならなおさらだろう」と、Aが通っていた教会の古参会員Dさん(50代)は指摘する。仕事がなくなっても、手当や保険はなく、収入はゼロとなる。

「帰国望み入管へ」

 Aがオーバーステイとなった詳しい経緯やストレスの実態は、本人の弁を待たなければ分からない。しかし見えてきた具体的な状況もある。Aは、2019年以来続けてきたとみられるオーバーステイ生活に幕を引き、インドネシアへ帰国する決意を示していた、というのだ。

 同郷のEさんが「Aにパスポートを見せてもらった。Aはゴールデンウイーク前までに2回、東京・品川の入管(東京出入国在留管理局)に出頭していた」と証言した。

 「Aは7月15日午前8時半に品川にいなければならないことになっていた。これが、たぶん最後の出頭。出頭した場合は強制収容されない。通常、国外退去の航空チケットを自費で準備することになる」

 しかし、「最後の出頭」を待たずに事態が急変する。

(続く)

ジャーナリスト

インドネシアや日本を徘徊する記者。共同通信のベオグラード、ジャカルタ、シンガポールの各特派員として、旧ユーゴスラビアやアルバニア、インドネシア、シンガポール、マレーシアなどを担当。こだわってきたテーマは民族・宗教問題。コソボやアチェの独立紛争など、衝突の現場を歩いてきた。アジア取材に集中すべく独立。あと20数年でGDPが日本を抜き去るとも予想される近未来大国インドネシアを軸に、東南アジア島嶼部の国々をウォッチする。日本人の視野から外れがちな「もう一つのアジア」のざわめきを伝えたい。

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