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ルーキーの大島洋平に落合博満監督が伝えた「プロとして一番大切なこと」とは

横尾弘一野球ジャーナリスト
ルーキー・大島洋平の外野守備は、辛口の落合博満監督も「大丈夫」と太鼓判を押した。

 中日の大島洋平が、8月26日の横浜DeNA戦で通算2000安打を達成した。左腕・石田健大のボールをセンターに弾き返した技術は、大島にプロの扉を開かせ、それを磨き上げることで栄冠を手にすることができたものだ。そして、入団から14年目での到達は、大島が1年目からチームにとって不可欠な戦力であったことを示している。

 そんな大島を、当時の落合博満監督がドラフト指名した経緯については以下にまとめた。

祝・通算2000安打!! ヒットメーカー・大島洋平を落合博満監督がドラフト指名した意外な理由

 ここでは、大島がレギュラーの座を確保し、プロで長く活躍できる軌道に乗るまでを振り返りたい。

 忘れられないのは、大島が入団した直後、2010年の春季キャンプだ。まだスタートして2日目の2月2日に、落合監督と対話する機会を得たため、「今年のルーキーはどうですか?」と投げかけてみた。大島の評価を知りたいという内心はすぐに見透かされ、落合監督はこう言った。

「聞きたいのは、大島のことだろう。守備は一軍レベル。心配はいらない。大丈夫だ」

 これまで、同様の質問には「わからん」と答えることが多かった落合監督が、大島だけはそう言ったことに、ワクワクさせられたのを覚えている。

 そして、3月26日の広島との開幕戦で、大島は一番センターでスタメン出場する。その試合は4打席無安打だったが、翌27日の第3打席に二塁内野安打でプロ初安打をマークした大島は、3戦目はサウスポーが先発に予想されたこともあってスタメンを外れると、しばらく代打や守備固めでの起用が続く。そして、4月12日には一軍登録を抹消される。

即戦力ルーキーの登録を抹消したのは

 落合監督は、春季キャンプから高い緊張感の中でプレーしてきた大島に、このタイミングで休養を与えないとシーズンの最後までもたないと考えていた。そして、ファームのコーチにこう指示する。

「大島は2週間で戻す。それまでゲームに使う必要はない。走らせてバットを振らせておいてくれ」

 落合監督はこのことを大島にも説明した。だが、のちに大島はこう振り返った。

「プロは結果がすべてだから、何とか一軍にいながら切り替えたい。ファームには落ちたくないという気持ちが強かった」

 それでも、25日の阪神戦に七番センターで復帰すると3安打を放ち、ここからスタメンに定着していく。そして、この年は104試合に出場。打率.258に満足はできなかったものの、リーグ優勝を経験し、千葉ロッテとの日本シリーズでは優秀選手に選ばれ、プロの世界を生き抜く大きなきっかけをつかんだ。

 そんな中で、落合監督は「プロとして一番大切なこと」を大島に伝えている。それは、「心を病まないこと」だ。「いくらプロだからと言って、野球で失敗しても命まで取られるわけじゃない。心を病むとそれさえわからなくなり、蟻地獄に落ちてしまうものだから」という落合監督の考えを大島も十分に理解し、その後の活躍につなげていったという。

 落合監督は2011年限りでの退任が決まり、球団初のセ・リーグ連覇を成し遂げると、本拠地最終戦となった10月19日の東京ヤクルト戦で、ファンや選手たちに粋なメッセージを送った。スタメンの上位に数年後のラインアップを採用したのだ。

 一番センター大島、二番ショート岩﨑達郎、三番サード福田永将、四番ライト平田良介。

「数年後は、このスタメンで常勝チームであり続けろ」

 現実は、その落合のメッセージ通りにはならなかったが、一番センター大島は苦闘が続く中でも、中日の攻撃の起点であり続けた。そして、大島が14年間で築き上げた2000安打という栄光は、1年目に落合監督が与えた2週間の休養と、「心を病むな」というメッセージが出発点になったと言ってもいいのではないか。

(写真提供/小学館グランドスラム)

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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