落合博満は「相手投手が投げ込む球種やコースを読むのが上手い」と評されることがある。だが、落合本人は、それをやんわりと否定する。

「球種やコースを読むことはしない。いや、できないんだ。外角にカーブが来ると読んで打ちにいき、それが内角高目のストレートだったら、避け切れずに頭に当たって野球人生は終わってしまうかもしれない。そうでなくても、相手の四番を潰せば勝てると、平気でぶつけてくる時代にプレーしていたんだから」

 また、バットの芯に当てるのが最も難しいのは内角高目という技術的な視点からも、落合は常に内角高目のストレートに照準を合わせ、それ以外の球種、コースにも対応していた。ただし、それは首位打者のタイトルを手にしたプロ3年目の1981年からだ。アマチュア時代やプロ入りしたばかりの頃は、落合も1球ごとに相手投手の配球を考えながら打席に立っていたのだという。

 では、なぜ落合は1球ごとに配球を読むことをやめたのか。1981年の春季キャンプが終わり、オープン戦が始まった頃のことだ。落合は江夏 豊に話しかけられる。江夏は1979、80年と広島の日本一に貢献し、この年から「優勝請負人」として日本ハムへ移籍。通算200勝まで残り8勝に迫っていた。そんな32歳のスター選手が、なぜ27歳の無名の若手に話しかけたのかはわからない。ただ、ひと言、ふた言と言葉を交わしたのではなく、しっかりと対話をしているのだ。そして、ある打者の話題になったという。

「あいつはいい打者と言われているけど、俺に言わせれば楽に料理できる。対戦する度、1球ごとに球種を読んでくるからだ。1球目はカーブを待ち、2球目はストレート……。そうやって1球ごとに待ちを変えてくる打者は、その読みが俺の投げるボールと偶然に一致した時しか打たれる心配がないからな」

 そうした話を落合が黙って聞いていると、江夏はこうも言った。

「根気強くひとつのボールを待たれるほど、ピッチャーにとって嫌なことはないんだよ」

 この言葉を耳にした時、落合は「大きなヒントを得た」と直感した。

江夏のヒントを実践して首位打者から一気に三冠王へ

 当時の江夏はリリーフを務めていたから、1試合の対戦は1打席あるかないかだ。しかし、山田久志(阪急)や鈴木啓示(近鉄)らエースとの対戦なら活用できるのではないかと考え、落合はペナントレースが開幕すると実行に移す。それまでは打席ごと、1球ごとにカーブやシンカーを狙っていた山田との対戦で狙いをシンカーに絞る。

 すると、それまではカモにされていた山田からもヒットを打てるようになり、さらにシンカーをすくい上げるのではなく、上から潰すイメージで叩くと、打球は外野フェンスの向こうに消えた。気がつけば、この年の落合は長いスランプにも陥ることなく、初めて一軍でシーズンを完走。西武のルーキー・石毛宏典、日本ハムの島田 誠との首位打者争いを.326で制し、一軍定着と同時にタイトルを手にする。

 そして、翌1982年には打率.325、32本塁打99打点で史上最年少28歳での三冠王に輝き、次第に最強スラッガーとして君臨する。相手バッテリーが「何を投げても打たれる」と恐れた背景には、投手の思いを明かした江夏の言葉をヒントに、内角高目のストレートに照準を合わせながら、自分が打てるボールが来るのをひたすら待ち続ける姿勢があった。

 互いにユニフォームを脱いだあと、落合は江夏にひとつの質問をした。

「日本人の打者は、外角低目にストレートをビシッと投げ込まれたら、まず強い当たりは打ち返せない。打率だって下手をすれば1割台になってしまうと思うんですけど、投手はどうしてそういう攻め方をしないんですか」

 江夏はこう答えた。

「ただ打ち取るだけじゃダメなんだ。王 貞治さんならこう、落合ならこうと、決めたボールで打ち取りたい。投手という生き物は、そういうロマンを追いかけながら生きているんだよ」

 その言葉を笑顔で聞いていた落合は、スッと真顔になってこう結んだ。

「これが、打者が3割を打てる理由だろうな」

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