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引退覚悟からプロのマウンドへ--福岡ソフトバンク7位・奥村政稔のサクセスストーリー

横尾弘一野球ジャーナリスト
今夏の都市対抗で力投する奥村政稔。引退覚悟で臨んだシーズンにプロ入りを果たした。

 その名前を耳にした時、ごくシンプルに「よかったな」と口角が上がった。

「第七巡選択希望選手。福岡ソフトバンク。奥村政稔、投手、三菱日立パワーシステムズ」

 初めて奥村の投球を目にしたのは、三菱重工長崎へ入社した6年前。高卒ルーキーにしては体つきがしっかりし、キレのあるボールを投げると感じていたら、「九州国際大を2年で中退したんです」とチーム関係者から聞かされた。プロを目指し、より力をつけるために社会人に飛び込んだという理由に納得はしたが、恐らくやんちゃな面もあるのだろうと直感した。三菱日立パワーシステムズの後藤隆之監督も、苦笑しながらこう振り返る。

「奥村の3年目から、私は三菱長崎で監督になりましたが、はじめはマウンドに行くと嫌な顔をするし、扱い辛い投手という印象。プロを狙える力はありましたが、いかにセルフコントロールできるかがポイントになると感じました」

 連続三振を奪ったかと思えば5連続四球を出してしまう“暴れ馬”は、後藤監督の巧みな手綱さばきでエースとなり、2015年の都市対抗では三菱長崎を6年ぶりの本大会出場に導く。プロ球団のスカウトがリストアップする存在になるのに時間はかからなかったが、そこから指名の決断をさせるまでには至らない。

 しかも、指名の適齢期と言われる24歳のシーズンを終えた2016年11月、三菱長崎は三菱日立パワーシステムズ横浜と統合され、本拠地は横浜に置かれることが決定する。結婚して長男を授かっていた奥村は、家族を郷里の大分に残して、横浜で勝負すると決断した。

チームの勝敗を背負う状況で「今年は違う」結果を残す

 選手45名という大所帯でも先発の柱となった奥村は、慣れない都会での生活にも順応し、4月の日立市長杯大会で敢闘賞を手にするなど実績を積み重ねていく。都市対抗でも先発、リリーフで2勝を挙げ、チームのベスト4入りに貢献する。チーム最多の公式戦13試合に登板し、うち11試合に先発。防御率2.68と安定した投球を続けたが、ドラフト会議で名前が呼ばれることはなかった。

 26歳になる今季、「奥村は強い覚悟を口にした」と、後藤監督は明かす。

「社会人野球を長く続けていくことにも大いに魅力がある。けれど、大分にいる家族と離れたまま野球を続ける、つまり自分のわがままをこれ以上、押し通してはいけないだろうと悩んでいました。それを解決するには、野球を職業にするしかない。ラストチャンスにかけるという表情には、頼もしさも感じましたね」

 プロ入りできなければユニフォームを脱ぐくらいの覚悟で迎えたシーズンは、先発の座を競い合っていたライバルが故障で戦列を離れ、奥村で星を落としたら都市対抗出場も危ぶまれるという投手事情になる。そんな中、力強い投球で5月の九州大会では優勝の原動力となり、最高殊勲選手賞に輝く。さらに、都市対抗でも安定感抜群の投球を披露した。

「今年の奥村は違う」

 そんなスカウト評に期待を寄せた10月25日のドラフト会議。同い年の荒西祐大(Honda熊本)がオリックス3位、森脇亮介(セガサミー)が埼玉西武6位で指名されたあと、「鳥肌が立った」と奥村が表現した瞬間がようやく訪れた。

 実は、後藤監督も遅咲きで、30歳の頃にあるプロ球団から「レンタル移籍のつもりで」と、指名を打診された経験がある。

「今年にかける奥村の気持ちも理解できただけに、本当に胸を撫で下ろしています。社会人ではクセのあるフォームがなかなか修正できなかったが、プロではその個性が武器になるでしょう。1年目から活躍してもらいたいですね」

 年に一度のドラフト会議は、高校、大学を卒業する者、社会人に進んで指名解禁を迎えた者に夢の扉が開かれる日だ。そうして注目の逸材がスポットライトを浴びる一方で、野球人生をかける者に、勝負の神様が「来年も野球を続けなさい」と啓示する日でもある。福岡ソフトバンクは、家族にとって願ってもない球団だろう。

 さぁ、今度は長男が父親の仕事を理解するまで、いや、キャッチボールできるようになるまで思う存分、煌びやかなマウンドで躍動してほしい。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

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