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【スピードスケート】ウイリアムソン師円さんが考える「引退直後だからできること」

矢内由美子サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター
高見屋旅館に勤務するウイリアムソン師円さん(本人提供)

スピードスケートの男子長距離選手として2014年ソチ五輪と2018年平昌五輪に出場し、昨年の春に一線を退いたウイリアムソン師円さん(27)が、高校時代を過ごした山形で第二のスケート人生を歩んでいる。昨年就職したタカミヤホテルグループで仕事をしながら、外部コーチとして母校の山形中央高校スケート部で指導。自らも全日本選抜や国体に出場するなど、精力的に1年を過ごした師円さんを取材した。

■22年ぶり高校生代表としてソチ五輪に出場

師円さんは1995年4月、馬産地として知られる北海道浦河町で生まれた。父はオーストラリア出身。「しえん」という名前は西部劇の名作『シェーン』が由来だ。

高校は山形中央へスケート留学。3年生だった2013年12月のソチ五輪代表選考会男子5000mで優勝し、2014年ソチ五輪には男子高校生として22年ぶりの出場を果たした。

卒業後の同年4月、日本電産サンキョーに入社。2018年平昌五輪は男子チームパシュートで5位入賞を果たし、同1500mは10位。2020年世界距離別選手権では男子チームパシュート銀メダルに輝いた。

3度目の五輪となる2022年北京五輪では「金メダル獲得を」と意気込んだが、出場権をつかむことができず、“引退”を決意。「後輩と一緒に練習したり試合に出たりしながら経験を伝えられるのは今だけ」という思いから、母校のある山形に戻り、現在の仕事に就いた。

日中は高見屋旅館でフロント業務や営業など様々な業務を行い、夕方から母校の教え子たちを市内のリンクで指導。大会があれば生徒を引率して各地のリンクに行き、自身もレースに出る。今シーズンは国体で好成績を収めて山形県に多くのポイントをもたらしたほか、来シーズンの全日本選抜に出場できる標準タイムもクリアした。

2021年のウイリアムソン師円さんの滑り
2021年のウイリアムソン師円さんの滑り写真:森田直樹/アフロスポーツ

■感覚の言語化に四苦八苦

ただし、“教える”という観点では、2022年世界ジュニアスピードスケート選手権の女子3000mで銅メダルを獲得している高橋美生選手らを指導する中で、自分が滑っている時とはまた違う難しさを感じたという。

「第一線で戦っていた時は、自分の体との対話で感覚的な部分を養っていましたが、教える立場になった時に、自分の体ではこうすれば良いと分かっていることを相手が理解するまで噛み砕いて伝えるというところに苦労しました。選手によってはレベルもさまざまですし、時には多くのメニューを与え過ぎたと反省する面もありました」

感覚的な部分の言語化に苦心することのほかに、シーズンを通しての強化スケジュールの組み立てにも難しさを感じた。

とはいえ、世界の舞台で戦ってきた約10年間の経験と体の強さをフルに活用し、実際に選手と一緒に滑ることで伝えられるものは多いという手応えがあった。

スピードスケートは上手い選手、速い選手の後ろについて滑ることで、技術や感覚、コース取りなどの習得が急速に進むものであり、師円さん自身もかつて体感したことがある。

■ソチ五輪で後ろにつかせてくれた韓国の金メダリスト

とりわけ印象に残っているのは、2014年ソチ五輪の男子5000mで世界との差を見せつけられた翌日のこと。試合会場のリンクで2010年バンクーバー五輪1万mの金メダリストである韓国の李承勲(イ・スンフン)の後ろにつかせてもらい、その時に得たものが多かったのだ。(※李承勲はバンクーバーから北京まで五輪4大会連続メダルを獲得)

「李選手は憧れのスケーター。僕が入社予定だった日本電産サンキョーの長島圭一郎さんが李選手と旧知の間柄で、話をつけてくれました。李選手はまだ自分の出場種目が残っていたにもかかわらず、快諾してくれた。そこで得た刺激はとてつもなく大きなものでした」

2010年バンクーバー五輪男子10000mで金メダルを獲得した韓国の李承勲(左)は、2018年平昌五輪男子マススタートでも金メダルを呈している
2010年バンクーバー五輪男子10000mで金メダルを獲得した韓国の李承勲(左)は、2018年平昌五輪男子マススタートでも金メダルを呈している写真:ロイター/アフロ

■人一倍の強みがある

師円さんには人一倍の強みがある。現役時代にさまざまな国のトレーニングメソッドに触れてきた経験だ。高校時代は加藤条治さんら多くのオリンピアンを育てた椿央氏(現スピードスケートエリートアカデミー・ヘッドコーチ)に師事したほか、山形県が招聘していた金明碩(キム・ミョンソク)氏から韓国式の練習を伝授された。

日本電産サンキョーに入ってからは2年間、オランダを拠点に活動。平昌五輪前には数々の世界記録を打ち立ててきた米国人のシャニー・デービス氏が日本電産サンキョーのコーチとなり、また新たなスタイルを学べた。日本のナショナルチームで指導したオランダ人のヨハン・デビットコーチからも多くの学びを得た。

「いろいろな国の強化方法や年間スケジュールが身についているのは強みだと思う。膨大な量の知識が頭の中に入っているので、それを整理してポイントを絞りながらアウトプットしていくことが重要だと思う」

4月には新入部員も加わる予定。師円さんは気持ちも新たに山形中央高校での2年目を迎える。

日本電産サンキョー時代、競技会で優勝してガッツポーズをするウイリアムソン師円さん
日本電産サンキョー時代、競技会で優勝してガッツポーズをするウイリアムソン師円さん写真:松尾/アフロスポーツ

【後編】はコチラ↓

https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaiyumiko/20230327-00342952

「「ハーフがコンプレックスだった」ウイリアムソン師円さんが目指す「周りの人を笑顔にする人生」

サッカーとオリンピックを中心に取材するスポーツライター

北海道大学卒業後、スポーツ新聞記者を経て、06年からフリーのスポーツライターとして取材活動を始める。サッカー日本代表、Jリーグのほか、体操、スピードスケートなど五輪種目を取材。AJPS(日本スポーツプレス協会)会員。スポーツグラフィックナンバー「Olympic Road」コラム連載中。

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