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初公判で報じられたこと、報じられなかったことーPC遠隔操作事件

楊井人文弁護士
江の島の猫グレイ(左)と東京地方裁判所(右)

メディアは初公判をどう報じたか

初公判を報じた主要紙(左から読売新聞、東京新聞、毎日新聞)
初公判を報じた主要紙(左から読売新聞、東京新聞、毎日新聞)

いわゆるPC遠隔操作事件で、威力業務妨害罪などで起訴された片山祐輔氏に対する公判が2月12日、東京地裁で始まった。全ての主要メディアが、「事実無根」「ウイルス作成不可能」「5人目の誤認逮捕だ」といった片山氏本人や弁護側の発言を見出しにつけるなどして大きく報じた。同時に、犯行と片山氏を直接結びつける証拠(直接証拠)がなく、状況証拠・間接証拠の積み上げで犯人と立証できるかどうかが焦点と指摘。勾留が丸1年に及んでいる片山氏が「保釈を認めてほしい」と切実に訴えたことを取り上げたメディアも多かった。なぜか今頃になって「口下手だが、母親思いで、動物好きの優しい男。犯罪に関与したとは思えない」という知人の談話を伝えたメディアもある。(*1)

片山氏が真犯人であるかのように印象づけてきた従来の報道姿勢を修正する兆しがみえる(なお、逮捕直後に連載を組み、「過信と自己顕示欲」「非モテ男」などと罵倒していた産経新聞(*2)は、初公判を報じた分量や扱いが主要紙の中で最も小さく、保釈の訴えも伝えていなかった)。

この事件に限ったことではないが、メディアが伝えられる情報には自ずと物理的に限界がある。この事件の初公判は午前10時から午後5時まで丸1日。起訴された事件は10件、検察側の冒頭陳述(以下「冒陳」)はA4用紙にして21頁、弁護側が28頁、被告人が21頁に及んだ。江の島の防犯カメラ映像が法廷で再生されるなど、検察側請求証拠の証拠調べの一部も行われた。このような膨大な生の情報から、優先的に伝えるべき情報を限られた時間内に取捨選択し、かつ、分かりやすく報じることは容易なことではない。今回の初公判に関する報道についていえば、総じてバランスよく情報を伝えていたと私は思う。

とはいえ、逮捕時に各紙が号外を出し、第一報で1面を含め3頁にわたって展開し、連日多くの紙面を割いて報道されていた頃と比べると、どうしても物足りなさを感じる。(*3) 半年以上に及んだ公判前整理手続の間に、新たな事実が次々と明らかになったのに、主要メディアは一様に沈黙していた。蓄えていた情報を初公判を機に吐き出すのかと思えば、翌日朝刊で報じたきり、掘り下げた分析や解説が続かない。これでは、事件に関心のあるネットユーザーの関心を新聞に振り向かせられるはずがない。今後も、公判の出来事を断片的に伝えるだけで終わってしまうのだろうか。メディアの真価が問われる。

メディアで報じられなかったこと

主要各紙はこの初公判についてポイントをおさえた報道をしていたが、傍聴取材をした者からみて、いくつかの大事な情報が漏れていた。ここでは(1)法廷で再生された防犯カメラ映像、(2)アリバイ主張、(3)鑑定書を中心に、メディアが報じなかった情報を明らかにする。

(1) 法廷で再生された防犯カメラ映像

第一に、江の島の防犯カメラ映像が法廷で傍聴人にも見える形で約30分再生されたが、これについての情報が非常に乏しかった。読売、毎日、東京は報じたものの描写はほとんどなく、朝日、産経、日経は再生されたこと自体を報じていなかった。防犯カメラ映像は、この事件ではほとんど唯一といってよい、IT知識がなくても分かりやすく理解・評価できる証拠なのに。

法廷で再生された防犯カメラ映像が映し出した江の島のベンチ周辺。中央やや右側で男性が腰かけているベンチ付近にグレイと男性がいた。(日本報道検証機構撮影)
法廷で再生された防犯カメラ映像が映し出した江の島のベンチ周辺。中央やや右側で男性が腰かけているベンチ付近にグレイと男性がいた。(日本報道検証機構撮影)

昨年1月5日、犯人が送ったいわゆる「延長戦メール」に誘導されて、警察が江の島で遠隔操作ウイルスが入った記録媒体(Micro SDカード)が取り付けられたピンク色の首輪をつけた猫、通称「グレイ」を発見。警察は付近に設置された最新鋭の防犯カメラの解析から、1月3日に猫に記録媒体付き首輪を取り付けた人物として片山氏を割り出し、逮捕に至った。「画素数が3メガピクセルで、ハイビジョンテレビ並みに鮮明な映像で録画が可能」(産経新聞2013年2月11日付朝刊3面)な防犯カメラに、「猫にピンク色の首輪をつける男の姿が鮮明に映っていた」(読売新聞2013年2月11日付朝刊3面)と報じられ、「容疑者特定の決め手」と主要各紙がこぞって報じたものだ。

これに対し佐藤博史弁護士は弁護人となって間もない昨年2月14日ころからメディアに「首輪を取り付ける姿が映った映像」の実在に疑問を投げかけた。公判前整理手続の証拠開示を受け、佐藤弁護士は映像は不鮮明な上、やはり首輪を取り付ける様子は映っていなかったと発表(だが、どこも報じなかった)。その映像が法廷の大型ディスプレイで流され、記者を含む法廷にいる者全員の視線が注がれたのである。

私も傍聴席から凝視していたが、正直いって何がなんだかよくわからなかった(以下の描写は、矯正視力1.0程度の私がディスプレイから少なくとも5メートル以上離れた位置から見たものであり、ディスプレイを目の前に置いて繰り返し再生して見た場合とは異なることをご了承いただきたい)。問題の猫・グレイは、弁護人が評したように(おそらく目前にディスプレイを見れる状態であっても)「米粒」みたいなもので、これだと指してもらわなければ容易に分からない。いわんや「ピンクの首輪」をや。人物の顔も全くわからず、リュックサックを背負った目立つ恰好のこの男性が片山氏本人だと言われても一目では識別できず(ただ弁護側はこの人物が片山氏であること自体は争っていない)、その説明をとりあえず受け入れた上で「リュックサックの男」の動きを追うしかない。頻繁に人が行き交い、グレイがいたベンチの近くには大道芸人を囲んだ人だかりもあった。

「リュックサックの男」は周辺を行ったり来たりし、グレイに近づいたり離れたり、抱きかかえるような姿が見て取れる。そして、防犯カメラを背に向けた姿勢で猫に向き合っているような場面で、検察側はこの時に首輪をつけたはずだと指摘したが、首輪を取り出したり取り付けた様子は観察できない。また、猫に向かってかがんで写真を撮るかのような姿勢をとり、同じ姿勢のままぴょんと位置を変える様子も確認できたが、その手に何があるのかは定かでなかった。

首輪が取り付けられた江の島の猫「グレイ」(日本報道検証機構撮影)
首輪が取り付けられた江の島の猫「グレイ」(日本報道検証機構撮影)

検察は冒陳で、「被告人は、周囲から人がいなくなるのを待ってから、同猫に接触し、同猫を周囲の目から隠すような体勢をとり、何度も周囲の様子を窺いながら両手で作業した」と主張した。彼が猫に首輪を取り付けた犯人だと決めてかかれば、そのように見えなくもない。しかし、猫と向き合って撫でていただけなかもしれないし、そうした体勢をとっていたのは1分にも満たなかったように思われ、そばを行き交う人も絶えずいた。

また、検察は「撮影した写真を確認してガッツポーズをするなど特異な行動をとっていた」とも主張。だが、「ガッツポーズ」姿は全く分からなかった。この点、検察の「ガッツポーズ」の主張を紹介した上で、「これを立証するため、公判の終盤で証拠の防犯カメラの映像を約20分再生した」とだけ伝えた報道もあったが、実際の映像を見た記者の印象は全く書かれていない。(*4) これでは冒陳の書面があれば誰でも書ける。何のための裁判取材なのだろうか。

他方、弁護人が再生中に繰り返し注意喚起していたことだが、「リュックサックの男」は両手に白い手袋らしきものをはめているようであった。片山氏が当時所持していたスマートフォン(注:この中から問題の猫を撮影した写真が復元されたとの報道は誤報と判明している。詳しくはGoHoo2013年7月13日付注意報参照)は、通常の手袋をはめたままでは写真撮影できないことを弁護側は立証するという。

また、私が印象に残ったのは、片山氏が本人冒頭陳述で「鮮明な映像を出されても私は困らない」と明言したことである。検察から証拠提出された映像は画素数が少なく、不鮮明なものだった。そのため、本人、弁護側ともに、手元の様子がはっきり分かるよう鮮明な画像(生データ)の提出あるいは画像の拡大解析を要求している。よほどの自信がなければできることではないように思われる。

いずれにせよ、この法廷での防犯カメラ映像の再生で明らかになったのは、片山氏がグレイに近づいたり、しばらく周囲を行ったり来たりしていたことは分かるものの、問題の首輪を手に持っている様子やそれを取り付ける様子は映っていない、ということである。(*5)

(2) アリバイ主張

第二に、片山氏のアリバイ主張に言及したメディアは皆無だった。アリバイは犯人性が争点となった刑事裁判において無視できない主張のはずである。弁護側の主張は、グレイの首輪に取り付けられたSDカードの更新日付(タイムスタンプ)が「2012年12月22日12時05分44秒」となっており、その時間帯(12時42分)に片山氏が「居合い」の道場合宿に参加し、そば屋で食事をしている写真が存在するというものである。

弁護人冒頭陳述の表紙
弁護人冒頭陳述の表紙

タイムスタンプは容易に書き換え可能である。検察側はこのアリバイ主張に対して「被告人がコンピュータの時刻設定を変更するなどの方法でファイル作成日付等を変更することができたこと」を立証するとしている。しかし、そんなことは立証するまでもなく分かる。問題は「変更することができた」かどうかではなく「変更した」のかどうかではないのか。タイムスタンプを変更するにも、デジタルメディア上での作業が必要であり、変更したのなら何らかの痕跡が残るのではないかと思える(その変更の痕跡を消すにもデジタル上での作業で行えば、その作業の痕跡が残りそうなものである。ただ、変更の痕跡が残ったメディアそのものを物理的に廃棄してしまえば分からなくなるが)。いずれにせよ、「タイムスタンプ変更の容易性」ないし「変更手段の存在」だけで、アリバイが成立する「疑い」を一概に否定できるのか。初公判の報道で、重要な争点となり得るアリバイ主張にどのメディアも触れなかったのは、疑問である。

(3) 鑑定書

第三に、検察側が犯人性を立証するための証拠の筆頭に挙げた「鑑定書」についても、メディアはその中身を全くといっていいほど報じなかった(読売新聞だけがその一部を紹介)。これは、片山氏が勤務していた派遣先の会社のパソコンから、遠隔操作ウイルスが開発作成された痕跡が見つかったとする主張を裏付けるために提出されたものだ。証拠調べで、検察官は鑑定結果11項目を読み上げ、このパソコンが遠隔操作ウイルスに感染していないこと、作成するためのソフト(Visual Studio 2010)のインストール・アンインストールが行われた痕跡や犯行に用いられた電子掲示板にアクセスした痕跡などがあったことなどを指摘。ほかにも多くの項目があったが、残念ながら傍聴で正確に聞き取り理解することはできなかった。おそらくその場にいた記者の多くが同じだったのではないか。初公判の直後に検察の記者クラブ向けレク(非公式の会見)が行われているのだから、メディアは詳細を確認して報じることもできたはずである。

ちなみに、検察官が明らかにした鑑定書の作成日は昨年12月。全ての起訴を終え、捜査終結を宣言したのが昨年6月。弁護人はこのズレに着目し、鑑定結果が出ていない段階で起訴に踏み切ったのではないかと検察側を猛然と追及していたのだが、このあたりの場面は、読売新聞が「この証拠を巡り、弁護側が『詳しく説明すべきだ』と批判し、激しく言い争う場面もあった」と報じた程度で、何が問題になって言い争ったのかの説明はなかった。

(4) その他に報じられなかったこと

ほかにも報じられなかったことがある。事件に関連する検索履歴がパソコン等から見つかったことについて、片山氏は身に覚えのあるものと身に覚えのないものを具体的に挙げて説明。公判前整理手続中のメディアの数少ない続報の一つが取り上げた「ネコ 首輪」の検索履歴については「検索した覚えはありません」と述べたこと。遠隔操作ウイルスiesys.exeが、C#だけでなく、一部はPHPというプログラミング言語で作られており、片山氏はC#については他人の製作物をテストしたり少し改変する程度の技術しかなかったが、PHPについては「本当に未経験、門外漢」と述べたこと(被告人冒頭陳述)。

また、片山氏が「家宅捜索令状と同時に、多数のマスコミも引きつれ、逮捕状を持ってきたこと」を「盛大な市中引き回しの刑」を受けたとの表現で批判したこと。現在の心境について「毎朝、目が覚めるたびに、『自分はなぜここにいるんだろう』という違和感におそわれ,拘束された生活に慣れることはありません。私は何のために今もって拘束されているのか?理解できません」「自由の身ならもっと有意義に過ごせているであろう日々、1 日1 日がただ無為に過ぎていくだけの『生活』とすら呼べない暮らし、人生の浪費が耐えられないです」と語ったことも、印象が残った。

他方で、事件と関連する「検索履歴」や遠隔操作ウイルスの「動作実験」の痕跡が、派遣先のパソコンだけでなく自宅や片山氏が出入りしたネットカフェからも見つかっているとの検査側の主張や、片山氏が便利なプログラムを格納して持ち歩いていたUSBメモリが遠隔操作ウイルスに感染していた痕跡が見つかっていないこと(弁護人冒頭陳述)といった、片山氏にとって不利とみられる事情も明らかにされた。

「報道が改まるときが来ると思っている」

(フルバージョンはこちら

メディアは片山氏の逮捕当初、4人の誤認逮捕の検証報告を出したばかりの警察がまさかの「5人目」はないだろう、今回はしっかり証拠を固めて逮捕しているはずだと見込んで、大々的に報じた。だが、GoHooの報道検証によって、防犯カメラ映像の件だけでなく、片山氏の携帯電話(スマートフォン)から犯人が撮った江の島の猫の写真が復元されたとの報道や、アメリカのサーバーに残された遠隔操作ウイルスに作成場所を示す痕跡が見つかったとの報道など「3大誤報」が判明。公判前整理手続中のメディアは実に寡黙であった。

公判が始まり報道姿勢に変化の兆しはみえる。弁護側が検察側請求証拠の採用を全部同意するという前代未聞の戦術をとったことにより、5月までに計10回の公判で集中審理される。片山氏の主任弁護人の佐藤弁護士は、初公判直前に単独インタビューに応じ、最後にこう言い残している。――「どこで報道が改まるのか、大きなメディアはすぐには方向転換できないだろうけど、いつかは来ると思っている」

[注]

  • 1 読売新聞2014年2月12日付夕刊14面「遠隔操作 検察・弁護側真っ向から対立」。知人の談話のほか「仕事後に剣術の教室に通ったり、休日に同居していた母親とドライブしたりする一面もあった」とも書かれていた。
  • 2 産経新聞2013年2月11日、13日、14日付各朝刊「PCなりすまし 翻弄された警察(上)~(下)」、同年2月11日付朝刊1面「遠隔操作 過信と自己顕示欲 ネコに証拠、現実世界で墓穴?」、同年2月14日付大阪版夕刊「【精神科女医のつぶやき】片田珠美(23)世の「非モテ男」に捧ぐ 」。
  • 3 初公判を1面で報じたメディアは読売新聞2014年2月12日付夕刊のみで、他紙は社会面。2頁以上を割いたのも読売新聞のみ(2月12日付夕刊、13日付朝刊では冒陳要旨を別面に掲載)。
  • 4 読売新聞2014年2月13日付朝刊38面。
  • 5 この防犯カメラ映像だけでは分からないが、検察側は他の観光客が猫を撮った写真から、この録画中の22分間に首輪が取り付けられたと主張している。そのこと自体は弁護側も争っていないものの、この時点で首輪にMicro SDカードが既に付いていたとは限らないと指摘している。
弁護士

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、産経新聞記者を経て、2008年、弁護士登録。2012年より誤報検証サイトGoHooを運営(〜2019年)。2017年、ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)発起人、事務局長兼理事を約6年務めた。2018年、共著『ファクトチェックとは何か』出版(尾崎行雄記念財団ブックオブイヤー)。2023年、Yahoo!ニュース個人「10周年オーサースピリット賞」受賞。現在、ニュースレター「楊井人文のニュースの読み方」配信中。ベリーベスト法律事務所弁護士、日本公共利益研究所主任研究員。

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