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神を憎むロック・バンド、アイヘイトゴッドが語る30年の軌跡【前編】

山崎智之音楽ライター
Eyehategod / courtesy Eyehategod

ニューオリンズ出身のサザン・ハードコア・ブルース・バンド、アイヘイトゴッドが2021年3月、新作アルバム『ア・ヒストリー・オブ・ノウマディック・ビヘイヴィア』を発表した。

EYEHATEGOD『A HISTORY OF NOMADIC BEHAVIOR』ジャケット/デイメア・レコーディングス 現在発売中
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デビュー30年を経てさらにスローに、さらにヘヴィに、さらにエクストリームになったサウンド。ミシシッピ川の泥濘に膝まで浸かって、前方に進むことが出来ない激音の拷問は、苦痛と快楽が綯い交ぜになったものだ。

2021年のヘヴィ・ロック作品を代表するアルバムのひとつと目される新作の発売を記念して、彼らの初期4作品も同時国内発売となっている。

新作+過去作の一挙リリースを記念して、アイヘイトゴッドのヴォーカリスト、マイク・IX・ウィリアムズへのヒストリー・インタビューが実現した。時に難解といわれる歌詞世界で知られるマイクだが、明解に判りやすく、その軌跡を振り返ってくれた。

全2回のインタビュー記事で、前編は最初の2作『イン・ザ・ネーム・オブ・サファリング』(1990)と『テイク・アズ・ニーデッド・フォー・ペイン』(1993)について語ってもらおう。

<『イン・ザ・ネーム・オブ・サファリング』(1990)>

EYEHATEGOD『IN THE NAME OF SUFFERING』ジャケット/デイメア・レコーディングス 現在発売中
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●最初期のアイヘイトゴッドの目論見は、ダウンチューンしたスローでヘヴィなサウンドで音楽リスナーをイラ立たせることだったそうですが、それは達成されたでしょうか?

ある程度ね(笑)。1980年代、エクストリームな音楽をやりたかったら、速い曲をやるのが普通だったんだ。どいつもこいつもスラッシュ・メタルやファスト・ハードコアをやりたがった。だから俺たちはその逆、とにかくスローな曲をプレイして、音楽ファンにクソをぶっかけることにしたんだ。俺は元々、バンドを始める十代の頃からニューオリンズでは嫌われ者だった。地元のクラブの楽屋口からタダで入って、他の客のビールを勝手に飲んだりするクソ野郎だったんだ。そんな奴がバンドを結成したわけだから、ショーをやる前から悪い評判が立っていた。最初期のライヴでは、大勢お客さんが最前列にいたのに、俺たちがステージに上がるとみんなササッといなくなったんだ。ただ実際のところ、俺たちが期待したほどみんな激怒しなかった気がする。もっとビール瓶なんかを投げつけられると思ったんだけどね!それに『イン・ザ・ネーム・オブ・サファリング』を出した後に、俺たちの音楽を好きだと言ってくれる人がいて、驚いたほどだった。でも自分たちの音楽で盛り上がってくれたのは嬉しかったよ。それで本格的にスローなサウンドを追求することにしたんだ。当時ライヴはニューオリンズ周辺でやっていた。あまりツアーはしなかったな。

●あなたはアイヘイトゴッドの2代目ヴォーカリストで、バンド名を考えたのは初代ヴォーカリストだったそうですが、その背景について教えて下さい。

アイヘイトゴッドというバンドのコンセプトは1986年からあったんだ。元はといえばジミー・バウアー(ギター)がシェルショックというバンドでドラマーをやっていた。当初はパンクだったけど、徐々にメタルになったんだ。そのバンドで俺がローディー...というか荷物持ちね...をやっていたときに、新しいバンドをやろうと意気投合した。当時俺たちが聴いていた、セイント・ヴァイタスやジ・オブセスド、ブラック・フラッグやバッド・ブレインズ、初期コロージョン・オブ・コンフォーミティ、グレイヴヤード・ロデオ、シア・テラー、ケルティック・フロストなどをごった煮にしたようなバンドをやりたかったんだ。ただその当時、ジミーも俺も別のバンドでやっていたし、話はそれっきりになっていた。その後、1988年になってジミーはこのバンドを始動させることになったけど、その時点で俺は別のバンドで忙しかった。それで最初はクリス・ヒリアードという奴がアイヘイトゴッドに参加したんだ。でも2回リハーサルをやって、そいつは頭がおかしくなって入院してしまった。そのクリスがアイヘイトゴッドというバンド名を考えたんだ。最初は“the”が付くジ・アイヘイトゴッドというバンド名だったんだよ。1960年代、シド・バレットがいた頃のピンク・フロイドも“ザ・ピンク・フロイド”って名前だっただろ?それと同じような感じだった。後になって面倒だからカットしたけどね。それで俺が加入したけど、バンド名がクールだと思って、変えないことにしたんだ。

●アイヘイトゴッドの歌詞は“意味”を理解するのが困難ですが、鮮烈なイメージをかき立てます。あなたはウィリアム・S・バロウズやチャールズ・ブコウスキーから影響を受けたと語っていましたが、リリック・ライティングのスタイルを確立させたのが『イン・ザ・ネーム・オブ・サファリング』だったといえるでしょうか?

うーん、どうだろうな。俺はアイヘイトゴッド以前からずっと手帳に歌詞とも詩ともつかないものを書き込んできた。公に発表するつもりではなく、自分自身のために書いていたんだ。今でもパソコンやスマホのメモに書き付けたりするよ。俺の書く歌詞は“何かについて”書いているのではない。それよりも言葉の並びや音の響きを重視している。アヴァンギャルドやダダイズムなどの抽象絵画に近いかもね。曲のタイトルと歌詞に、まったく関連がないこともある。“意味がある”ことには意味がないんだ。音楽や歌詞に“意味”を求めるリスナーは、そんな状況に混乱してイラ立つんだ。彼らは自分の理解を超えるものを受け入れることが出来ないからね。

●『イン・ザ・ネーム・オブ・サファリング』には「シノビ」という曲が収録されていますが、確かに歌詞を聴いても忍者との接点は感じられませんね。

うん、まあ、そういうことだよ。 「シノビ」は元々ジミーが書いた曲で、俺が初めてアイヘイトゴッドのリハーサルに参加したとき、タイトルも既にあったんだ。俺は曲とタイトルからイメージを発展させて歌詞を書いた。だから関係があるとも言えるし、ないとも言える。単なる酔っ払いのタワゴトとも言える。何故ジミーが「シノビ」というタイトルを選んだのかは、訊いてみたことがないけど、音の響きが気に入ったんじゃないかな。単にクールな言葉だってね。最初の2枚のアルバムではブックレットに歌詞が載っているけど、それは実際に俺が歌っているものとは異なっているんだ。

●アイヘイトゴッドのアルバム・アートワークといえば皮膚病や義肢、裸女、銃、聖母マリアなどがしばしばモチーフに用いられますが、どんなことを象徴していますか?

グロなアートワークは意図的にやっているんだ。ただ聴き流されるアルバムは作りたくない。俺たちの音楽と同様に、リスナーの感性を刺激して、「何だこれは?」と考えさせたいんだよ。爪痕を残さないとね。それにアイヘイトゴッドという名前のバンドが聖母マリアや十字架にかけられたイエス・キリストをジャケットにするという矛盾を楽しんでいたんだ。いろんな白黒コピーを切り貼りするのはディスチャージやS.P.K.からの影響だった。ドラマーのジョーイ(ラケイズ)のお母さんが皮膚科医院で働いていたから、医学書を持ち出し放題だったんだよ。

<『テイク・アズ・ニーデッド・フォー・ペイン』(1993)>

EYEHATEGOD『TAKE AS NEEDED FOR PAIN』ジャケット/デイメア・レコーディングス 現在発売中
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●CDブックレットのライナーノーツで、あなたは『テイク・アズ・ニーデッド・フォー・ペイン』を誇りにしていると記していますが、どんな点を最も誇りにしていますか?

『イン・ザ・ネーム・オブ・サファリング』の頃、俺たちは何をやっているのか判ってなかった。演奏もソングライティングも未熟で、ただリフを重ねて、曲っぽい体裁にしただけだったんだ。スタジオ作業というものを何も知らなかった。『テイク・アズ・ニーデッド・フォー・ペイン』は自分たちのサウンドを見出したアルバムだ。こんなバンドになりたい、そんなイメージを描くことが出来た。あのアルバムを作った当時、サウンドガーデンやジェインズ・アディクションみたいなバンドを聴いていたんだ。彼らの方が演奏力は高いだろうし、『テイク・アズ・ニーデッド〜』を聴いても影響は感じないかも知れないけどね。ジミーはあのアルバムで曲作りのツボを修得したといえる。

●ファーストではハードコアとドゥーム・メタルの要素がゴツゴツとぶつかり合っていたのが、このアルバムでは2つのスタイルが融合して、固有のアイヘイトゴッド・サウンドが確立されたように感じます。

ああ、その通りだ。アイヘイトゴッドの音楽がどうあるべきか判ってきたのが『テイク・アズ・ニーデッド〜』なんだ。

●攻撃性やブルータル性を維持しながら、全体のまとまりを感じさせる作風ですが、それに対して楽曲のタイトルはより不快感を与えるものとなっています。それはどんな効果を狙ったのでしょうか?

世界すべてに不快感を与えたかった。権威、体制、常識...侮辱出来るものすべてを侮辱していた。当時は、不快感を与えることがバンドの表現の一部だと考えていたんだ。曲のタイトルもそうだし、ギターのフィードバックもそうだ。正直、このアルバムには適切でない表現があるし、今では後悔しているものもある。時代は移り変わるものなんだ。過去の自分たちを削除することは出来ないけど、今の俺たちとは異なっている。バンドが現在の形に進化出来たことは喜んでいるよ。

●「ホワイト・ネイバー」はメルヴィンズのデイル・クローヴァーの提案で現在のタイトルになったそうですが、デイルとは付き合いが長かったのですか?

デイルはエネルギーに満ちたドラマーだし才能あふれるミュージシャン、そして20年以上の友人だ。ドラマーのジョーイが亡くなった後、デイルが助っ人でライヴ1回だけ参加してくれたんだ。“ハウスコア・ホラー・フェスティバル”(2013年10月27日、テキサス州オースティン)だった。ジョーイが亡くなって、俺たちは途方に暮れていたんだ。確かジミーが彼に声をかけたんだったかな。彼は快諾してくれた。あの日のショーで記憶に残っているのは、デイルがすごく速いテンポでドラムスを叩いていたことだった。どの曲も2倍ぐらい速くなったんだ(苦笑)。俺たちはメルヴィンズから影響を受けてきた。『Gluey Porch Treatments』(1987)は俺に最も大きな影響を及ぼしたアルバムのひとつだよ。それにデイルはジョーイが一番好きなドラマーだった。だから追悼の意味もあったんだ。そのデイルがリハーサルのときに、幾つかの曲タイトルについて「...うーん」と困った顔をしていた。それで改題することにしたんだよ。

●デイルはメルヴィンズ以外にも幾つも他のバンドをやっているし、アイヘイトゴッドに加入しても良かったのでは?

ははは、それはグッド・アイディアだな。ただアイヘイトゴッドは頻繁にツアーをしているし、デイルの忙しいスケジュールに合わせるのは難しいと思う。彼に正式加入を頼むことはまったく頭になかったよ。

●さっきサウンドガーデンとジェインズ・アディクションの名前を挙げていましたが、1990年代前半といえば“オルタナティヴ”の隆盛で、メジャーのレコード会社がさまざまなアンダーグラウンドのバンドの青田買いをしていた時期でした。アイヘイトゴッドに契約をオファーしてきたメジャー系レコード会社はいましたか?

元々、有名になろうとか金持ちになろうと思って始めたバンドではないからね。そもそもバンド名が“アイヘイトゴッド”だし、メジャーと契約するなんて期待していなかった。それでも一度だけ“アトランティック・レコーズ”のA&Rと会って話したことがある。シュールな経験だった。“アトランティック”がメルヴィンズと契約した直後だったと思う。でもその後、特に何の進展もなかった。そのまま話は終わったよ。そりゃもちろん契約金を山ほどくれたら嬉しいけど、金のために自分の音楽を曲げるつもりはなかった。だからこれで良かったんじゃないかな。

後編記事では『ドープシック』(1996)、『コンフェデラシー・オブ・ルーインド・ライヴズ』(2000)、『アイヘイトゴッド』(2014)にまつわる秘話をマイクが語る。

【アルバム紹介】

アイヘイトゴッド

『ア・ヒストリー・オブ・ノウマディック・ビヘイヴィア』

デイメア・レコーディングス DYMC363

現在発売中

【同時発売】

アイヘイトゴッド

『イン・ザ・ネーム・オブ・サファリング』DYMC364

『テイク・アズ・ニーデッド・フォー・ペイン』DYMC365

『ドープシック』DYMC366

『コンフェデラシー・オブ・ルーインド・ライヴズ』DYMC367

現在発売中

http://www.daymarerecordings.com

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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