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【インタビュー前編】ブライアン・ダウニーが語るシン・リジィの名盤『ブラック・ローズ』

山崎智之音楽ライター
Thin Lizzy 1979 / Brian Downey far left(写真:Shutterstock/アフロ)

シン・リジィはアイルランド出身のロック・バンドとして初めて世界進出を果たしたことで知られている。「ヤツらは町へ」「脱獄」などのロック・クラシックスは、時代を超えて愛されてきた。リーダーのフィル・ライノットや、脱退後にソロとして成功を収めたギタリストのゲイリー・ムーアは亡くなってしまったが、彼らの生んだ音楽は21世紀においても生き続ける。

1970年から1983年にかけて12作のスタジオ・アルバムと2作のライヴ・アルバムを発表した彼らだが、その中でも『ブラック・ローズ』(1979)は代表作のひとつとして、40年以上が経った今もなお、新しいファンを生んでいる。

今回のインタビューではバンドのドラマーだったブライアン・ダウニーに、名盤と呼ばれる同アルバムを振り返ってもらった。

現在はシン・リジィの名曲をプレイするバンド、アライヴ・アンド・デンジャラスで活動するブライアン。2019年には来日公演がオファーされたが、過去に体調を崩しており、長時間のフライトが難しいという理由で残念ながら実現していない。それでも彼は元気いっぱいの口調でインタビューに答えてくれた。

全2回のインタビュー、まず前編は『ブラック・ローズ』の思い出を語ってもらおう。

アルバムのタイトル曲「ブラック・ローズ」の歌詞にあるとおり、インタビューはこの一言から始まった。

“Tell me the legends of long ago...(大昔の伝説について教えて下さい)”

<シン・リジィはハード・ロックとアイルランドの伝統音楽をクロスオーヴァーさせた>

●アライヴ・アンド・デンジャラスの来日公演が実現しなかったのが残念です。体調はいかがですか?

手術をしたのは2015年だし、今では日常生活には何に支障もないんだ。ライヴだって絶好調のコンディションでやっている。ただ、長時間の飛行機での移動が良くないんだ。医者に12時間のフライトは難しいと診断された。年2回、検査を受けているし、結果が良ければ、もう一度スケジュールを話し合ってみたい。もちろん体調が悪化する可能性だってある。でも、それはそれで仕方ないし、心配し過ぎないようにしているんだ。日本は大好きだし、ぜひまた行きたいね。

●YouTubeでアライヴ・アンド・デンジャラスのライヴ動画を見ると、パワフルなドラミングを聴けるし、かなりお元気そうですね。

うん、有り難う。1970年代のシン・リジィと遜色ないエネルギーがあるって、ライヴ会場を訪れるお客さんは喜んでくれる。ライヴの後に「良かったよ!」って声をかけられたりするよ。それがアライヴ・アンド・デンジャラスの精神なんだ。シン・リジィの曲を友人たちとプレイして、みんなと楽しむためのバンドなんだよ。何度もライヴをやっていくうちに、よりシリアスになってきたけど、“楽しむ”精神は失われていない。サウンドも外見もシン・リジィの伝統を踏襲することを志しているんだ。実は新曲も書き始めている。まだ数曲書いただけだし、アルバム1枚分の曲は揃っていないから、レコーディングするとしてもまだ先の話だけどね。

●2019年は精力的にライヴ活動を行った1年でしたね。

うん、とてもアクティヴな1年だった。2020年もたくさんライヴをやるよ。2月にはドン・エイリーのソロ・バンドと一緒にイギリス・ツアーをやるんだ。ドンとは長い友達だし、素晴らしい人物だ。私自身すごく楽しみにしているよ。今年(2019年)11月にアライヴ・アンド・デンジャラスでロンドン公演をやったから、2月のツアーでは行かないんだ。ロンドンのファンはいつも熱狂的だから、本当は行きたいんだけどね。

●シン・リジィの『ブラック・ローズ』発表から40年が経ちましたが、どんな思い出がありますか?

Thin Lizzy『Black Rose: A Rock Legend』ジャケット/現在発売中(ユニバーサル)
Thin Lizzy『Black Rose: A Rock Legend』ジャケット/現在発売中(ユニバーサル)

もう40年も経つんだな、本当に大昔(long ago)の話だよ。シン・リジィは「ヤツらは町へ」で世界中に知られているけど、『ブラック・ローズ』はバンドにとって重要な位置を占める作品だった。シン・リジィはハードなロックとアイルランドの伝統音楽をクロスオーヴァーさせてきたけど、フィル・ライノットは子供の頃からアイルランドの英雄伝説が好きだったし、ゲイリー・ムーアはアイルランド音楽からインスパイアされたギター・ソロをずっと前から弾いていた。彼が最初にシン・リジィに数ヶ月在籍したとき(1974年)既に弾いていたのを覚えているよ。そんな2人のアイディアが合体して生まれたのが『ブラック・ローズ』だったんだ。

●あなたは『ブラック・ローズ』を作る直前、1978年の秋に短期間バンドを離脱していますが、どんな事情があったのですか?

肺炎で体調を悪くしていたんだ。マネージメントに電話して、数日間休ませてもらったけど、さらに悪化した。そのときちょうど、シン・リジィのオーストラリア・ツアーが迫っていたんだ(1978年10月)。数ヶ月でも延期に出来たら私がバンドに戻ることが出来たけど、マネージメントにそれは出来ないと言われた。それでニューヨークのマーク・ナウシーフというドラマーを代役に立ててツアーを行ったんだ。シドニーでのライヴはビデオになっているけど、大観衆の前でプレイして、最高の盛り上がりだったね。

●彼らがイギリスに戻ってきて、あなたはすぐ合流したのですか?

うん、体調も良くなっていたし、フィルの家でいろいろ話し合った。そのまま新しいアルバムに向けてアイディアを練り始めることになったんだ。私が戻った後、マークはバンドを去ったけど、その後もフィルのソロ・アルバム(『ソーホー街にて』)やゲイリー・ムーアのバンド(Gフォース)に参加している。私は2ヶ月ぐらいバンドから離れていたから少しだけ錆び付いていたけど、家で練習していたし、数日でいつものペースに戻ることが出来たよ。本格的なリハーサルを始める頃には、全員がホットな状態で、新曲もスムーズに生まれていった。スタジオに入る頃にはアルバムのほとんどの曲が書かれていたんだ。そうして作られたのが『ブラック・ローズ』だった。

●『ブラック・ローズ』の制作作業はどのようなものでしたか?

もう40年前だし、かなり記憶がぼやけているけど、とてもスムーズだったことを覚えている。その前の『バッド・レピュテイション〜悪名』(1977)はいろいろ頭の痛いアルバムだったんだ。ロボ(=ブライアン・ロバートソン)が手をケガしてレコーディングの2、3曲にしか参加出来なかったりね。『ブラック・ローズ』ではそんな問題はまったくなかった。全員が音楽に全力を投入していたよ。

ブライアン・ダウニーが現在活動するAlive and Dangerous / courtesy Brian Downey
ブライアン・ダウニーが現在活動するAlive and Dangerous / courtesy Brian Downey

<シン・リジィが流れを作って、U2などが続いていった>

●アルバムのタイトル曲「ブラック・ローズ」はどのようにして書かれたのですか?

歌詞はフィル、メロディはフィルとゲイリーが中心となって、スコットや私も貢献している。アレンジや構成が難しい曲だったね。幾つかのヴァージョンを録って、その中からベストと思えるものをアルバムに入れたんだ。背骨となるギター・リフはゲイリーが書いたものだった。私が気に入っているのは後半、フィルがアイルランドを代表する偉人たちを列記するパートなんだ。サッカー選手のジョージ・ベストや作家のオスカー・ワイルド...フィルに「他に誰か入れるべき人はいるかな?」と訊かれて「(劇作家の)ブレンダン・ビーハンは?」と答えたのを覚えている。「安心しなよ、既に入っているから」と言われたよ(笑)。

●後半、アイルランド伝統音楽のジグの拍子が取り入れられていますが、どんなところからインスピレーションを得たのですか?

インスピレーションなんて要らない。私たちアイルランド人にとって、ジグは日常的に耳にする音楽なんだ。だから「ブラック・ローズ」でジグを取り入れるのは自然な流れだった。あのパートのヒントとなったのは、ゲイリーが参加したときにレコーディングした「シタモイア」だったんだ。

●1974年、ゲイリー・ムーア参加時にレコーディングされた「シタモイア」ですね(初出は1976年の編集盤『リメンバリング・パート1』)。

その通りだ。「シタモイア」はアイルランドでは学校で習うような必修曲だったんだ。1974年、この曲をレコーディングするとき、ゲイリーがジグのパートを書いて、当時のライヴでもプレイしていたよ。

●ちなみに「シタモイア」とはどんな意味だったのですか?

“シタモイア”というのはゲール語で“金持ちの婆さん”という意味なんだ(Si do mhaimeo i cailleach an airgid)。200年以上前に書かれた歌詞だよ。ただ実は、フィルも私も正確な歌詞を知らなかったんだ。正直、学校の授業を真面目に受けてはいなかったし、ゲール語に親しんでいなかったからね。だからフィルは“それっぽく”歌っているけど、かなりテキトウなんだよ(苦笑)。「ブラック・ローズ」「シタモイア」はある意味、シン・リジィ初のヒット曲「ウイスキー・イン・ザ・ジャー」(1973)と共通する要素もあったんだ。「ウイスキー・イン・ザ・ジャー」以前は、アイルランド民謡とロックンロールを融合させるバンドはいなかった。イギリス本土やヨーロッパ、アメリカ、日本のロック・ファンにはそれらの曲は知られていなかったんだ。「ブラック・ローズ」には「ダニー・ボーイ」「ウィル・イー・ゴー・ラシー・ゴー」などのフォーク・ソングのさわりが入っている。シン・リジィはそんな16世紀・17世紀のアイルランドのフォーク・ソングを20世紀の世界に届けることになったんだ。

●シン・リジィ・ヴァージョンの「ウイスキー・イン・ザ・ジャー」は今では教科書に載っているほど、アイルランドの文化史において重要な曲ですね。

うん、シン・リジィはアイルランドのロック・バンドとして初めてインターナショナルな活動をしたバンドだった。「ウイスキー・イン・ザ・ジャー」がヒットしたとき、イングランドに在住するアイルランド人はみんな驚いて、そして熱狂的に迎えてくれたよ。初代ギタリストのエリック・ベルがいた頃のバンドにはアイリッシュ・フォークの要素があったし、私たちが扉を開け放ったことで、ホースリップス、そしてU2などが続いていったんだ。最近ではジャズ・ミュージシャンがアイリッシュのメロディを演奏しているのも聴いたことがあるし、世界中でアイルランド出身のミュージシャンが活躍している。シン・リジィがそんな流れを作ったんだ。

後編記事ではブライアンが『ブラック・ローズ』をさらに掘り下げるのと同時に、歴代のギタリスト達との秘話も明かしてもらった。

【2019年1月公開のインタビュー記事前編】

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20190105-00110158/

【2019年1月公開のインタビュー記事後編】

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20190111-00110865/

【シン・リジィ/フィル・ライノットのドキュメンタリーTV番組が海外で話題に】

https://news.yahoo.co.jp/byline/yamazakitomoyuki/20190122-00111971/

●Brian Downey's Alive and Dangerous公式サイト

https://www.briandowneysaliveanddangerous.com

●Brian Downey's Alive and Dangerous公式Facebook

https://www.facebook.com/briandowneysaliveanddangerous

【関連作品】

https://wardrecords.com/products/list.php?name=gary+moore

ゲイリー・ムーア『ライヴ・アット・モントルー2010【新装改訂盤】』/ワードレコーズ 現在発売中
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●トリビュート・アルバム『ムーア・ブルース・フォー・ゲイリー』/ワードレコーズ 現在発売中
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音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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