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【来日直前インタビュー】ソウル・アサイラム、「ランナウェイ・トレイン」に乗って

山崎智之音楽ライター
Dave Pirner / Soul Asylum

2016年11月、ソウル・アサイラムが日本公演を行うことになった。

1992年に「ランナウェイ・トレイン」がヒット、アメリカを代表するロック・バンドのひとつとなった彼らが21年ぶりに日本に戻ってくる。シンガー兼ギタリストのデイヴ・パーナーを除くとメンバーを総入れ替えしての帰還だが、デイヴ自らが「歴代ラインアップで最強」と語る布陣でのショーは世界各地で高評価を得ている。

来日直前インタビューで、デイヴはそのライヴと最新アルバム『チェンジ・オブ・フォーチュン』について、そしてキャリア初期の秘話を語ってくれた。

<楽しくてラウドな、血の通ったロック>

●21年ぶりの来日が決まりましたが、日本についてどんな印象がありますか?

21年も前だなんて信じられないぐらい、日本の記憶は鮮明に残っているよ。とにかく街がきれいで、誰もが礼儀正しかったのを覚えている。あれだけ大勢の人がいても、相手に対する思いやりがあるのに驚いた。1994年のツアーでは、大阪公演が俺の誕生日だったんだ(4月16日)。カヴァー曲など数曲を追加して、大阪のファンとバースデイ・パーティーを楽しむことが出来たよ。米軍基地でショーをやったこともあるし、日本では良い思い出しか残っていない。ようやく戻ってくることが出来て嬉しいね。

●前回以来、あなた以外のメンバーは一新していますが、バンドのライヴはどのように変化しましたか?

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ソウル・アサイラムの精神は変わっていないよ。俺がすべての曲を書いているし、歌っている。バンドで長くやっていると、変化は避け得ないものだ。ベーシストのカール・ミュラーを癌で失ったし、もうバンドは終わりかも...と弱気になることも何度もあった。でも、新しいメンバーが加わることで、目が開かされるんだ。ドラマーのマイケル・ブランドのように熱意のあるメンバーが加わることで、エネルギーが再充填されてきた。ロック界によくある“オリジナル・メンバー信仰”は俺にはないんだ。新しいミュージシャンとプレイすることで刺激を受けて、俺自身がより良いプレイヤーになることが出来るんだよ。現在のラインアップは、歴代で最強だと思う。

●日本公演はどんなショーになるでしょうか?

ソウル・アサイラムのショーはハード・ヒッティングだ。ハートから発する想いを直接的にぶつけるライヴだよ。根底にあるのはパンク・ロックだけど、楽しくてラウド、娯楽性も高い。人間が演奏する、血の通ったロックだ。

●日本ではどんな曲を演奏しますか?

今、バンドのレパートリーとしてライヴ・セットの候補に挙がっているのは20曲あるんだ。その中には新作からの曲もあれば、昔の曲もある。1985年のデビュー・シングル「タイド・トゥ・ザ・トラックス」も候補のひとつだよ。さらに日本公演の直前に見直すから、もっと候補が増えることになる。最新アルバム『チェンジ・オブ・フォーチュン』からの曲、それからカヴァー曲もやるかも知れないし... 今のラインアップで昔の曲をプレイするのは、素晴らしい経験だよ。ハッとさせられることも何度もある。

<「ランナウェイ・トレイン」には疑問もあった>

●長年活動して名曲も多いソウル・アサイラムですが、ファンからリクエストがあった曲で、意外だったものはありますか?

最初に思いつくのは「ストリング・オブ・パールズ」かな(『レット・ユア・ディム・ライト・シャイン』/1995年収録)。あの曲はアルバム発売後のツアー以来ずっとプレイしていなかったけど、リクエストが多かったんだ。サウンドチェックで弾いてみたら改めてなかなか良い曲だな、と思って、たまに演るようになった。だから聴きたい曲があれば、遠慮せずに叫んで欲しい。そのショーでは無理でも、次にその町でやるときはプレイするかも知れないからね!

●もちろんヒット・アルバム『グレイヴ・ダンサーズ・ユニオン』からの曲をプレイせずにステージから降りることはあり得ませんよね?

そうだな(笑)。ヒット曲もたくさん演奏するよ。数年前、アメリカで『グレイヴ・ダンサーズ・ユニオン』を完全再現するツアーもやったんだ。今回は久しぶりの日本で、いろんな曲をプレイしたいからアルバム再現はしないけど、お馴染みの曲はプレイする。

●「ランナウェイ・トレイン」や「ブラック・ゴールド」をほぼ毎晩プレイして、常に新鮮なフィーリングを保ち続けていますか?

最新アルバム『Change Of Fortune』 (2016)
最新アルバム『Change Of Fortune』 (2016)

実は一時期「ランナウェイ・トレイン」や「ブラック・ゴールド」をまったくプレイしなかった時期もあったんだ。アーティストとして前進していきたいという理由でね。でも、お客さんは高いチケット代を払って、時間をかけてライヴ会場に来てくれる。ショーの後に「5時間かけて来たのに、あの曲をやらなかった...」と肩を落とされるのは、バンドにとっても嬉しくないんだよ。それに「何故この曲をやらなかったのか」という言い訳をするより、たかだか3分半の曲なんだから、つべこべ言わずプレイした方が早いだろ?

●まあ、確かに。

みんなのお気に入りの曲をプレイすることで、会場全体がポジティヴな雰囲気になっていく。昔の曲をプレイして、カップルが身を寄せ合っているのを見ると、嬉しいものだよ。そうするうちに、ヒット曲をやることに対するモーチベーションが上がってきたんだ。今では「ランナウェイ・トレイン」をプレイするのを楽しんでいるよ。

●「ランナウェイ・トレイン」は行方不明の青少年の写真をフィーチュアしたミュージック・ビデオが話題となりましたが、それはバンドの活動にどんな影響を及ぼしたでしょうか?

元々「ランナウェイ・トレイン」の歌詞は行方不明者とは関係ないんだ。ビデオ監督のトニー・ケイが家出を意味する“ランナウェイ”とのダブル・ミーニングで、あのビデオを作ったんだよ。それで人々がこの曲に持つ印象がまったく異なったものになってしまった。何人の行方不明者があのビデオの後に家族の元に戻ったかは集計していないし、正確な数字は判らない。でもバックステージに来てくれた人が2人いて、話すことが出来たよ。ビデオのおかげで家出から戻って家族と和解することが出来たと言っていた。

●それはよかったですね。

ただ当時から疑問を持っていたことも事実だ。自分の意志で家出するのと誘拐されるのでは、大きく異なっている。虐待などが理由で、自分の意志で家を出ていったのに、ビデオで晒されたせいで、元の環境に戻らなければならなくなる可能性もあるってね。だからビデオに出す行方不明者は誰でも良かったわけではなく、事前にきちんと背景を調査するようにしたよ。

●アメリカの雑誌で「前回日本をツアーしたとき、自分たちがバンドでなく“商品”になった気がした」と語っていましたが、日本でそう思わせる出来事があったのでしょうか?

いや、日本で何かがあったわけではなく、あまりに急激に人気が出てしまったことに戸惑っていたんだ。毎日インタビューや写真撮影など、音楽と直接関係ないことに時間を取られるようになった。もちろんそれはレコードを売るために必要なことだし、当時の自分がナイーヴだったとは思うけどね。特にレコードを売ることが難しい現代になるとそう思うよ。自分たちの音楽を聴いてもらうためには、プロモーションも大事なんだ。

●『グレイヴ・ダンサーズ・ユニオン』のアルバム・ジャケットについて教えて下さい。

Grave Dancers Union (1992)
Grave Dancers Union (1992)

確かパリにいたんだ。どこかのアート・ショップでポストカードを見ていたら、あのデザインを見つけたんだよ。一瞬で恋に落ちて、ぜひジャケットにしたいと思った。チェコの写真家ヤン・ソーデックの作品だったけど、 彼の他の作品も大好きになったよ。アートワークの意味は、いろんな解釈があると思う。女性と子供たちが工業地帯に向かっていくのは“無垢の喪失”とも考えられるし、あるいは何か別の意味があるのかも知れないね!

<パンク・ロックをやっているつもりだった>

●1990年代前半、ソウル・アサイラムは“オルタナティヴ”なロックと呼ばれましたが、当時どう感じましたか?

どうとも感じなかったよ。俺たちはただパンク・ロックをやっているつもりだったんだ。“オルタナティヴ”というジャンルは、俺たちの知らないところで誰かがでっち上げたものだった。 レコード会社のお偉方たちはアメリカの大学のカレッジ・ラジオ・ステーションを聴いて、普段自分たちが売っているのとは異なる“理解できない”音楽があるのを知った 。彼らがしたたかだったのは、その判らない音楽に“オルタナティヴ”というレッテルを貼って売り物にしたことだった。俺たちはCDショップでニルヴァーナと同じコーナーに置かれて、スクリーミング・トゥリーズ、スピン・ドクターズらとツアーをしたよ。彼らとは友達になったけど、やっている音楽で共通しているのはラフでエッジのあるロックという点だけだった。

●パンク・ロックではどんなバンドから影響を受けたのですか?

ベスト盤『The Very Best Of Soul Asylum』(2016)
ベスト盤『The Very Best Of Soul Asylum』(2016)

音楽を聴き始めた子供の頃はラモーンズやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジョニー・サンダーズ、ニューヨーク・ドールズ、それからイギリスのセックス・ピストルズやクラッシュが好きだったんだ。18歳になって地元のクラブに出入りするようになってから、音楽というものがニューヨークやイギリスだけじゃなく、近所のクラブでも聴けるもので、自分でも出来るものだと気付いたんだ。 ミネアポリスではサバーブズやスーサイド・コマンドーズなどが1970年代から活動していた。ソウル・アサイラムは1981年に結成して、ハスカー・ドゥーやリプレイスメンツなど40ぐらいのバンドと地元の“シーン”を形成していた。お互いのアパートのソファや床で寝たり、機材を貸し借りして、まさに同志だったよ。最近もミネアポリスでサバーブズやスーサイド・コマンドーズのメンバー達とジャムをやったばかりだ。少年時代のヒーロー達と共演できるのは、今でもスリルを感じるよ。この歳になって興奮で鳥肌が立つんだから凄いよ。

●初期ソウル・アサイラムやハスカー・ドゥはシンガロングなパンク・ロックをプレイしていましたが、それはミネソタの地域性だといえるでしょうか?

うーん、地域とは関係ないんじゃないかな。ハスカー・ドゥとは何度もツアーしたし、刺激を受けた。ラモーンズのようなメロディアスなバンドが大好きだったことも関係しているだろう。シンガロングなパンク・ロックというと、ネイキッド・レイガンも思い出すね。彼らはシカゴのバンドだけど、どの曲にも「オーオーオー」ってコーラスが必ずあるんだ。 ソウル・アサイラムはあそこまでシンプルな境地には至ることが出来なかったけど、彼らの音楽は大好きだった。

●ミネソタ以外だと、どんなバンドと交流していましたか?

ミルウォーキーのディー・クロイツェン、ニューヨークのソニック・ユース、あとカリフォルニアのミニットメン、アリゾナのミート・パペッツみたいな『SSTレコーズ』のバンドは仲間だよ。ミート・パペッツとは去年(2015年)の夏、一緒にツアーをしたんだ。若いファンは「どうしてこの組み合わせを?」と首を傾げたけど、実際には30年以上前から友達なんだ。

●ところで『SSTレコーズ』からはロサンゼルスのセント・ヴァイタスも作品を発表していましたが、彼らと接点はありましたか?

Soul Asylum (1990s lineup)
Soul Asylum (1990s lineup)

もう20年以上前だけど、ソウル・アサイラムがドイツをツアーしているとき、セント・ヴァイタスもドイツを回っていたんだ。1回だけ対バンしことがある。彼らはライヴで呼吸が合わなかったんだか何だかで、終わった後、怒鳴り合っていた。ステージ上でタフなマッチョなポーズを取っていても、バックステージじゃお互いのミスをあげつらっていて、なんかセコい感じがしたな(苦笑)。彼らは「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をプレイしていたと記憶している。俺たちとはルーツが異なる、得体の知れないサウンドだったよ。あと覚えているのは、彼らがツアー・バンの屋根の上に寝袋を括り付けて、バンの上で寝れるようにしていたことだった。高速道路とかで寝返りを打って落ちたら危ないよな...。今から思うと、彼らはチューン・ダウンしてスラッジーな低音部を強調したメタル・サウンドで、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジなどの先駆者になったんじゃないかな。レトロなようで、実は先進的だったのかも知れないね。

<SOUL ASYLUM Japan Tour 2016>

●東京公演

11月8日(火)渋谷・TSUTAYA O-EAST

開場18:00/開演19:00

●名古屋公演

11月9日(水)名古屋クラブクアトロ

開場18:00/開演19:00

●大阪公演

11月10日(木)梅田クラブクアトロ

開場18:00/開演19:00

問い合わせ:M&Iカンパニー 

http://www.mandicompany.co.jp/SoulAsylum.html

<アルバム>

●ソウル・アサイラム『チェンジ・オブ・フォーチュン』

ビクター VICP-65420

現在発売中

●『ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ソウル・アサイラム』

ソニーミュージック SICP-4996〜4997(CD+DVD)

2016年10月26日発売

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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