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インバウンド停止から1年以上ーー。外国人観光客でにぎわった「名物旅館の生き残り戦略」とは?

山崎まゆみ観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)
朝日が入る檜風呂(写真提供・澤の屋)

古い町並みに囲まれた東京谷中の澤の屋旅館は、外国人観光客を受け入れて40年以上になる。

「澤の屋」と言えば、テレビや新聞や雑誌でその名を知る方も多いだろう。館主・澤功さん(84歳)は、日本のインバウンドを牽引してきたレジェンドである。

コロナ禍により外国人観光客が来なくなり、はや1年以上が経った。

「澤の屋」は、いまどうなっているのだろうか――。

澤の屋はご家族で営む家族旅館。手前中央が澤功さん。奥左端が澤新さん(写真提供・澤の屋)
澤の屋はご家族で営む家族旅館。手前中央が澤功さん。奥左端が澤新さん(写真提供・澤の屋)

現在、澤の屋は通常の宿泊以外に、「日帰り入浴(貸切風呂)」と「日帰り部屋貸し(デイユース)」をしている。「外国人のお客様がいなくなって、昨年の4月から日帰り入浴を始めました。ご近所さんが『澤さんとこ、大変だから、入りに来たよ』と、口コミで広がりました。そしてお客さんから『リモートワーク用に部屋も開放したら』と、アドバイスを頂きまして、部屋貸しを始めました。みんなお客さんに教えてもらったんですよ」(澤功さん)

新型コロナウイルスが終息すれば、一気に、澤の屋は以前のように外国人観光客で賑わうだろう。日本人がゆったりと過ごせるのは、今しかない。

「日帰り入浴」は、14時から22時(受け付け21時)まで。1組45分・大人500円、子供300円(税込)と、ほぼ銭湯料金。シャワーが2個あり2名使用の「檜風呂」とシャワーが1個の「陶器風呂」がある。

陶器風呂(写真提供・澤の屋)
陶器風呂(写真提供・澤の屋)

「日帰り部屋貸し(デイユース)」は、9時から19時まで、一部屋利用で1人3300円(税込)。館内はフリーWi-Fi完備。ロビーにはテーブルと椅子があり、コーヒーとお茶が無料で飲めるので、ここで仕事をしても快適だ。飲食の持ち込み可能。加えて、貸切風呂にも入ることができる。

毎日の空情報は澤の屋のtwitterで確認できる。

私も、澤の屋で「リモートワーク」をしてみた

千代田線根須駅から徒歩3分。閑静な住宅街に澤の屋はある。(撮影・筆者スタッフ)
千代田線根須駅から徒歩3分。閑静な住宅街に澤の屋はある。(撮影・筆者スタッフ)

GW直前に緊急事態宣言が発出され、コロナの変異株が猛威をふるっていることもあり、GW中は自宅がある東京から出ずにいた。唯一の思い出は、澤の屋で満たされた1日を過ごしたことだ。

この日、私は10時ちょっと前に澤の屋に到着した。チェックイン前に手指の消毒と検温。フロントのナイロンカーテン越しには、レジェンド・澤功さんがいた。挨拶をして、先に料金を支払う。 

澤功さんのご子息で、いま澤の屋を切り盛りする澤新さんが2階の部屋に案内して下さった。床の間がある8畳間には、布団一式と浴衣、タオルとバスタオルが置かれてある。テーブルにポットとお茶セット。和室の香りにほっとし、テーブルに置かれた折り鶴に懐かしさが込み上げる。手作りって、いいなぁ。

利用した客室。通常はテーブルはひとつだが、案内して下さった澤新さんが「もうひとつテーブルは必要ですか?」と気を利かせて出してくれた。感謝。(撮影・筆者)
利用した客室。通常はテーブルはひとつだが、案内して下さった澤新さんが「もうひとつテーブルは必要ですか?」と気を利かせて出してくれた。感謝。(撮影・筆者)

まずは、お茶をいれて、来る途中で購入してきた人気のパン屋さんのクリームチーズと生ハムのコッペパンを食べる。午前中だというのに、布団を敷いてしまった。ぱりっとしたシーツに身体を沈める。障子から差し込む明るい光の中で、ゴロゴロ。この快楽といったら――。 30分程まどろむ。

ヤバイ、仕事だ! 部屋でパソコンを広げて、11時から13時までひと集中。

お昼をどうしようかと迷い、フロントで澤さんに相談すると、近所の地図を渡し、おすすめを紹介してくれた。さすが都内有数の観光名所の谷中である。近隣には串揚げの名店「はん亭」や洋食屋、焼き鳥屋が並ぶ。

私はフレンチの軽いランチコースを頂き、その後、谷中の路地裏を歩く。わくわくしながら探訪すると、旅に出たような気分だ。澤の屋には、15時前に戻ってきた。

旅館で仕事が効率アップ! その秘密は合間の「入浴」でマインドフルネス発動

15時からお風呂を予約していたのだ。檜の湯船を選ぶと、湯船は深く、お湯に身体を沈めると、首まで湯に包まれる。溢れ出すお湯のざぶ~んという音は、贅沢の極みである。庭の緑が目に優しく、ただただぼんやりと。何も考えずに。

湯上りに浴衣に着替えると、旅館に来た気がする。汗を流した爽快感、身体が温まったことの高揚感、湯上りに水分補給すると、「さて、仕事するか!」と、自然とエンジンがかかった。

フロント奥の広いロビーも埃ひとつ見当たらない清潔さ。(撮影・筆者)
フロント奥の広いロビーも埃ひとつ見当たらない清潔さ。(撮影・筆者)

浴衣で原稿を書ていると、文豪気分に。(撮影・筆者スタッフ)
浴衣で原稿を書ていると、文豪気分に。(撮影・筆者スタッフ)

ロビーを使わせて頂き、16時から18時50分まで仕事した。1日中、だらだらと机に向かうよりも、はるかに仕事の効率が良く、集中できた。町を歩くのは適度な運動、入浴は最高の気分転換なのだろう。

先日、ワーキングスペースを設ける温浴施設が増えているというニュースのコメント欄に、「休息」と「仕事」が同じ場所ということに懐疑的な声があった。温泉エッセイストという仕事柄、私は旅をしながら、温泉地や旅館で原稿を書いてきた。寛ぎの場では、仕事ははかどる。はっきり言おう。「旅館で仕事するのは、あり」だ。

そして、それ以上の効果がある。

今がチャンス! 澤の屋に滞在して「日本再発見」

最初に料金を払えば、あとは人と接触することはない。

滞在中、いつも誰かしらが館内を掃除する姿を見かけた。外に出た時は、女将が玄関先で水を打っていた。澤功さんを中心として、ご家族で旅館経営をされていて、家族みんなで手をかけて旅館を磨き上げている。いつ来ても清潔感に満ちているから、コロナ禍でも安心して、私は澤の屋に来たくなるのだ。そして澤さんたちは常にお客さんの様子をうかがってくれている。

「清潔」「丁寧」「親切」と、日本人の美点が揃う澤の屋旅館を体験した外国人は、さぞかし日本に好印象を抱くに違いないと、この日改めて実感した。

澤さん曰く。「テレワーク用に部屋を貸し出したのですが、『今日は主人が休みで、子供の面倒を見てくれるので、私は眠りに来ました』と、昼前に入り、夕食を作る時間帯まで休まれる主婦のお客さんもいます。ずっと読書をする方もいます」と、多彩なお客さんが利用しているようだ。

現在、澤の屋は、コロナ禍でストレスを抱える人に、安らぎを与える旅館となっていた。

私も、リモートワークを目的として来たが、仕事をしつつも、コロナ禍での束の間の休息になった。何より、日本人であることが嬉しくなる体験だった。

日本のインバウンドのレジェンド・澤功さんと撮らせて頂いた(撮影・筆者スタッフ)
日本のインバウンドのレジェンド・澤功さんと撮らせて頂いた(撮影・筆者スタッフ)

観光ジャーナリスト/跡見学園女子大学兼任講師(観光温泉学)

新潟県長岡市生まれ。世界32か国の温泉を訪ね、日本の温泉文化の魅力を国内外に伝えている。NHKラジオ深夜便等テレビラジオにも多数出演。国や地方自治体の観光政策会議にも多数参画。VISIT JAPAN大使(観光庁任命)としてインバウンドを推進。「高齢者や身体の不自由な人にこそ温泉」を提唱しバリアフリー温泉を積極的に取材・紹介。著書は『おひとり温泉の愉しみ』(光文社新書)『行ってみようよ!親孝行温泉』(昭文社)『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)2023年4月6日発売の『温泉ごはん 旅はおいしい!』(河出文庫)は温泉にまつわる豊かな「食」体験をまとめた初の食べ物エッセイ。

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