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Injury Alert(傷害速報)欄の意義と課題 その1

山中龍宏小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長
(写真:アフロ)

 日本小児科学会のホームページで、Injury Alert(傷害速報)をご覧になったことはありますか?

 

 日本小児科学会雑誌の2008年3月号にInjury Alert(傷害速報)のNo.1が掲載されてから、ちょうど10年経った。まだまだ認知度は低いが、Injury Alertが果たしている役割は決して小さくはない。これまでの経緯を紹介し、今後の方向性を示してみたい。

はじめに

 医療現場では毎日、事故によって傷害を負った子どもたちの診療を行っている。小児科医は「こんな事故が起こるのか」とびっくりする事例に遭遇しているが、医学雑誌に報告されることはほとんどない。その情報がないため予防策につながらず、漫然と同じ傷害が起こり続けている。子どもたちの傷害を予防するための具体的な活動の一つとして、日本小児科学会雑誌(以下、日児誌)の「Injury Alert(傷害速報)」について紹介しよう。

これまでの取り組み

 わが国では、1960年以降現在まで、0歳を除いた小児の死因の第1位は「不慮の事故」となっているが、事故の予防について系統だった取り組みはほとんどない。事故を予防するには、いろいろな職種や専門家が関わらないとうまくいかない。これまでの小児科関連の事故予防の動きについてみると、1989年、日本小児科学会に小児事故対策委員会が設置され、私も委員の一人として活動した。2000年までの間に5~6編の提言をまとめ、日児誌に掲載した。その内容は実態報告と警告だけで、提言を評価する作業は行われず、予防につながることはなかった。同時期に、厚生省(当時)でも小児の事故予防の研究班が組織されたが、実態報告とチェックシートの作成だけで終わり、予防活動として評価できる業績は出なかった。

 その後、ある人から、「先生は、事故は予防が大切といつも言っているが、具体的にどう予防したらいいのか示せるのか?」と指摘された。そこで、2003年1月から「小児内科」という医学誌に「子どもたちを事故から守る―事故事例の分析とその予防策を考える」と題した連載を20回(2005年1月まで)掲載した。主に新聞に載った子どもの事故を取り上げ、事故の起こった状況を推測し、それまでに報告されているデータを調べ、具体的な予防法について記載した。いろいろな予防法を検討するつもりでいたが、何回か書くうちに、子どもの事故の発生パターン、周りの反応、対応策などがいつも同じであると痛感した。この連載は、予防を考える上でよいトレーニングとなった。

 

 医療機関には重症度が高い傷害を負った児が来院し、その情報はたいへん貴重なものである。しかしよくある事例ばかりなので、症例報告として報告することは難しく、たとえ症例報告をしても、企業や行政の人が小児科関係の雑誌を見ることはない。直接、傷害の事例を企業に情報提供しても無視される、あるいは「使用法が悪い」と言われるだけで貴重な症例が社会に還元されることはない。そこで、公的な雑誌に事例を載せることが望ましいと考え、2004年11月、日本小児科学会(会員数は約21,000人)の理事会に対し、傷害予防の必要性、事例を継続的に学会誌に掲載する必要性について、個人として要望書を提出した。以後、7~8回理事会とやり取りをし、その間に日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会の委員長になったので理事会に対して強く働きかけ、日児誌の2008年3月号からほぼ毎号に「傷害速報」が掲載されるようになった。2018年5月までに、類似例を含めると約140例が収載されている。

「Injury Alert(傷害速報)」という表題

 「事故」を意味する英語として、以前はaccidentという語が使用されていたが、最近ではinjuryが使用されるようになった。accidentには「避けることができない、運命的なもの」という意味が含まれているが、「事故」は科学的に分析し、対策を講ずれば「予防することが可能」という考え方が一般的となり、injuryという語を使用することが勧められている。一部の医学誌ではaccidentという言葉の使用を禁止している。日本語で「事故」という言葉を使い続けると、injuryという単語に変更されたことが明確とならない。「外傷」「損傷」「危害」などの単語もあるが、1950年ころまでのわが国の統計では「不慮の傷害」と表記されており、中国語でもinjuryを「傷害」と表記しているので、injuryを「傷害」とすることとした。アメリカの消費者製品安全委員会から「Safety Alert」というわかりやすいリーフレットが発刊されており、それをまねて「Injury Alert(傷害速報)」という表題とした。小児科医に対し、「injury」、「傷害」という単語を認識してもらうには、この表記は役立っていると考えている。Injury Alert(傷害速報)が紹介されるとき、「injury」や「傷害」という言葉が普通に使われるようになり、うれしく思っている。

「傷害速報」掲載までの手順

 ここで実際に「傷害速報」として掲載されるまでの手順を紹介したい。まず、日本小児科学会会員である医師が学会のホームページから投稿様式をダウンロードし、それに自分が経験した事例の年齢、性、体重、身長、発生場所、発生年月日、時刻、発生経緯、経過などを記入、同時に、傷害部位や製品、環境の写真などもいっしょに学会事務局に送る。それを、こどもの生活環境改善委員会の「傷害速報」担当が読み、

1 有害事象で社会的影響が大きい

2 有害事象だが社会的影響は小さい

3 有害事象が今後起こり得るヒヤリハット症例

の3群に分類し、1は傷害速報として学会誌、ならびに学会の一般向けホームページに掲載し、2は委員会名で関係企業に情報提供し、3に関しては資料として事務局でファイルに保存している。

 送られてくる報告は簡単なメモ程度の記載であることが多く、事故が起こったときの状況がよくわからない。そこで、投稿した会員に問い合わせ、3~4回のやり取りをする。その後、これまでに報告された同じ傷害事例を文献で調べ、傷害が発生した状況を推測し、この傷害を予防するためにはどのような対策が必要かのコメントを書く。コメントのコンセプトは「保護者が注意しなくても、少しくらい目を離しても安全な製品や環境を作ることを優先する」であり、「注意する」という文言は使わないようにしている。

 製品の欠陥については、企業や業界団体から反論があっても答えられるだけの根拠を示す必要があり、時には、産業技術総合研究所の西田 佳史さんや北村 光司さんに相談し、また業界団体や企業の専門家にコメント欄を見てもらって細かくチェックしている。できあがった報告案を委員会内で審議して訂正し、委員会で認められると理事会での審議に回り、同時に学会の顧問弁護士のチェックを受け、そこで日児誌への掲載が認められると、最後に編集委員会のチェックを受けて学会誌に掲載されることになる。学会誌に掲載された1~2か月後には、日本小児科学会のホームページの「一般の方へ」の「Injury Alert(傷害速報)」欄に収載される。日児誌だけの収載では一般の人は見ることができないが、ホームページに収載されると、いつでも、どこでも、誰でも、気軽に検索し、すぐに見ることができ、社会的なデータとなる。

様式、記載項目

 傷害速報の様式は、項目別の記載方式を採用した。この様式にあてはめると、情報の不足が少なくなりわかりやすい。また、単なる事例の経過報告だけではなく、委員会から予防のためのコメントをつけることにした。このコメントを書く作業が、具体的な予防対策につながっていくと考えている。

 途中から、これまでほとんど注目されていなかった医療費も記載するようにした。アメリカなどでは直接の医療費だけでなく、子どもの入院のために会社を休んだ経費、保護者の交通費、また警察が調査を行えばその調査費なども傷害関連費用として算出され、傷害による社会的コストとしてとらえられている。傷害のケアにかかった費用と、予防を検討して製品を改良する費用を比べて、予防する方が社会的コストが低いことを証明できれば、法的規制や企業による製品開発を推進することが可能となる。経済指標を、個人の負担という観点だけでなく、社会的な負担としてとらえる必要がある。

「傷害速報」の利活用

 日児誌に傷害事例を掲載しただけでは予防にはつながらない。「傷害速報」を公表することは、予防のスタートラインに立っただけである。日児誌に掲載されたら、すぐに傷害を起こした製品のメーカー、業界団体、行政の外郭団体、行政(消費者庁など)、技術の専門家団体(日本技術士会など)、研究機関、マスメディアなどに傷害速報のコピーを送って予防を検討してもらうこととしている。

 学会誌という公的なものに傷害の発生状況やその後の経緯を示し、コメント欄で予防法について指摘すると、企業や業界団体から無視されることはなくなった。具体的に予防策を検討してもらった場合には、企業などに進捗状況の報告をお願いし、それを「Follow‐up 報告」として日児誌に掲載し、予防とは具体的にどうすることなのかを小児科医や社会に伝えるようにしている。中には、4~5年かかって予防につながった事例もある。

 「傷害速報」を送りつけたことに対する対応であるが、個別の企業では注意喚起の表示を拡大するなどの一時的な対応が多い。業界団体は消極的である場合が多く、原因究明の実験までは行わない。行政は担当部署がわからない場合が多く、消費者庁は「注意喚起」をするだけに終わる。マスメディアが取り上げる場合もあるが、単発の報道で予防まで取り組まない。予防のために原因を究明できるのは、技術専門家団体と研究機関であった。

 「Injury Alert(傷害速報)」を読んで、「私も同じ例を経験した」と思う小児科医は多い。医学論文では、すでに報告されているものを報告する意味はないが、「傷害」では同じ事故が起こり続けているという事実を示すことによって、予防策が行われていない、あるいは行われている対策が無効であることの証明となる。このような例は「類似例」として、日児誌には収載せず、学会のホームページ上に追加して公表している。こうすることにより、メーカー、管轄している行政機関などに対して、予防策の検討が必要であると働きかけやすくなる。(その2に続く)

小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長

1974年東京大学医学部卒業。1987年同大学医学部小児科講師。1989年焼津市立総合病院小児科科長。1995年こどもの城小児保健部長を経て、1999年緑園こどもクリニック(横浜市泉区)院長。1985年、プールの排水口に吸い込まれた中学2年生女児を看取ったことから事故予防に取り組み始めた。現在、NPO法人Safe Kids Japan理事長、こども家庭庁教育・保育施設等における重大事故防止策を考える有識者会議委員、国民生活センター商品テスト分析・評価委員会委員、日本スポーツ振興センター学校災害防止調査研究委員会委員。

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