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【幕末こぼれ話】明治政府の警官となった新選組の斎藤一は、左利きの剣士だったのか?

山村竜也歴史作家、時代考証家
凄腕の剣士(写真:アフロ)

 映画「るろうに剣心」(監督・大友啓史)で、主人公を助ける凄腕の剣士が斎藤一だ。幕末のころ新選組隊士として働き、明治維新後は警視庁の警官となった異色の経歴を持つ斎藤は、史実の新選組の中でも屈指の人気を誇っている。

 そんな斎藤に、さらなる魅力を加えているのが、「左利き」だったという説だ。「るろうに剣心」の中でも左手一本で繰り出す突き技が印象に残るが、斎藤は実際に左利きだったのか。そもそも、左利きの剣士というのは存在するのか。そのあたりを掘り下げてみよう。

斎藤の左利き説はどこから来ているのか

 実は、斎藤一が左利きということを書いた文献はわずか一点しかない。子母沢寛の『新選組始末記』(角川文庫版)の中で、隊士谷三十郎の遺体を、斎藤と篠原泰之進が検死している時に、このような会話がかわされたというのだ。

 「斎藤は、『槍の先生が、お突きをみごとにやられているね、篠原君』という。篠原も、『左お突きさ、相手は君と同じに、左利きの遣い手だよ』『君と同じはよしてくれ』二人が笑って、籠へ死体を入れて引揚げて来た」

 この記述が、斎藤の左利き説を語る唯一の記録なのである。なお、小説ふうの書き方だが、当時の新選組関係者から綿密な取材を重ねた子母沢寛によるものなので、一概に否定することはできない。

 斎藤がこの記述どおりに左利きであった可能性は十分にあるし、またそうでなかった可能性ももちろんある。現状では、どちらの場合もあり得るということだけ、述べておきたいと思う。

左利きの剣士は実際にいたのか

 左利きの剣士と聞くと、刀を普通とは逆の右腰に差し、左手で抜刀して戦うと思われる向きが多いようだが、そうではない。利き手がどちらであっても、武士は必ず左腰に刀を差し、右手で抜刀する。

 それが当時の武士の常識であり、例外はなかった。もっとも、現代の剣道でもその点はしっかり守られていて、その者の利き手がどちらかは一切考慮されず、右利き用の型で指導される。

 だから、剣術を学ぶ者は自動的に右利きに矯正されていき、その意味では「左利きの剣士」というのは存在しない、あるいは記録にまったく残らないということになるのである。

 そんな中で、幕末の剣道史において一人だけ左利きの剣豪として名をはせた人物があった。九州の柳川出身で天保年間に江戸に出て、千葉周作や男谷精一郎ら錚々たる剣士たちを打ち負かした大石進である。

 自ら大石神影流を名乗った大石は、竹刀を左手一本で突き出す得意技を持っていた。これは左利きでない者がやっても強い突きにはならないが、利き腕ならば強力な一撃を与えることが可能になる。

 あるいは斎藤一も、この技を得意としていたのではないか。篠原泰之進が「左お突きさ」と見抜いたように、左片手突きは独特な剣筋を残す。誰がやったのかわからずじまいだった谷三十郎殺害の下手人も、大石進ばりの左片手突きを斎藤が繰り出したとすれば、実に腑に落ちるのである。

歴史作家、時代考証家

1961年東京都生まれ。中央大学卒業。歴史作家、時代考証家。幕末維新史を中心に著書の執筆、時代劇の考証、講演活動などを積極的に展開する。著書に『幕末維新 解剖図鑑』(エクスナレッジ)、『世界一よくわかる幕末維新』『世界一よくわかる新選組』『世界一よくわかる坂本龍馬』(祥伝社)、『幕末武士の京都グルメ日記』(幻冬舎)など多数。時代考証および資料提供作品にNHK大河ドラマ「新選組!」「龍馬伝」「八重の桜」「西鄕どん」、NHK時代劇「新選組血風録」「小吉の女房」「雲霧仁左衛門6」、NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」、映画「燃えよ剣」「HOKUSAI」、アニメ「活撃 刀剣乱舞」など多数がある。

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