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平安京さんぽシリーズ④ 東西のメインストリート二条通を歩く(後編)

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
二条通からみた平安神宮(※以下の写真もすべて筆者が撮影)

 平安京さんぽ「二条通」の後半は、洛外にも足を延ばしてみよう。

 平安京の東西のメインストリートであった二条通は、鴨川を越えて東に伸長された最初の通りとなった。

 東へ進んで木屋町通までくると、南側には高瀬川一之舟入がある。高瀬川は京都の豪商・角倉了以によって慶長19(1614)年に開かれた運河で、大正9(1920)年までの約300年間、京都・伏見間の水運に用いられてきた。

一之舟入南側には飲食店が並び、舟入を見ながら食事を楽しめる
一之舟入南側には飲食店が並び、舟入を見ながら食事を楽しめる

 途中には「舟入(ふないり)」という貯水池があり、ここで荷物の上げ下ろしを行った。舟入は全部で9つあったが、現在は唯一最初の舟入が残っており、「一之舟入」として保存されている。

 またその北側に面して建っているのが島津創業記念館だ。島津製作所が創業100周年を記念して、昭和50(1975)年に創業の地に開館した。建物は創業期のもので、内部を公開するとともに、社内でこれまで開発してきた様々な機器を展示している。

 鴨川に架かる二条大橋は、平安時代に最初に鴨川を越えた歴史ある橋で、渡ると右側には日蓮宗の大本山のひとつである頂妙寺が見えてくる。土佐国の守護大名であった細川勝益が、日祝上人に文明元(1469)年に土地を寄進したことから始まり、寛文13(1673)年に現在地に移転した。

 境内にある仁王門は堂々たる威風を持ち、前の道は仁王門通と名がついている。また江戸初期の琳派の祖となった俵屋宗達の菩提寺であったとされ、俵屋宗達の作品である「牛図」(重要文化財)やお墓も残されている。

信仰の対象となった頂妙寺の仁王門、運慶作と伝わる持国天と多聞天が祀られている
信仰の対象となった頂妙寺の仁王門、運慶作と伝わる持国天と多聞天が祀られている

 さらに東大路通との南東角には日蓮上人の銅像がそびえ立つ妙傳寺が見えてくる。文明9(1477)年に日意上人によって創建された寺院で、日蓮上人の遺骨を納めたことから「西身延」と称された。天文法華の乱の被害を経て、宝永の大火(1708年)の後に現在の場所へ移転した。現在はこの場所で、師走の顔見世で注目される「まねき」が描かれることでも知られる。

 その先は平安末期に開かれた岡崎の地で、白河上皇創建の法勝寺建立からスタートし、時の権力者がこぞって寺院を建立、その数は六カ寺となり、全て「勝」の字がつくことから「六勝寺」と尊称されるようになった。残念ながら現在は、石碑のみがその場所を示している。

みやこめっせの手前に建つ延勝寺跡の石碑。延勝寺は近衛天皇の御願寺であった
みやこめっせの手前に建つ延勝寺跡の石碑。延勝寺は近衛天皇の御願寺であった

 明治時代以降、この岡崎の地は文化ゾーンとして定着し、北側にロームシアター京都、南側にはみやこめっせ、さらに神宮道の北側には平安神宮、南側には京都府立図書館、国立近代美術館、京都市京セラ美術館、京都市動物園と軒並み文化施設が並んでいる。

 動物園の北側には白河院と記された重厚な入口が見えてくる。もともと白河上皇の法勝寺があった場所にたつ日本私立学校振興・共済事業団の食事兼宿泊施設だ。

 庭園は小川治兵衛が手掛けて琵琶湖疏水が引かれており、池の周辺を歩いて回ることができる。朝から歩いてきたら、こちらでゆっくり食事をとるのもお勧めしたい。ここで二条通は終了。次回は人気の三条通を歩いてみよう。

庭園に面した建物は武田五一の設計。庭園は見学のみも可能
庭園に面した建物は武田五一の設計。庭園は見学のみも可能

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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